「芭蕉とユーモア」は哲学者の書いた本なので、こってり鎌倉時代まで遡って、芭蕉のユーモアの源流を突き止める解説がつづく。ところどころ芭蕉が先人のどこに関心を寄せていたか触れてはいるのでよいが、まだかまだかと思いながら読む。やっときょう、貞門に反旗を翻し新風談林派の盟主となった西山宗因の笑いにたどり着いた。「世中よ蝶々とまれかくもあれ」(宗因)。門人・井原西鶴の「矢数俳諧」はよく知られている。その解説も面白い。住吉社前で一昼夜に二万三千五百句も独吟したとか。ほんまかいな。若いころ談林派に傾注していた芭蕉は、放縦乱脈な俳風の横行に対し新たな俳風を開拓する動きをはじめたという。「天秤や京江戸かけて千代の春/あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁/夏の月御油より出でて赤坂や」。よく知られている句だが蕉風の先駆的な作だという。ノートにメモする。
春待って千里の木々は総立ちす 龍尾
(写真上=上新田4丁目の畑の梅の花、中・下=千里南公園の梅林)
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ノーやん

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