ノーやん日記パート2

春くらし

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 朝、霧のような雨(写真)。自転車で市内の脳神経外科まできのうのけがの消毒に行く。痛みはない。消毒と抜糸は自宅に近い医院でもよいそうなので明日からはそうしよう。帰りには細い雨となる。パンを買って帰る。

 雨止まず。日中なんとなく気分がくらい。寝転がって秋田実さんの「大阪笑話史」を読む。漫才の発祥地は大阪だが、その嚆矢は大阪仁輪加だったという。それが明治の終わりから大正のはじめ、三河万歳の太夫・才蔵の形を借りて「名古屋万歳」に変わり、新しい興行として天満天神さんのそばの小屋ではじまったという。「名古屋万歳」がさらに「高級万歳」として名をあらため東京に進出するようになったという。関東大震災で有力な漫才さんが全部関西に逃げ帰り、舞台の上から大震災の様子をくわしく報道するニュース演芸として反響をよんだという話にはなるほどと頷いた。

 1930年にエンタツ・アチャコのコンビが結成され戦争中の1934年には「早慶戦」が人気を博し漫才の隆盛を築くきっかけとなったそうな。ぼくが生まれる前や。「早慶戦」は録音で聞いた覚えがある。漫才は猥雑な話や貧乏暮しの話からはじまって庶民の目線にたった演芸へと発展してきた歴史が分かる。
 昭和のはじめころまでは漫才小屋に臨官席があり漫才さんが失言したり口が滑ると警察に始末書を書かされていたという。警官を笑わせることを競い合ったというエピソードも紹介されている。まだ読み途中だが感想メモを記す。

春くらき身をはげまして笑話史読む 愚老

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%うれしいwebry%}mikomaiさんありがとうございます。人はなぜ笑うのかに興味をもち「笑学」を勉強中です。
ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%うれしいwebry%}ぼくはエノケン映画を挙母の劇場で見ました。喜劇俳優・エノケンさんが夜中、口裂け女に出刃包丁を研いで食われそうになる怖い映画でした。そのシーンが夢にも出てきたことを覚えています。アチャコさんの「ムチャクチャデゴザリマス」はよく口真似しましたね。
fm
「春くらき身をはげまして笑話史読む」

私が生まれて初めて見た映画はエノケンの「法界坊」でしたが、エンタツとアチャコも記憶にあります。
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