今日は打って変わって暗くないお話を。
・・・別に「なにか」を打って、変わってしまったわけじゃありませんよー。
明日本番だというのに、むしろ今日を乗り越えたことに安堵感を覚えているだけです。
さて、本日の話題は、全く関係なく「分数の割り算」について。
今日までバイトの小論文採点をやってましたところ
分数の割り算を小学校で教えるべきか否か、みたいなテーマだったんです。
ものすごーく大まかに言うと・・・
「分数を分数で割る意味も分からせずに教えたって無駄だ」派と
「まずは計算、基礎を叩き込んで後から意味を知れば良い」派論争。
両方とも一理あるわけですよ。
意味も分からず計算の方法だけ教えられて、
そこで躓いて算数嫌いになるパターンに陥りやすいのが分数の割り算。
「ひっくり返してかけるだけ」と単純に覚えてしまえば簡単だけど、
それが納得できない子供の場合はいくらやっても出来ないから嫌いになる。
あの「おもひでぽろぽろ」が良い例です。
「3/4のリンゴをー、3/5人で割るってどういうこと~??」ってなっちゃうわけ。
かといって、小学生には難しいから教えるのやめだ!ってことになると、それまたまずい。
機械的な計算を繰り返していくうちに習得していくものもあるし、
基礎がなければその後の応用に進むことなどできやしない。
答案には色んな意見があって面白かったのですが、その是非はどうであれ!
分数の割り算ってすごいですよね。
数学はセンスと才能と一瞬のひらめきで解くものさ
って思ってる人は、ここから先、鼻で笑いながら読んじゃってください。
ちなみに私は自慢じゃないが
数学は血と汗と涙と努力と忍耐と計算量と一握りの運でもってようやく解けるもの
と解釈しております人間です。
というわけで、あまり数学の美しさとか知らずに生きてきたわけですよ。
だから分数の割り算は、ひっくり返してかけるものと覚えてクリアし
その意味の不思議さなど疑問にも感じたことなかった。
初めて、言われてみればどうしてだろうと思ったのが大学受験後の春休み。
この時期の遅さが数学的才能のなさを感じさせます。
入学式までの暇な頃、ぽかぽか春の陽気に窓際で読んでいた一冊の本。
貴志祐介の「青の炎」。春に読むもんじゃないってツッコミは置いといて
その一節に、主人公が妹に分数の割り算を教えるシーンが出てきました。
で、彼は説明するわけだ。割り算には2通りの考え方があるんだ、と。
例えば36÷9を考えるとすると・・・
一つは、36を9等分すると一つのグループは?という考え。
もう一つは、36の中に9がいくつ入っているか?という考え。
分数の割り算は後者のやり方で考えればいいんだよ、ということでした。
恥ずかしい話、ほほ~ぅって感心したんだよ!
だってそれまでの19年間、そんなこと考えたことなかったんだもん。
ちなみにネットにのっていたもうちょっと分かりやすい説明。
例えば、6÷1/2を考えるとすると・・・
6の中に1/2はいくつか?っていう考え方ももちろんできる。
でも単位量として換算して、1の中に1/2は2個、それが6個分とも考えられる。
この考えで行くと、分数÷分数の説明も簡単。
例えば、3/5÷2/3を考えるとすると・・・
3/5の中に2/3はいくつか?って考えても良く分からないから
1の中に2/3は1個と半分入っていて、それが3/5個分だよって考えれば
なんでひっくり返して掛けるのかって意味が分かるでしょ?ってお話でした。
私、たぶん小学生に質問されてもこんな答えできなかったよ、きっと。
この論文に当たってなければ一生考えなかったよ。
昔、円周率が本当に3.14か実験しようと思ったことがありました。
糸で円作って、円周と直径計って円周率を出してみようなんていう
知的好奇心に溢れていた頃もあったんだけど、すでにそこで挫折。
論理なんて知らんでいい。いいから黙って公式覚えて計算こなして慣れろ。
Practice makes Perfect的発想にいつの間にか変わっていましたね。
もういい!
私は論理より感性で生きる!とな。
まぁ、こういうこと意味が分かって数の理論とか納得がいけば
数学って面白いと思うんでしょうね。
「博士の愛した数式」読んだ時とか、ちょっぴり数学の美しさ分かった気になったもん。
でも最後にこそっと言っておきます。
文系的思考だって悪くないんだよ、ってこと。
理詰めで考えなくたって生きていけんだよってこと。
ほら例えばさ。
雪が降ってきたのを見て、
雲の動きがどうとか、降雪量がどれくらいとか、なぜ雨が雪に変わるのかとか、雪が屋根に積もった時にどれくらいの力が加わるかとか
そういう思考はとっても大事だけどさ。
雪が降ってきて
はらりと手の上で溶けた粉雪を見ながらあの人を想いだし溜息をつくも、その溜息までもが白くはかなく空に消えていってしまうことに涙を流し、こなゆき、ねぇ心まで白く染め上げてゆくんだね(パクリ)
とか考えちゃう人がいるから!(いるのか?)
