今春、98歳で他界した繊細で豪傑な現代俳句のリーダーだった俳人・金子兜太さんの「小林一茶」から「一茶の俳風―その基底にあるもの」を拾い読む。芭蕉を師と仰ぎつつ独自の“俳風”をきわめた一茶の転機ともいえるのが「寛政三年紀行」だという。「自分は芭蕉さんとは違う」と。
ノーやんの脚色を加えて表現すると、芭蕉さんは、有名人で何やかやいうても食うことの心配はいらず風雅の精神だけを求めておいでやった。それに引くらべわては日々食うことに終われ乞食に見比べられるような下衆な野郎でおました。というような境涯の違いを背景に、「雪ちるや穂屋の薄の刈残し 芭蕉」に「雪ちるやおどけも云へる信濃空 一茶」、「月影や四門四宗も只一ツ 芭蕉」には「名月や西に向かへばぜん光寺 一茶」、「はなのかげうたひに似たるたび寝哉 芭蕉」には「花の陰誰隙くれしうす草履 一茶」と意識して芭蕉との違いを心ねじれながら詠ったと。それを読んでぼくは一茶は芭蕉を超えた現代俳句の元祖ともいえるのではないか、と思った。もうじき一茶忌191年。妄言許さるべし。
昼は讃岐のきつねうどん。千里図書館で小沢信男さんの「俳句世がたり」を借りる。追記。きょうわがまちにおれおれ詐欺の電話が集中したらしい。府の委託を受けたという防犯の関係者から「暗証番号など言わないようにご注意を」と夕方電話が入った。暗証番号など知らないですから。ごくろうさま。
陽の陰に小さき冬薔薇微笑みぬ 昇龍子
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ノーやん
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