兜太さんの「霧に白鳥白鳥に霧というべきか」。この句はことしの現代俳書カレンダーの表紙になっている。なんやこれ不定形で、と疑問に思っていた句。「朝の目ざめぎわの夢に、白鳥と霧のとけ合った幻想的な美しい映像を見ていた」ときにできた句らしい。そりゃわからんはずや。あるある似たような夢の体験。また笑った。一見突拍子もない句。ぼくにもできそうな気にさせてくれる。しかしよく読むとスキがない。文字と神経を研ぎ澄ませてつくった句であることが分かる。詩の魂がやどっているように感じる。
俳句は頭でつくるもんやない。全身で作る。それも人生体験に重ね合わせて。そこに真骨頂といおうか真髄があるんやな。ちょっと悟りを開いた気になる。You tubeでシャンソンの「詩人の魂」を聴く。別府葉子、原よし恵、岸よう子、ジャクリーヌ・フランソワ、碧川るり子の歌。五人五様や。あえていちばん心に響いたのは原よし恵さん。詩人になりきって歌っていた。人生なにごとも修行やぞ。(写真上中は千里局花壇のランとクリスマスローズ、下マンションのフリージヤ)
蜂ひとつうるさく臭いつきまとう 龍尾
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ノーやん

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