文学や芸術がこの世に生まれるわけですよ。
そんな感じです。
あんまり明るい記事じゃないね。
脈絡も何もなくなってるしね。
定期前に何を考えてるんだか(笑)
明日は、「指数関数的クレッシェンド」とか「初速度v=???の弓の速度」とか理系的思考は多分とんでしまうので、文学的に感性で攻めようと思います。
と、無理矢理しめてみる。
いい演奏会にしましょう♪
・・・別に「なにか」を打って、変わってしまったわけじゃありませんよー。
明日本番だというのに、むしろ今日を乗り越えたことに安堵感を覚えているだけです。
さて、本日の話題は、全く関係なく「分数の割り算」について。
今日までバイトの小論文採点をやってましたところ
分数の割り算を小学校で教えるべきか否か、みたいなテーマだったんです。
ものすごーく大まかに言うと・・・
「分数を分数で割る意味も分からせずに教えたって無駄だ」派と
「まずは計算、基礎を叩き込んで後から意味を知れば良い」派論争。
両方とも一理あるわけですよ。
意味も分からず計算の方法だけ教えられて、
そこで躓いて算数嫌いになるパターンに陥りやすいのが分数の割り算。
「ひっくり返してかけるだけ」と単純に覚えてしまえば簡単だけど、
それが納得できない子供の場合はいくらやっても出来ないから嫌いになる。
あの「おもひでぽろぽろ」が良い例です。
「3/4のリンゴをー、3/5人で割るってどういうこと~??」ってなっちゃうわけ。
かといって、小学生には難しいから教えるのやめだ!ってことになると、それまたまずい。
機械的な計算を繰り返していくうちに習得していくものもあるし、
基礎がなければその後の応用に進むことなどできやしない。
答案には色んな意見があって面白かったのですが、その是非はどうであれ!
分数の割り算ってすごいですよね。
数学はセンスと才能と一瞬のひらめきで解くものさ
って思ってる人は、ここから先、鼻で笑いながら読んじゃってください。
ちなみに私は自慢じゃないが
数学は血と汗と涙と努力と忍耐と計算量と一握りの運でもってようやく解けるもの
と解釈しております人間です。
というわけで、あまり数学の美しさとか知らずに生きてきたわけですよ。
だから分数の割り算は、ひっくり返してかけるものと覚えてクリアし
その意味の不思議さなど疑問にも感じたことなかった。
初めて、言われてみればどうしてだろうと思ったのが大学受験後の春休み。
この時期の遅さが数学的才能のなさを感じさせます。
入学式までの暇な頃、ぽかぽか春の陽気に窓際で読んでいた一冊の本。
貴志祐介の「青の炎」。春に読むもんじゃないってツッコミは置いといて
その一節に、主人公が妹に分数の割り算を教えるシーンが出てきました。
で、彼は説明するわけだ。割り算には2通りの考え方があるんだ、と。
例えば36÷9を考えるとすると・・・
一つは、36を9等分すると一つのグループは?という考え。
もう一つは、36の中に9がいくつ入っているか?という考え。
分数の割り算は後者のやり方で考えればいいんだよ、ということでした。
恥ずかしい話、ほほ~ぅって感心したんだよ!
だってそれまでの19年間、そんなこと考えたことなかったんだもん。
ちなみにネットにのっていたもうちょっと分かりやすい説明。
例えば、6÷1/2を考えるとすると・・・
6の中に1/2はいくつか?っていう考え方ももちろんできる。
でも単位量として換算して、1の中に1/2は2個、それが6個分とも考えられる。
この考えで行くと、分数÷分数の説明も簡単。
例えば、3/5÷2/3を考えるとすると・・・
3/5の中に2/3はいくつか?って考えても良く分からないから
1の中に2/3は1個と半分入っていて、それが3/5個分だよって考えれば
なんでひっくり返して掛けるのかって意味が分かるでしょ?ってお話でした。
私、たぶん小学生に質問されてもこんな答えできなかったよ、きっと。
この論文に当たってなければ一生考えなかったよ。
昔、円周率が本当に3.14か実験しようと思ったことがありました。
糸で円作って、円周と直径計って円周率を出してみようなんていう
知的好奇心に溢れていた頃もあったんだけど、すでにそこで挫折。
論理なんて知らんでいい。いいから黙って公式覚えて計算こなして慣れろ。
Practice makes Perfect的発想にいつの間にか変わっていましたね。
もういい!
私は論理より感性で生きる!とな。
まぁ、こういうこと意味が分かって数の理論とか納得がいけば
数学って面白いと思うんでしょうね。
「博士の愛した数式」読んだ時とか、ちょっぴり数学の美しさ分かった気になったもん。
でも最後にこそっと言っておきます。
文系的思考だって悪くないんだよ、ってこと。
理詰めで考えなくたって生きていけんだよってこと。
ほら例えばさ。
雪が降ってきたのを見て、
雲の動きがどうとか、降雪量がどれくらいとか、なぜ雨が雪に変わるのかとか、雪が屋根に積もった時にどれくらいの力が加わるかとか
そういう思考はとっても大事だけどさ。
雪が降ってきて
はらりと手の上で溶けた粉雪を見ながらあの人を想いだし溜息をつくも、その溜息までもが白くはかなく空に消えていってしまうことに涙を流し、こなゆき、ねぇ心まで白く染め上げてゆくんだね(パクリ)
とか考えちゃう人がいるから!(いるのか?)
文学や芸術がこの世に生まれるわけですよ。
そんな感じです。
あんまり明るい記事じゃないね。
脈絡も何もなくなってるしね。
定期前に何を考えてるんだか(笑)
明日は、「指数関数的クレッシェンド」とか「初速度v=???の弓の速度」とか理系的思考は多分とんでしまうので、文学的に感性で攻めようと思います。
と、無理矢理しめてみる。
いい演奏会にしましょう♪