ノーやん日記パート2

いつも夢を胸に

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 曇りのち晴れ。朝、ガス給湯器の取り換え工事。きのう千里図書館で借りた「仰臥漫録」の付録「子規とその妹、正岡律」を読む。筆者の早坂暁さんは松山出身。子規と同郷の人。昨年末、88歳で亡くなられた。その早坂さんは49歳の時、心筋梗塞と胆のうがんで余命2~3年と告げられ、絶望の淵に立たされた。以来“死のレッスン”に取り組んだ。ビバルディの四季を聴いて号泣した。ご自身の体験とダブらせて結核性脊椎カリエスに苦しむ子規の闘病と妹律の看病のことを書いた。死に向き合うとは。

 早坂さんは、喉頭がんで余命1年半~2年と告げられた中江兆民の「1年有半」や臨床医の報告「死ぬ瞬間」などを読み、ご自身のヒロシマでの被爆体験にも触れて、絶望の魂から自分を救い出してくれたのが「仰臥漫録」だった、という。子規を支えた妹律さんを「最強にして最良の看護人」と記す。

 早坂さんの一文で中江兆民の「一年有半」に「虚無海上の一虚舟」という言葉があるのを知る。“種をまけ、種をまけ、百年後の実りを信じて”という意味らしい。兆民はJ・J・ルソーの「民約論」を訳し「民約釈解」を出版している。帝国憲法を嘲笑い、武力をもたない国のかたち示した。それが敗戦後新憲法に実った。写真上=1970年代に憲法知事を誕生させた大阪を象徴する湯飲み茶わん。

 子規も死の間際まで懸命に庭の糸瓜を写生し鶏頭を写生し、俳句革新に生涯を傾けた。絶望しない。いつも夢を胸に。昼は千里中央の出石蕎麦やで外食。東町公園で竹林を散策(写真下)。
          竹林の淑気鼻から深々と 昇龍子

 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}はいそうです。「仰臥漫録」には、病床の日記に絵や庭を見ての俳句が書きつけられています。
fm
またまた幼稚な質問ですみません。子規は作句で写生を強調したと了解していますが、実際に写生していたのですか。
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