しかし、俳文学の専門家の中には一茶を「野卑」「直情径行の小児」、教養のない「風変わりもの」など人柄と作品の文芸性に疑問を呈する論者もいる。ぼくは一茶全集を読んでみて、並はずれた行動力、人付き合い、人懐っこい人柄も知った。人間的な魅力を感じた。こんにちの「俳句」を庶民のものにするうえでぼくは一茶の果たした役割は大きいと思っている。
後世、島崎藤村は「私たちの煩悩を代表しているような一茶の強い執着は、自己の欲するところを芸術にも生活にも実現せずにはおかなかった」(『一茶の生涯』大正13年6月)と評した。作家の井上ひさし、田辺聖子、藤沢周平など現代の作家が「一茶」を書いているのもその人と作品に魅力があったればこそではないか。
ぼくもその魅力にとりつかれた一人である。一茶は30代に7年に及ぶ西国乞食(こつじき)の旅で修業した。大阪では大江丸はじめ当代一流の俳人たち100人以上と交流し、「ちゃちゃむちゃ」とか「ちちくりあう」「ちょろまかす」「どしょうぼね」「とっぱずれ」などの浪花ことばを覚えた。長旅を終えて江戸へ帰るときにも大江丸は「一茶坊の東へかへるを」と前書し、「雁はまだ落ついて居るにおかへりか」「花もみて鰹(も)喰ふて御かへりか」の送別吟をおくっている。「野卑」で風変わり者ならば、大阪一の飛脚問屋の主に相手にされなかったはずだ。まして100人以上もの俳人と交流するようなことはできなかったであろう。
腰毛布くるくる巻いて一茶読む 愚老
筆まめな一茶に学ばん冬籠り 同
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ノーやん

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