ノーやん日記パート2

筍めし

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 雨のち曇りのち晴れ。きょうも冷えるナ。雨合羽を着て自転車で外出。樫ノ木公園の北側にある高台のベンチでいつも座ってなにか考えている風の長髪の中年男性の姿がけさはない。雨だからか。うぐいすはあいかわらず「ホ~ホキキョ」と詰まって歌っていた。

 坂道も登りつづけるとだんだん足が慣れてペダルを重く感じない。なにごとも習うより慣れろやなあ。お昼、Aさんがつくってくれた筍めしを頂く。美味しかった。筍は、和泉に住む妻の友人から毎年送ってもらっているので筍ごはんや筍和えに与っているが、きょうの筍めしはちょっと早い目。愚妻のつくる輪切りの筍にめしがくっついているのとは違って筍はサイコロほどの大きさに品よく刻み、ニンジンと竹輪を刻んで炊きこんだ。細やかな味わいのあるご飯だった。同じ筍めしもつくり方が人それぞれ。甲乙はつけがたいが。

 安岡章太郎さんの随筆集「へそまがりの思想」を読む。安岡さんはかなり恐妻家だったようだ。「女性恐怖」というエッセイを読むと、鼻くそをほじくっている亭主に、「あなた、その指を一体どうするつもり」と言われたときの驚愕や女独特のいたぶりに同志的共感と連帯感を覚える。 イタリアの作家モラヴィアは「軽蔑」という作品の中で「男は文明人、女は非文明人」と問題発言をしているらしいが、それを「合理的・理性的」と「情緒的・非理性的」と誤訳すると、当たらずとも遠からずと言えなくもないナ。写真上、千里東町の散り桜、下千里北町の散り桜。
             筍の時代に生きし飯の味 昇龍子
             土筆んぼ摘んで帰るや晩の菜 同

 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}先日、府営住宅に住む男やもめHさんが服部緑地で採ってきた土筆を片手に乗る程ビニール袋に入れていたので「それどないすんねん」と聞くと「今晩のおかずや」という。終戦後を思い出しました。
fm
「土筆んぼ摘んで帰るや晩の菜」

土筆は食い物がない時代にはよく見つかりました。懐かしいです。高度成長時代に時代に取り残された老いた夫婦が開いていた飲み屋に土筆の煮物があったのを思い出します。

戦後、田舎の電車を降りて路線の土手沿いに歩くとよく見つかったものですが。
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