祭りごとといえば、日本も中国も騒乱によって悲劇を繰り返す権力の奪い合いだった。中国の後漢の時代には乱世を厭う優れた詩人がつぎつぎ登場したと林田さんは書く。そのうちの一人王粲(おうさん)の七哀詩(しちあいし)に思わず涙した。飢えにさらされた女が子どもを草間に捨てあふれる涙をぬぐいながら立ち去ったという詩。あまりにも現代的である。
日本の祭りごとは7月21日、終わった。しかし、選挙結果に自信を得た安倍政権はすでに着手済みの貧困化政策の法制化をすすめるだろう。その結果、新たな悲劇の発生が予想される。悲劇はもう、あとの祭りなのだろうか。そんなことはない。対抗すべきはみちはある。人としての尊厳をかけて戦うこと。抵抗権の行使。欧米に比べて日本人の弱いのはこの抵抗権の行使ではないか。
最近では、沖縄県民の島ぐるみの抵抗や列島各地の原発なくせのこえなど広がりつつあるように思う。しかし、長いものにはまかれろ意識は依然として根深いように思う。ニッポンの自立はそこからの脱却からはじまるのではないか。L・イエーリングの「権利のたの闘争」を思い起こす。(写真上は夏祭り定番のふわふわゴリラ。下ビンコゲーム大会会場)
祭り終えごろんと風入れひとやすみ 龍尾
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ノーやん

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