小樽は海鳥が飛ぶ町だった。駅前から海方向へ20分ほど広い道路を下ると小樽運河に出た。まちには明治期に北海道に初めて開通した鉄路や銀行、倉庫、古民家などの建造物が残る。市はそれらをうまく観光に生かしている。まだ、朝の9時前というのに運河沿いの土地には、中国語らしき会話を交わす外国人の集団が群れをなしていた。外国へ来たのかと錯覚しそう。
運河を東方向へ歩くと明治期の銀行群に出た。多喜二が入行した銀行の小樽支店もあった。「おい、地獄さ行ぐんだで!」。数年前ブームになった『蟹工船』の書き出し。多喜二はこの銀行で、資本主義のあくどさを体験したのかと思いを馳せる。
ガラス細工やオルゴールなどの工芸品が並ぶ堺町へ出る。外国人客であふれている。暗い倉庫跡の喫茶店に入り多喜二を思う。おみやげにオルゴールを買う。
玻璃風鈴多喜二のまちを賑やかに 昇龍子
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ノーやん
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