ノーやん日記パート2

憶良「貧窮問答の歌」

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 曇り。朝方は暑さ緩む。夜明け前に蟋蟀の声を聞いた。秋は来ている。安堵する。万葉集巻の五。筑前守・山上憶良が70歳を超えて詠んだ「貧窮問答の歌」を読む。山本健吉氏の訳と解説を見る。「詩としての自由さが乏しい」「主人持ちの文学」で「散文的列挙」という批評がされている。専門家の厳しい目なのだろう。しかし、ぼくには貧苦にあえぐ人々のリアルな描写が胸を打つ。

 風・雨・雪混じりの寒夜、しわぶきながら糟湯酒を啜る「貧しき人」の父母や妻子が竪穴式住居の「伏いほ」「曲いほ」の土間に藁を敷き、薄い夜具を引っ被って体を寄せ合い寝る姿。竃には火の気なく、めしを炊く甑には蜘蛛の巣がはる。そんなくらしをしている家に「里長」がズカズカやってきてなにやら声あげて律令の課役を迫る。そんな光景が浮かぶ。憶良は笞うつ側の人間だろうが当時の世相を活写しているように思う。歌を作った時期は旅人の没した天平3年(731)~憶良の没したと見られる天平5年(733)の間と推定されている。この頃は凶作で飢饉や疫病が人々を襲ったという。歌は花鳥諷詠だけではない。「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 憶良」。

 町内を徘徊する。3丁目の土手にススキが穂を靡かせていた(写真上)。昼は納豆ぶっかけ素麺。賽の目カットのトマトや生卵、生姜・ネギごちゃ混ぜに。食えるだけでもありがたい。
          こほろぎのこえに安堵の夜明け前 昇龍子

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%トホホwebry%}宮廷のお役人や豪族らは酒を飲んでいたでしょうが地べたの民衆は、その酒糟を湯に溶いて飢えを凌いでいたようですね。
fm
「こほろぎのこえに安堵の夜明け前」

エミリー・ディキンソンには、こほろぎの声は弔いのミサの合唱に聞こえたらしい。夏と送別する大合唱だったようです。

憶良の歌はいまだに記憶に残っています。当時の酒はどんなだったでしょうね。
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