明治30年(1897)30歳の時、漱石から子規へ。「われ一転せば猿たらん、われ一転せば神たらん、わが既往三十年刻して眉宇の間にあり」「漱石子遂に猿に退化せんか将た神に昇進せんか。そもそもまた元の黙阿弥か、南無愚陀仏」。子規から漱石へ。「僕の身はとうから捨てたからだだ。…死にたくはないけれど到底だめだと思へバ鬼の目も涙の出ることもある。それでも新体詩かなにかつくってゐればただうれしい。死ぬるの生きるのといふはひまな時の事也」「この韵はむつかしいが何かいい韵はあるまいかと手製の韵礎を探ってゐる間に生死も浮世も人間も我もない」。片やのるかそるか。片や生きるか死ぬかを超えて俳句の韻に没頭。
昼は、釜揚げうどん。生姜とゴマと柚子と大葉をタレ汁に入れてぬくもる。午後、中之島図書館へ返本。脳と落語と俳句の本を借りる。梅田のYカメラ店でキイボードカバーを買う。規格品は生産停止で取り扱っていないそうだ。キイボードの型に関係なく使える。新素材製品。
俳人を宣言したからには、相応の精神を打ちこまねばならぬ。千里東町界隈を歩いた昨日の続き(写真上下)に一句。
徘徊の路傍にひょこっと実南天 龍尾