午後、吹田へ買い物に出る。日中は暑い。行き帰り秋を見つけようと路傍を注意した。キバナコスモスと稲穂(写真下)以外に気付くものがなかった。ま、そんなもんや。現役の記者さんなら栗の実でもなんでもいい、無理やりでも秋を撮ってくるだろう。それを仕事として時間を費やす人もいる。ぼくはいま毎日サンデーの“退役兵”。自分で時間を思うままに采配出来る。それだけに時間を浪費しないよう心がけたい。葬式の時間を間違えるようなドジは繰り返すまい。
過ぎ去った時間は取り戻しようがないが、時代の進歩は、そんなぼくも包み込んでジグザグしながらギシギシと動いてきたのではないか。一見、とるに足らぬ日常の中に時代の進歩の因子が潜んでいるのではないか。若い人と話をしていて、さいきんそう考えるようになった。スズムシが西瓜やナスや鰹節を食べるのと同じようにぼくも西瓜を食べて何かを詠おう。一匹の虫として。
いわし雲忌日きのふに過ぎゆける 多佳子
安らかな眠り誘ういわし雲 愚句
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ノーやん
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