ノーやん日記パート2

松過ぎて

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 曇りのち晴れ。ぶるぶるするほどではない。適当な寒さ。自治会の役員諸氏と管理組合役員のみなさんが朝早くから年末年始のイルミネーションの撤去作業をはじめている。「ごくろうさんですね」。声をかければジョウロを両手にもつ愚老にも同じように「ごくろうさまです」。言葉が返ってくる。すがすがしいね。パンジーの花がらを摘む。連日、大阪も10度以下の気温がつづく。そのせいやろう。花の生長もゆっくりしている。寒に耐えて咲く花は美しいと教わった。春百花繚乱を期待しよう。

 お昼はきょうも「きしめん」。この麺、大阪では梅田と堂島の地下にあるA「きしめん」店以外にお目にかかったことがない。讃岐うどんのようなうまさ・満腹感はないがつるつる感がなんともいえん。義妹からもらった「みそきしめん」をいただく。

 午後、市内の社会科学古典本学習会に行く。音頭をとった友人のAさんが座長役で毎回10人くらいが参加している。きょうは20回目。日本という社会は外科的手術を要するようだ。(写真上=平城宮跡復原大極殿、下=大正天皇が座ったという玉座)

凧上げの合図や晴れる平城宮 愚老
鳥羽港鳶ざんぶと魚狩る 同

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%うれしいwebry%}fmさん、ぼくが義妹からいただいたきしめんの栞には中国の「棊子麺」に由来するとありました。近松門左衛門の浄瑠璃「天神記」には唐からの客人をもてなす料理のひとつだったとか。諸説あるんですね。
fm
たしかに名古屋名物になっていますが、名古屋で売っているのに、よく見ると和歌山県のがありました。全国どこでも作れるのです。

さらに「きしめん」の俗説のなかに紀州公が尾張に宿泊されたとき、ことのほかお気に召されたのことです。それで紀州の麺、きしめんになったという話はご存知でしょう。そのご紀州公が和歌山で作るように命じられたかどうかは知りません。
ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%うれしいwebry%}fmさん、それは知りませんでした。なんで名古屋の名産になったんか?ですね。
fm
きしめんの製造所をみると、和歌山県であったりします。和歌山産が大阪を飛び越して名古屋に行くのでしょうか?「きしめん」の「きひし」は紀州のなまったものちう俗説がありますが、うーん。
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