桂信子自選五十句からランダムに十句。ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜/ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき/青空や花は咲くことのみ思ひ/暮鳴くやいよいよ太き土性骨/秋来たる命まるごと洗いたし/ひとり臥てちちろと闇を同じうす/冬滝の真上日のあと月通る/誰がために生くる月日ぞ鉦叩/窓の雪女体にて湯をあふれしむ/たてよこに富士伸びてゐる夏野かな。
金子兜太の句。同じくランダムに十句。梅咲いて庭中に青鮫が来ている/酒止めようかどの本能と遊ぼうか/猪が来て空気を食べる春の峠/痛風は青梅雨に棲む悪党なり/黒ずみしとろろを啜る初夏兼山/彎曲し火傷し爆心地のマラソン/夏の山国母いてわれを与太という/燕帰るわたしも帰る並みの家/どれも口美し晩夏のジャズ一団/犬の睾丸ぶらぶらつやつや金木犀。
両者の違いは明らか。水と油。才女と野郎(与太)。月とすっぽんぽん。兜太さんはやはり現代の一茶というべきか。色つやのある信子さんは女蕪村というべきか。兜太さんの「梅咲いて」句にずっと疑問を抱いていたが、梅花の咲く庭を海のように青鮫が泳いでいると想像し「かれらのぷりぷりした体の遊泳に春が来てよみがえる生命を感じていたのだ」という自解を読んで少しわかった。南方の海軍の体験と重なって生まれた句なのだろう。どれも「社会性」の濃い句である。信子句はたしかに社会性が希薄。と思う。昼はネバトロ月見そば。午後、天六へ。(写真上中とも花とみどりの相談所果樹園の梅の実、下=クレマチス)
与太と軍鶏の決闘葦切り川原にて 龍尾
雷雲の生駒にかかる淀川鉄橋 同
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ノーやん
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