いのち・未来 うべ

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【上関原発計画スラップ裁判】7月1日傍聴記と意見陳述

2015年07月06日 | 上関白紙撤回

7月1日のスラップ訴訟に集まった人々

 

先日の上関原発計画関連のスラップ訴訟の公判に運良く傍聴できた私たちの仲間、崎田修一さんが、傍聴記を書きました。

公判の様子が、よく判ります。

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『7.1スラップ裁判の傍聴』         いのち・未来 うべ  崎田修平

 

 7/1(水)13:30-16:35、山口地裁にて、上関原発建設に関わる「損害賠償訴訟」;中国電力による、いわゆる、「いやがらせ(SLAPP;スラップ)」裁判を傍聴してきました。

今回は、被告の二人、橋本久男さんと岡田和樹さんへの尋問が行われました。

開廷前の地裁駐車場広場には、祝島はじめ県内各地から、また、広島からは大型バス2台の応援団など傍聴券を求める人々で溢れました。

300人近い中から傍聴できるのはたった43席でしたが、幸運にもその抽選に当たり傍聴席に座ることができました。

 当日は、橋本さん、岡田さんに対して主尋問が、それぞれ、60分と45分、反対尋問が各20分の予定で行われました。

まず、被告二人の唱和による宣誓書「・・・真実を述べ、何事も隠さず、又、何事も付け加えないことを誓います」が読み上げられ、被告弁護人による橋本さんへの主尋問に入りました。

本人履歴、職歴、本人-漁業-上関原発建設計画との関係と経過などの確認がなされましたが、橋本さん自身が1981年に福井県敦賀原発での作業(配管、溶接など)経験があり、連日、毎回、線量アラームの鳴るような被曝環境での作業に体調の消耗や異変を感じたため、3週間で辞めて祝島に帰ったこと。それ以来、父親とともに漁業に従事する中で、翌年の1982年に、中電の上関原発建設計画が浮上したこと。父亡きあと、1986年以来30年間、一貫して原発建設に反対するとともに、漁業補償金の受取を拒否してきたことを述べられました。

 そして、いよいよ、当訴訟の対象とされた「抗議行為」についての尋問に移りました。

原告側はこれを「妨害行為」と言うのですが、その行為の期日は、2009年11月5日から11月11日までで、この延べ7日間の工事妨害に対して4800万円の損害賠償を請求した(2009.12)のです。

次の四つの工事が該当すると言っています。1.護岸工事、2.敷地造成工事、3.取水口敷地造成工事、4.仮設作業道設置工事です。

これらの工事が強行された7日間の日付ごとに、本人の判断と行動(時刻、操船、場所、実行行為など)について、裁判提出資料の記録映像(写真)および説明表を確認するかたちで質疑応答が行われました。

橋本さんの答弁に淀みはなく、これらの行為は自分の「生活の糧である海を守る」ために自主的意思に基づき、工事に対する説明要求と海の侵犯への抗議をするために行ったものであることを淡々と述べられました。

 続く、反対尋問の中で、原告側弁護人による「あなたは大工で、漁業の知識がない」との発言があり、橋本さんは呆れて絶句。すかさず、傍聴席から「失礼なことを言うな!」の叱声があり、あわてた弁護人は「今の発言は撤回します」という、ハプニングがありました。反対尋問の粗雑さが垣間見えたように思いました。

 最後に裁判長が、当該行為に対して「抗議」と「妨害」の言葉が何度も飛び交い、被告は前者の、原告は後者の行為であると主張したと総括したうえで、推進派の船の行動状況と役割について尋ねました。

これに対して、橋本さん「十数隻の推進派の船が作業船に接近し、中間(にできた隙間)の海中へコンクリートブロックを投入していました、・・・いつも、推進派の船が来てから作業が開始されました。」と答え、中電と推進派の共同謀議による工事強行を物語る的確な証言を引き出してくれたように思いました。

 

 岡田和樹さんへの尋問までに休憩が入りました。傍聴席を見回すと、最前列中央には以前、我々の学習会講師で来られた山秋真さん、その後ろには当裁判の応援団長アーサー・ビナードさんがおられ、後列の当方の隣はおしどりマコ・ケンのお二人で、法廷ながら華やぎさえも感じました。

 さて、岡田さんへの主尋問です。

被告弁護人との間で延々80に上る質疑応答が繰り返されました。

本人と経歴の確認から始まり、2009年の抗議行為に至るまでの祝島、上関原発計画、シーカヤックとの出会と関係について動機、時期、生活行動の尋問から、岡田さんの「貴重な海の自然を守りたい」との強い真摯な思いが伝わってきました。

そして、核心の11月7日と8日の行動に入りました。

当日の行動はカヤッカー個人としての自発的行為であり、他の被告・清水さんや原さんの指示や共同での計画的行動ではないこと、カヤッカー達の頭上を移動してのコンクリートブロックの投下、危険な工事を止めるためにカヤックから海に下り、クレーンのワイヤーを掴んだこと、作業員3人がかりで推進派の漁船へ引きずり上げられ、甲板に押し倒され、首や手足を羽交い締めにされたこと、苦しい身動きのできない状態での拘束(3~5分程度)で意識不明状態に陥ったことが、時系列と映像資料(写真とDVD写真)に併せての証言がなされました。

この暴行の結果、岡田さんは病院へ緊急搬送され、12日間の入院(肺炎併発)加療を要する事態に至ったわけです。

あくまでも危険な工事に対する正当な非暴力の抗議であって、これを不法とされるのは大変心外であり、しかも、抗議行動の間も工事自体は進められていたわけで、妨害行為には当たらないとの明解な主張であったと思います。

 他方、原告側弁護人による反対尋問では、上記経緯はすべて不法な妨害行為に当たると主張を繰り返すばかりでした。

 裁判官二人からは、シーカヤックの操作技術、習熟までに要する期間、推進側の船に乗ったことや海に飛び込んだことの理由、クレーン船の右舷から左舷へ移るまでの行動、などについて質問がありましたが、主尋問の質疑を超えるものではなく、答弁によってかえって説明不足の補てん効果になったように思いました。

 そして最後に、裁判長は、被告は「中国電力の工事に対する説明が不十分であることへの抗議と主張するわけですね」と確認を促す発言をしました。

対して岡田さんは、「そのとおりです。カヤックで声を届けたい、でも声が届かない、最後の声を届けたい!」との思いから行動しましたと、締めくくりました。

 公判の後の報告会で上関原発埋立禁止訴訟弁護団・弁護団長田川章次弁護士から届いたコメントによれば、

「清水、原、橋本、岡田4名の本人尋問の内容も素晴らしかったことから,裁判所のこれまでの対応と変わったものになりました。中国電力側の証人を聞く必要があると裁判所が言い始めました。このような裁判所の変化は4人の本人尋問の結果も大きいものがありますが、何よりもこれだけの多数の皆さんが傍聴に来てくれた結果です。」とありました。

この言葉にも、我々も勇気づけられます。これからも一層、みんなの熱意を支援に結集するとともに、上関に原発を建てさせないように頑張ってまいりましょう。

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このスラップ裁判で被告にされた、橋本久雄さん、清水敏保さん、岡田和樹さん、原康司さんの意見陳述が、下記にあります。

みなさんの自然と命を守りたいお気持ちがとても伝わります!!

(意見陳述とは、裁判の中で判決を公平に下すための判断材料として、自分たちの言い分を裁判官に伝えるためのものです。)

http://kaminoseki-genpatsu-slapp.jimdo.com/4%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%A6%8B%E9%99%B3%E8%BF%B0/

 

 

 


 

 

 

 

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