春夏秋冬・・・我が家で使っているだしの素の商品名です。
かつおぶしだしで、何に使っても合うので、30年来、使い続けています。
自然食品の店から買っているのですが、その店一番の人気商品だそうです。
日本では、春夏秋冬の移り変わりが生活のだしの素になっているような気もします。
季節の変わり目も含めて、四季折々の固有の風情があります。
そこに感情移入することで、和歌や俳句などの文化も生まれてきたのでしょう。
春には春の花が咲き 秋には秋の花が咲き・・・
そんな歌いだしの歌があったような気がしますが、続きも題名も出てきません。
代わりに思い出したのが、昔は、季節という言葉がなかったということ。
春、夏、秋、冬という個別の言葉はありましたが、それらを抽象化した「季節」は無かった。
そう言われてみると、たしかにそうかもしれません。
花の色、風のそよぎ、枯れ葉など、視線がより繊細な方向へ向かうからでしょうか。
晴れ、雨などもそうで、〇〇晴れ、〇〇雨などはあっても、天気、天候とかは新しい言葉。
繊細さに感情移入すれば、普遍化、抽象化する言葉は必要なかったのかもしれません。
時々、言葉を知らなかったつもりになって、空や川や木や花を見ることがあります。
無心でモノを見たらどうなるのか・・・でも、言葉抜きでは世界は立ち上がらない。
人はすでに言葉を通してしか世界を見れなくなっているのでしょうか。