「我と来てあそぶ親のない雀」(七番日記)と「八歳の時 我と来て遊ぶや親のな雀」(句稿消息)。金子さんは中七が「遊べや」句は<あそんべ~や>という方言が織り込まれた句と解する。「おい遊べよ」とか「遊びなさい」といった、「なんとなく見下した言葉としては読まない」 。「あそぶ」と寸詰まりのことば遣いを選んだのは「子供らしさをあらわそうとしての工夫だったろう」、そして「遊ぶや」の句は<遊ぶのかいなあ>と「いささか雅びて、構えている印象さえある」と読み解く。ちなみに岩波文庫の「新訂一茶俳句集」には「遊ぶや」が選定されている。
一茶の句は、総体に俗語を取り入れた野暮ったい表現が多い。江戸俳界に流行した「洒落風」に反撥する葛飾派の「田舎風」を一茶が学び影響を受けたと金子さんはみる。同感や。「西国紀行」を読んだときにも学んだが一茶は“メモ魔”で地のことば方言を書きまくっている。地べたを這うように詠む句風に雅やかさは欠けるがそれもよし。昼は賢妻のつくった田舎風煮麺を頂く。
青い実のうぶげは白し鳳仙花 昇龍子
(写真上=豊島公園入り口花壇、中・下=服部緑地公園のフラワーロード)
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ノーやん

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