風・雨・雪混じりの寒夜、しわぶきながら糟湯酒を啜る「貧しき人」の父母や妻子が竪穴式住居の「伏いほ」「曲いほ」の土間に藁を敷き、薄い夜具を引っ被って体を寄せ合い寝る姿。竃には火の気なく、めしを炊く甑には蜘蛛の巣がはる。そんなくらしをしている家に「里長」がズカズカやってきてなにやら声あげて律令の課役を迫る。そんな光景が浮かぶ。憶良は笞うつ側の人間だろうが当時の世相を活写しているように思う。歌を作った時期は旅人の没した天平3年(731)~憶良の没したと見られる天平5年(733)の間と推定されている。この頃は凶作で飢饉や疫病が人々を襲ったという。歌は花鳥諷詠だけではない。「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 憶良」。
町内を徘徊する。3丁目の土手にススキが穂を靡かせていた(写真上)。昼は納豆ぶっかけ素麺。賽の目カットのトマトや生卵、生姜・ネギごちゃ混ぜに。食えるだけでもありがたい。
こほろぎのこえに安堵の夜明け前 昇龍子
コメント一覧
ノーやん
fm
最新の画像もっと見る
最近の「インポート」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事