きょうは長崎の被爆65年。午前11時02分、米軍のB29爆撃機によってプルトニウム爆弾・「ファットマン」が投下された。一瞬にして約7万4千人が殺された(推定)。その無念の思いは永遠。消そうにも消せない。核兵器の残虐性は大量殺戮にとどまらない。無差別性とともに全生物を殺す「全面性」、生き残った被爆者のからだ、こころ、くらしを破壊する「総合性」、さらに、被害がその後も持続拡大する「持続拡大性」。あげればきりがない。
広島市同様、長崎市も被爆者、遺族、各国代表らが参列しきょう、平和祈念式典を行った。式典は被爆者の歌声ではじまった。田上富久長崎市長は、「核兵器のない世界」を一瞬もあきらめずに歩いてきた被爆者・市民の歩みに「私は人間の希望を感じます」。今春、ニューヨークのNPT再検討会議でカバクチュラン議長が期限を定めた核軍縮を提案したこと、潘基文国連事務総長が「核兵器禁止条約」の検討を呼びかけたことに支持を表明した。政府には非核三原則を形骸化してきたと批判し、非核三原則の法制化と「北東アジア非核兵器地帯」の提案を求めた。ヒロシマ、ナガサキ、この二つの都市の平和宣言をぼくは支持する。
広島の平和祈念式典後の記者会見で「核抑止は必要」と口を滑らせた菅首相は、長崎市では「抑止を考える必要がなくなる世界をめざしていきたい」と釈明したそうだ。率直ではないが開き直るよりはましかもしれん。しかし古いタイプの政治家だなあ。この人も。
午後、千里南公園へ。軽鳧の子が陸に上がって親と変わらぬ体格に生長しているのに驚いた。気がついて記念写真を撮ろうと思ったが逃げ足がはやい(写真下中央)。きょうも10人を超える写真愛好家が望遠レンズと三脚で翡翠を狙っている。牛ヶ首池の北へ回ると鷭の仲間が葦の茂みから陸のぼくに近づいてきた(写真上池側)。赤いトサカの親鳥はぼくが投げ与えるピーナッツを咥え池に戻って子に口移しする。それを何回も繰り返す。えらいなあ。鳩が近付くと攻撃して追い払う。たくましい生き方。親はピーナッツを絶対に食べない。ひたすら子に運ぶ。その姿に見惚れる。鳩よ雀よ、見習いたまえ。そして人間も。
炭壁に生身で挑み被爆忌来る 雪彦
被爆医師ひたすら看取る原爆忌 愚句