ぼくは当時1歳9か月だったから戦争拡大のことは直接には知らない。けど名古屋大空襲の日のことは去年のブログにも書いたとおりはっきりとその断片が記憶に焼き付いている。とりわけ防空壕の入り口に火の粉が入り家族全員が逃げ出したときのこと、家の壁が爆風ではがれ倒れていたこと、周りの家が軒並みつぶれて遠くまで見晴らせたこと。空襲から逃げていた姉とぼくを保護してくれた市民病院前の時計屋さんは電気が点いて明るかったこと…。5歳の記憶。いまもなお。
日本がいっさいの軍備と戦争を放棄し、平和国家として歩むことを宣言した平和憲法を持ったことをぼくは、子ども心に喜んだ。けど敗戦後65年、この憲法を踏みにじって平気な政治が続いてきた。軍備はもつは戦争にも加わろうとするは。おかしな具合や。いまでもぼくは、怪しげな飛行機が飛んできて逃げまどうぼくを銃撃する夢をみることがある。国が戦争状態にある子どもたちはどうなんやろう。時々思う。
きょうは朝、千里中央のペインクリニックで診療を受ける。「痛さが固定してしまった感じです。どうしたらいいですか」「新薬に変えて見よか」「それいっぺん試したけどあかんかったんですよ」。「ほな、ガバペン増やしてみるか」「わかりました。寝るときもう一錠増やして下さい」。きょうの診察は午後の1時半までかかった。受付のNさんが声をかけて下さった。「だいぶお顔の表情がよくなりましたね」「ありがとうございます」。千里セルシー広場にクリスマスツリーが立つ(写真下)。
お昼を外食し、東町公園を通って帰る。公園の池を覗くと鷭のペアが2組いる。パンをちぎって投げると近づいてくる(写真上)。ひごいも来た。戦争の心配のない空間。
首根っ子をブスッと注射開戦日 愚老
真っ黒な鷭とパン食う開戦日 同
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ノーやん
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