千里さくら通りで足を止めて「千里八景櫻並木」のソメイヨシノの冬芽を見る(写真上下)。ぼくの「宿題」。どれが葉芽でどれが花芽かまだ見分けられない。「サイタサイタ サクラガサイタ」「ススメススメ ヘイタイススメ」の教科書が頭に浮かぶ。
きょうは、太平洋戦争開戦76周年の「12・8」や。満1歳のときのこと。もちろん記憶にない。しかし、その3年後の1944年、B29が名古屋空襲をはじめ翌年まで市内を焼き払った。不思議にもその頃のことは断片ながら脳に焼き付いている。飛行機に襲われる夢は最近まで続いた。
防空壕のなかで誰かが「逃げろ」といい飛び出した瞬間のこと、道路が燃えていたこと、兄が落ちた防火用水の中、街路に垂れ下がった市電の架線、姉に手を引かれて逃げた夜の時計屋さんの店の中、爆風で傾いた家の壁、夜空に探照灯の光線が走り、高射砲の白煙やB29の編隊を母の膝の上で見え怖かったこと…。猿投村に疎開し、ミホバラ飛行場が爆撃炎上している光景や米軍機がばらまいた戦争は終わったという意味のチラシを桑畑に拾いに行ったこと、グラマンも来なくなり、怖い思いが消えうれしかったこと。戦争はぜったいアカン。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」た日本国憲法ができたことを知ったのは、中学生のころか。定かでないが、国民の体験にもとづくものであることは間違いない。その反省を捨ててアベ政治が「戦争をできる国」にしようと九条改定を企てるなど言語道断や。昼は、納豆ぶっかけ讃岐うどん。
わが脳の影を見つめる開戦忌 昇龍子
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ノーやん

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