しばらく休んでいましたが
また ちょくちょく 書き始めるつもりです
ちょっと重い内容になりますが
これを書かないと 再開 出来ないので
お付き合い下さい
私の誕生日は 6月21日です 今年 63歳になりました
その誕生日を素敵な海で迎えようと
いつものように 妻と二人で
6月19日 奄美大島へ向かいました
最初の2日間は曇りと雨
生憎の天気でしたが レンタカーであちこち観光したり
マングローブの森 を カヌーで楽しんだりしました
6月21日 小雨後曇り
宿泊していた ばしゃ山村 の 海で 朝から
シュノーケリングを楽しみました
昼食後 私は少々体調が悪くなってきたので
ウミガメと一緒にシュノーケリングを楽しむ妻を
海岸から見守っていました
海岸にいる私から
100数10メートル沖で
シュノーケリングをしていた妻のシュノーケルが一瞬海の中に消えました
(この時に水を飲んでしまい窒息したようです)
直ぐにシュノーケルは海面に出
しばらくそのあたりをプカプカ泳ぎながら
その後 海岸にいる私の方に向かって
ゆっくり 真っ直ぐ 泳いできました
(泳いでいたのでは無く流されてきていたのかな)
私はこちらに向かってくるウミガメを追いかけながら
カメラで動画を撮っているのだと思い しばらく眺めていました
しかし なぜか なんかおかしいぞ!? と 感じました
直ぐ横にある岩場の先まで走って行き 海に飛び込みました
海岸から数10メートルの所まで彼女が来ていたので
海の深さはちょうど私の背の立つ深さでした
「ゆきこ~!!」と叫びながら
彼女を抱きかかえ
シュノーケル と 水中メガネ を はぎ取りました
唇は真っ青 目は閉じたまま
何も反応してくれません
必死で彼女を抱え 海の中を進み
波打ち際へ引きずり上げました
振り返ると 少し離れたところに
白い服を着た人がいました
「溺れました~!!」
「救急車を呼んで下さい!!!」
「助けて下さ~い!!」
と 必死で叫びました
その方はすぐに反応してくれ
助けを呼ぶために走って下さいました
直ぐに
偶然近くの喫茶店で休憩しておられた お医者様が来て下さり
「医者です!! 人工呼吸をします あなたは口から空気を吹き込みなさい」
と 指示して下さいました
必死で頑張りました
しかし 呼吸はしません
近くで訓練をしておられた ライフセーバーの方々も
AED等を持ち 水上バイクで駆けつけて下さいました
心臓が動いていないので 数度起動させて下さいましたが
AED は 全く反応しませんでした
救急車が来ました
その場で 最初から付いて下さっているお医者様により
気管挿管が行われました
呼吸はしません
ドクターヘリも出動してくれました
鹿児島県立大島病院救命救急センターに運ばれ
自発呼吸が再開しましたが
救急が通報を受けられてから 65分後の呼吸再開でした
その時点で
「社会復帰はかなり厳しい」と 主治医から告げられました
心臓は動き何とか自発呼吸はしていますが意識は全く有りません
「家族 兄弟 皆が来るまでは 生かしてやってください」と お願いしました
奄美大島は遠いです 天候などの影響で 皆が集まるまで2日かかりました
救急救命センターではあらゆる治療をして下さいました
彼女自身も下血などにも負けず頑張ってくれました
しかし 意識は全く戻りません
そして
6月29日
低酸素脳症 による 脳死 と 判定され
旅立ちました
残念ながら 一度も ほんの一瞬も 目覚めること無く 言葉を交わすこと無く
悲しい 悔しい 寂しい 無念です
あの日から3ヶ月が経ちました
お目にかかる方から「ちょっとは落ち着いたか?」と声をかけて頂きます
彼女が残してくれた宝物
四人の子供達
彼らも 悲しい 寂しい気持ちで一杯なのに
私のことを考え 皆 元気そうに振る舞っています
毎日 笑顔で いい汗かいて 健康に過ごしていきたいと思ってます
落ち着いてきたかどうかは
分かりませんが (^_^;)