昨日は「ダメなものはダメ」について
私の思いを少し書きましたが、こうも思っています。
間違っていたなら、ごめんなさいね。
ダメの一言が通用?した時代は、カミナリ親父が居たし
隣近所同士の付き合いと言うか、絆が深かったのでは、ないですかね。
親父が丸くなり、ご近所と付き合いが無くなったほど
ダメな事に理由を求めるようになったかもしれませんね。
それと学校の先生との絆、これも昔と違いますかね。
暴力を肯定する訳じゃあないですが
悪い事をしたら殴られたし、それが当然という気持ちもありました。
それに殴られた事を親にも言えませんでしたね。
そんな事を言えば「何?悪い事をした」と今度は、親にも怒られますから。
今は多分、殴る先生は居ないし、もし居たとしたら
親が「何故?殴った」と文句を言われて困るのでしょうね。
絆な大切と言われる時代、改めて考える必要もありかな?と思います。
npo-friends@mail.goo.ne.jp(事件に関係する情報は、こちらのアドレスへお願いします)
事件と謝礼金についてはこちらです
私の思いを少し書きましたが、こうも思っています。
間違っていたなら、ごめんなさいね。
ダメの一言が通用?した時代は、カミナリ親父が居たし
隣近所同士の付き合いと言うか、絆が深かったのでは、ないですかね。
親父が丸くなり、ご近所と付き合いが無くなったほど
ダメな事に理由を求めるようになったかもしれませんね。
それと学校の先生との絆、これも昔と違いますかね。
暴力を肯定する訳じゃあないですが
悪い事をしたら殴られたし、それが当然という気持ちもありました。
それに殴られた事を親にも言えませんでしたね。
そんな事を言えば「何?悪い事をした」と今度は、親にも怒られますから。
今は多分、殴る先生は居ないし、もし居たとしたら
親が「何故?殴った」と文句を言われて困るのでしょうね。
絆な大切と言われる時代、改めて考える必要もありかな?と思います。
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