非二元で言われるリーラ(遊戯)と奇跡講座 by Norther Bear
ラメッシ・バルセカールはこう言う。
「あなたは誰のことも責めることはできません。 存在する全ては意識です。 それゆえこれらの全ての自分、何十億という自分、何十億というエゴ、誰がそれらを創造したのでしょうか。 意識以外にないわけです。 単に意識がそれ自身を、個々の肉体精神機構と一体化することによってなのです。 ですから何十億という肉体精神機構は、お互いに喧嘩したり、愛し合ったり、憎みあったりして、それがリーラの全てです。」
…… 「意識は語る」 ラメッシ・バルセカール著
「リーラはなぜ神がこの宇宙を創造したのかという質問に対する唯一の答えです。 あなたはどうしてそうであってはいけないのかと答えることもできますし、それはただ神が遊んでいるゲームに過ぎないと答えることもできます。
それは隠れんぼのゲームに過ぎませんし、観察者と観察されるものというゲームに過ぎません。 その中でお互いが、それぞれそれ自身を主体だと思うのでそのため人間関係と人間関係の問題があります。 基本的にそれが意味することは単にそれは進行中のゲームだということです。 そしてあなたはなぜと尋ねるのです。
これには本当は答えがありません。 もしあなたが海辺でバケツとスコップを持って子供たちを眺めていたら、そのことを理解するでしょう。 彼らはお城とか何でも創造し、それにたくさんの時間と労力を費やします。 でも1日の終わりに両親が家に帰る時間だよと言うと彼らはそれを蹴り上げて去っていきます。 あなたが子供にどうして君たちはお城を作って、それから壊してしまうのと尋ねたら子供はあなたの質問を理解しないことでしょう。 もしあなたがしつこく尋ねたら、僕が作りたかったから。 僕がお城を作ったのは僕がそうしたかったからだし、僕がそれを壊したのは僕がそうしたかったからさとでも答えるでしょう。」 … 同著
「第2次世界大戦は起こらざるを得なかったのです。 何百万人もの命が失われなければならなかったのです。 それゆえこういった特徴を持ったヒットラーという名前の肉体精神機構が生まれなければならなかったのです。 ヒットラーが戦争を生み出したのではありませんでした。 戦争がヒットラーを生んだのです。
質問:そして意識がその全てを創造したのですね。
Ramesh: はい。
意識がそれ自身の中で全ての夢を創造したのです。 意識が夢見られた人物を通じて、全ての役割を演じているのです。 意識それ自身がこのドラマを演じているのです。」 … 同著
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なぜこの二元的世界があるのか? そこに何ら目的はない。 子どものの遊びに目的がないように……ということだ。 個我、自我というのは幻想であって、実在していない。 この世の中で起こっている悲惨なことも、個人が起こしているのではない。 全ては「意識」が作ったのだ。 ここに、「自分とか無いから…」という言葉が生まれる。
これに頷けることは多いと私は思う。 我々の世界は神からの分離が作り出した、何十億というエゴによってできている。 そして自分の判断で、決断し実行していると思っている。この世をよくするのも、悪くするのも、自分の決断にかかっていると思っている。 ところが、ウィトゲンシュタインは、我々は枯れ葉が風の中を舞っているようなものだと言う。 枯れ葉は独り言でこう言う。「こっちに行こう」「こんどは、あっちに行こう」と。
しかしなにか、これらの説明に居心地の悪さをずっと感じていた。
奇跡講座にこの「リーラ(遊戯)」を表現した部分はあるのだろうか?と思っていたが、今日、テキストを読んでいて、ある箇所を見つけた。 そこにはこう書かれている。
T:27.Ⅶ.8-9
誰も、世界が彼のために見ている夢から目覚めることはできない。 彼は誰か他の者の夢の一部になっている。 彼には、自分で作り出さなかった夢から目覚めるという選択をすることはできない。 彼は、分離した心が思い描き大事にしている夢の犠牲者として、無力に立ち尽くす。この心は、天候や時の流れと同じように、 彼の平安や幸せのことなど意に介さないのだから、彼のことなど全く気にかけていないに違いない。この心は彼を愛してはおらず、自らの意のままに自らの夢を満足なものにするためならどんな役割でも彼に与える。彼の価値は全く取るに足らないものなので、彼は、この世界の無為の夢想の中で思いつかれた無意味な筋書きにそって、飛んだり跳ねたりしながら踊る一つの影法師に過ぎない。 こうしたものがあなたに見える唯一の絵である。すなわちあなた自身が夢を見ているものでないとしたなら、これが、あなたが選び得る唯一の別の選択肢であり、 原因として考えられる他の可能性である。 そして、もし苦しみの原因が自分の心の中にあることを否定するなら、あなたはこれを選択する。 原因が自分の心の中にあることを喜びなさい。そうであればこそ、あなたは時間の中における自分の運命の唯一の決定者なのである。 死の眠りと邪悪な夢を選ぶか、それとも幸せな目覚めと 命の喜びを選ぶか、その選択を下すのはあなたである。
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「彼は、この世界の無為の夢想の中で思いつかれた無意味な筋書きにそって、飛んだり跳ねたりしながら踊る一つの影法師に過ぎない。 こうしたものがあなたに見える唯一の絵である。」
これがリーラ(遊戯)なのだと思われる。 しかし奇跡講座はこれを「神の遊戯」とはしない。 遊戯をしているのは、分離した我々自身なのだ。 「ただ神が遊んでいるゲームに過ぎない」とは決して言わない。 ここに出てくる「心」は「意識」に対応する。
そして同じ幻想、夢でありながら、奇跡講座は我々を「死の眠りと邪悪な夢から、幸せな目覚めと命の喜びへの選択」を知らせてくれる。
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