7月19日、下司寛さんが亡くなりました。
下司さんは、上関原発を建てさせない山口県民連絡会の事務局次長として、「上関原発を建てさせない」一点共闘の提唱者として、豊かな経験と包容力で全県の運動をリードしてきました。毎回の県民集会の運営、マルシェの受付けや配置、舞台設営などの責任者として動く姿が印象深く残っています。
7月22日に周南市で行われた告別式には、尼崎安秀さん、浜野勝さん、安藤が、いのち・未来うべから参列しました。
草地大作さんから追悼の言葉が寄せられましたので掲載します。
草地さんは、2013年から2015年にかけて、上関原発を建てさせない山口県民連絡会の事務局長として、下司さんとともに県民集会の成功に取り組んできました。(安藤)
上関原発を建てさせない。
下司さんの意志をともに引き継ぎましょう。
草地 大作
皆さん、大変ご無沙汰いたしております。 愛知県名古屋市の草地大作です。
下司寛さんの突然の訃報に接し、言葉を失っています。
山口を離れても 上関原発のこと、皆さんの粘り強い運動、上関原発を建てさせない山口県民大集会が継続していること、とても 喜ばしく受け止めてきました。
このたびの、下司さんの訃報を受け取り、これまでのご無沙汰をお詫びしつつどうしても一言お悔やみの言葉を述べたく思います。
下司さんとは、上関原発を建てさせない山口県民連絡会が結成 される以前に、原発ゼロの会やまぐちが立ち上がった頃から行動を共にしてきました。全県的で統一的取り組みをという願いを実現するため、一度仕切り直しをした方が良い、と提案したわたしの声を、下司さんは否定することなく聞いてくださり、「では一緒に、自治労県本部に出かけましょう。そこで共に行動するための話し合いを しましょう」と提案してくださいました。
あの話し合いがなされたのが 2013年9月だったでしょうか。あそこから、上関原発を建てさせない 山口県民大集会は動き出しました。下司さんの懐の広さ、包容力、 そういったものが、全県的な上関原発を建てさせない活動への 扉を開く大きな力だったことを思い返しています。
被曝72年の記念日を前に、過労がたたったのでしょうか。本当に たくさんの方々が、悲しんでいらっしゃることと思います。わたしも その一人です。どうか、下司さんの魂が今、平安でありますように。
上関原発を建てさせない山口県民大集会にとっても、重要な働き人の 喪失は大きな痛みとなろうかと思います。でも、どうかこんな時こそ、皆が持てる力を寄せ合い、下司さんの遺志を受け継いでいただきたいと 勝手ながら思っています。離れた場所にいる人間が何を言っているか、と 思われるであろうことを承知の上で、今、エールをお送りします。 上関原発は絶対に建てさせてはならないとの思いを、名古屋の地で 共有しつつ、わたしもできる協力をこれからもさせていただきます。
心から、下司さんのご冥福をお祈りしつつ、共にその遺志を受け継ぎ、 上関原発を建てさせないための活動を継続していきましょう。
皆さんの悲しみの上にも慰めがありますように。 (2017年7月20日)
写真は、2017年3月25日、県民集会の舞台設定を見守り指揮する下司さん。