早坂さんは、喉頭がんで余命1年半~2年と告げられた中江兆民の「1年有半」や臨床医の報告「死ぬ瞬間」などを読み、ご自身のヒロシマでの被爆体験にも触れて、絶望の魂から自分を救い出してくれたのが「仰臥漫録」だった、という。子規を支えた妹律さんを「最強にして最良の看護人」と記す。
早坂さんの一文で中江兆民の「一年有半」に「虚無海上の一虚舟」という言葉があるのを知る。“種をまけ、種をまけ、百年後の実りを信じて”という意味らしい。兆民はJ・J・ルソーの「民約論」を訳し「民約釈解」を出版している。帝国憲法を嘲笑い、武力をもたない国のかたち示した。それが敗戦後新憲法に実った。写真上=1970年代に憲法知事を誕生させた大阪を象徴する湯飲み茶わん。
子規も死の間際まで懸命に庭の糸瓜を写生し鶏頭を写生し、俳句革新に生涯を傾けた。絶望しない。いつも夢を胸に。昼は千里中央の出石蕎麦やで外食。東町公園で竹林を散策(写真下)。
竹林の淑気鼻から深々と 昇龍子
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ノーやん
fm
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