
老いらくの恋、の話ではありません。
信州辰野の蛍の写真が新聞に載っていて、恋の蛍、という言葉を思い出しました。
恋い焦がれる想い、身を焦がす想い・・・・恋のほたるは燃えはてぬべし。
辰野の蛍、それはまあ見事で・・・・と、むかし、義母も言っていました。
その義母が亡くなった時に見た蛍も忘れられません。
義弟と呑みに出かけての帰りの夜道、小川のほとりの草叢の上に無数の蛍が乱舞していました。
二人で期せずして、うわっ、と声をあげ、しばしのあいだ、見とれていました、呆然と。
あれだけの数の蛍を見たのは、あとにも先にもその時だけ。
もう30年も昔のことですから、いまはそんな光景も見れなくなっているでしょう。
旧い、恋の蛍の歌ひとつ。
「あまひこよ雲のまがきにことづてん恋のほたるは燃えはてぬべし」
恋といえば、異性を想い慕う心。(時には同性のことも?)
と思いきや、古代は人だけでなく、季節や風土や植物などにも使ったようです。
愛で慈しむものであれば、川面の霧でも牡鹿の声でも秋萩でも・・・・。
たしかに、対象が何であれ、共通の心情があるように思います。
だから、人だけを対象にした今の恋の使い方はちょっと残念。
自然に恋する・・・・なんて環境問題にも通じるのではないでしょうか。
恋の染衣(そめぎぬ)、恋のかけはし、恋の山路・・・・。
恋の初風は、人を恋いそめる頃の初恋の心、まだあげ初めし前髪の・・・・の世界。
いやあ、半世紀昔に還りたくなりますね~。
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