僕はあまりジャズが好きじゃないと思う。おい、てめぇジャズ屋だろ!?って声が聞こえてきそうだけど・・。(笑)
子供の頃から親にジャズを聴かされて来て身体には染付いてる筈だけど、僕が物心ついた頃って70年代。この頃は物事が何でも大きく転換しようとしていた時期だ。僕にとってはジャズってのは、当時既に「古い音楽」「昔の音楽」というジャンルにあった。今と違って、人間を取り巻く環境はシンプルで音楽は常に新しいものが生まれては消えていた。その記憶は今でも鮮明で、僕が今でも常に新しいものを求めるのは、この幼少期の記憶がそうさせているに他ならない。それを言い出したら、ファンクだってラテンだって古い音楽のジャンルに入ってしまう。要は、そこからアイディアを拝借して新しいものを生み出せれば良いと思っている。これら「昔の音楽」を新鮮だと感じる若い世代とは全く感覚が違う。
でも、ジャズがあまり好きじゃない・・と告白するには別の意味が有る。先ほどもYouTubeで最近の若手のチェックをしてたんだけど、すごく耳が痛くなって来たんだよね。彼らをチェックをするのはやはり注目しているからで、実際、「上手だなぁ!」と思えるんだけど、なんで耳が痛くなるのか分析してみた。
これは自分にも言える事だけど、アドリブをメインとしたジャズと言う音楽は、ソロが与えられ、そこを一人の人間が何小節も音で埋めなければいけない。この「埋めなければいけない」という感覚が、強迫観念となり、音がストレスフルに感じられる事が多いからだと思う。僕が自分の演奏を聴いて、クソみたいな演奏だ・・と感じる時の原因は、こういう時か、または全くノレてなくてアイディアが出て来ない時だ。こんなクソみたいな演奏してるのは自分だけだ・・という恐怖心から練習するのだけど、他人の演奏を聴いても結局は同様な事を感じてしまう事が有る。勿論、自分には無い引き出しを沢山持ってるから、感心はするのだけど。結局、一定の時間を淀み無く音(或いはメロディーライン)を羅列するために、ストレスフルに練習していると、それが音色に出てしまい、リスナーの耳を傷めてしまう。ジャズは得てしてこういう風になりがちだ。
往年のジャズジャイアンツだって、レコーディングした頃はせいぜい20代や30代。そう、「ジャズは大人の音楽」とか言いながら、実はガキンチョが作り上げて来た、ヤンチャな若者の音楽なのだ。だから、大人になって、そのレコード上のジャズジャイアンツ達を年齢で追い越してしまうと、別の聴こえ方がしてくる。天才の閃きを感じるものも勿論沢山有るし、若さから来る眩しいばかりの漲るパワーを感じるものも有る。でも、先ほど述べたストレスを感じる事も非常に多いし、演奏内容に稚拙さを感じてしまうものも多い。そういう音楽を聴いてると逃げ場が欲しくて、ついつい気持ちの良いボサノバに逃げたりする。別にアドリブ・ソロなんて無くったって音楽は成立するんだから。
僕は演奏に風景を求める。ジャズを聴いてて見えて来る風景って「自宅で猛練習している、目の前のミュージシャン」って事が多い。つまり、風景が何も見えてこない事が多い。せめてNYの摩天楼でも見えてくれば良いのだが。昔から、ジャズを聴いてて、残念に感じる部分がこういう所だ。
ミュージシャンも歳を取って味が出て来ると、そういった演奏ではなくベテランらしいリラックスした良い演奏になる事が多い。それは、生き残りを賭けたコンペティションからようやく解放され、人生に余裕が生まれた事に起因するのかも知れない。それによって景色が見えて来るかもしれない。でも、それによって守りばかりで攻めの無い演奏になってしまっては、それはそれでツマラナくなる。
まぁ、これだけ、あぁだこうだ言うのは、好きじゃないと言いつつ、ジャズを愛している部分が有るからだ。酒やコーヒーが不思議と美味くなるジャズ。僕はこれに美しい風景やサイケデリックなデザイン画なんかが脳ミソに浮かんで来るような即興演奏が出来れば良いのに・・といつも思っている。それには「空間を埋めるためのストレス」が一瞬たりとも有ってはいけない。音を出す度に悦びを感じ、次の音へと繋げた時に今までにない新鮮なモノを感じていれば、そんな事にはならないはず。そのためにフレーズを全て捨て去った事さえ有った。でも、それは本当に難しい事だ。次の音を探す事で生まれるストレスだって有るのだから。
キース・ジャレット、ウェイン・ショーター、ギル・ゴールドスタイン、クリス・ポッター・・こういう人達を聴いてると、ストレスどころか、音で遊んでる様な気がして本当に羨ましい。だから、何枚も有るCDやレコードの中から結局はこの人達ばかり聴いてしまう。そういう事が出来るのは、やはり一部の天才だけに与えられた特権なのだろうか。でも、自分だってそれがやりたいから、何とかかんとかジャズの世界にしがみ付いているのは事実だ。
自分の出す音が常に新鮮で、音で自由に遊べるようになったら、本当の意味でジャズが大好きになれるのに・・と果てしない夢を見る。
