精神にも筋肉があるのかな?
誰が言ったか知りませんが、面白い表現。
ものごとに敏感に反応するためには、精神にも筋肉が必要ということ。
知識より認識の力を、ということなのかもしれません。
頭を知識でいっぱいにしても、アタマがメタボになるだけ。
頭デッカチにならないで、考えるためのスペースを開けておけ。
というふうに勝手に解釈していますがどうなのか。
知識偏重型の日本の教育にとっては、耳が痛い言葉かも。
アタマばかり使っていないで、もっとカラダを使え。
プロメテウスが人間に与えたのは知識ではない。
火であり、火を使ってものを作り出す力だった。
そう考えると、日本のものづくり力の衰退は、教育と深く関係している?
数学や語学なども、公式や文法から入るからなかなか身につかない。
数学嫌い、語学苦手のわたしも犠牲者の一人。
抽象から具象へ、ではなく、具象から抽象へ、ではないか。