子供の頃から親にジャズを聴かされて来て身体には染付いてる筈だけど、僕が物心ついた頃って70年代。この頃は物事が何でも大きく転換しようとしていた時期だ。僕にとってはジャズってのは、当時既に「古い音楽」「昔の音楽」というジャンルにあった。今と違って、人間を取り巻く環境はシンプルで音楽は常に新しいものが生まれては消えていた。その記憶は今でも鮮明で、僕が今でも常に新しいものを求めるのは、この幼少期の記憶がそうさせているに他ならない。それを言い出したら、ファンクだってラテンだって古い音楽のジャンルに入ってしまう。要は、そこからアイディアを拝借して新しいものを生み出せれば良いと思っている。これら「昔の音楽」を新鮮だと感じる若い世代とは全く感覚が違う。
でも、ジャズがあまり好きじゃない・・と告白するには別の意味が有る。先ほどもYouTubeで最近の若手のチェックをしてたんだけど、すごく耳が痛くなって来たんだよね。彼らをチェックをするのはやはり注目しているからで、実際、「上手だなぁ!」と思えるんだけど、なんで耳が痛くなるのか分析してみた。
これは自分にも言える事だけど、アドリブをメインとしたジャズと言う音楽は、ソロが与えられ、そこを一人の人間が何小節も音で埋めなければいけない。この「埋めなければいけない」という感覚が、強迫観念となり、音がストレスフルに感じられる事が多いからだと思う。僕が自分の演奏を聴いて、クソみたいな演奏だ・・と感じる時の原因は、こういう時か、または全くノレてなくてアイディアが出て来ない時だ。こんなクソみたいな演奏してるのは自分だけだ・・という恐怖心から練習するのだけど、他人の演奏を聴いても結局は同様な事を感じてしまう事が有る。勿論、自分には無い引き出しを沢山持ってるから、感心はするのだけど。結局、一定の時間を淀み無く音(或いはメロディーライン)を羅列するために、ストレスフルに練習していると、それが音色に出てしまい、リスナーの耳を傷めてしまう。ジャズは得てしてこういう風になりがちだ。
往年のジャズジャイアンツだって、レコーディングした頃はせいぜい20代や30代。そう、「ジャズは大人の音楽」とか言いながら、実はガキンチョが作り上げて来た、ヤンチャな若者の音楽なのだ。だから、大人になって、そのレコード上のジャズジャイアンツ達を年齢で追い越してしまうと、別の聴こえ方がしてくる。天才の閃きを感じるものも勿論沢山有るし、若さから来る眩しいばかりの漲るパワーを感じるものも有る。でも、先ほど述べたストレスを感じる事も非常に多いし、演奏内容に稚拙さを感じてしまうものも多い。そういう音楽を聴いてると逃げ場が欲しくて、ついつい気持ちの良いボサノバに逃げたりする。別にアドリブ・ソロなんて無くったって音楽は成立するんだから。
僕は演奏に風景を求める。ジャズを聴いてて見えて来る風景って「自宅で猛練習している、目の前のミュージシャン」って事が多い。つまり、風景が何も見えてこない事が多い。せめてNYの摩天楼でも見えてくれば良いのだが。昔から、ジャズを聴いてて、残念に感じる部分がこういう所だ。
ミュージシャンも歳を取って味が出て来ると、そういった演奏ではなくベテランらしいリラックスした良い演奏になる事が多い。それは、生き残りを賭けたコンペティションからようやく解放され、人生に余裕が生まれた事に起因するのかも知れない。それによって景色が見えて来るかもしれない。でも、それによって守りばかりで攻めの無い演奏になってしまっては、それはそれでツマラナくなる。
まぁ、これだけ、あぁだこうだ言うのは、好きじゃないと言いつつ、ジャズを愛している部分が有るからだ。酒やコーヒーが不思議と美味くなるジャズ。僕はこれに美しい風景やサイケデリックなデザイン画なんかが脳ミソに浮かんで来るような即興演奏が出来れば良いのに・・といつも思っている。それには「空間を埋めるためのストレス」が一瞬たりとも有ってはいけない。音を出す度に悦びを感じ、次の音へと繋げた時に今までにない新鮮なモノを感じていれば、そんな事にはならないはず。そのためにフレーズを全て捨て去った事さえ有った。でも、それは本当に難しい事だ。次の音を探す事で生まれるストレスだって有るのだから。
キース・ジャレット、ウェイン・ショーター、ギル・ゴールドスタイン、クリス・ポッター・・こういう人達を聴いてると、ストレスどころか、音で遊んでる様な気がして本当に羨ましい。だから、何枚も有るCDやレコードの中から結局はこの人達ばかり聴いてしまう。そういう事が出来るのは、やはり一部の天才だけに与えられた特権なのだろうか。でも、自分だってそれがやりたいから、何とかかんとかジャズの世界にしがみ付いているのは事実だ。
自分の出す音が常に新鮮で、音で自由に遊べるようになったら、本当の意味でジャズが大好きになれるのに・・と果てしない夢を見る。
つい先ほど、ジャズ部門で一票いれてしまいました