limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

火を噴いた理由

2017年01月23日 15時17分29秒 | 日記
昨年8月に世界で相次いだ「ギャラクシー・ノート7」の発煙・発火事故。サムスン電子の発表によれば「電池自体の欠陥が原因と結論づけた」と言うものになった。でも、何となく釈然とはしない思いが過った。外部の民間機関に調査・鑑定を依頼した結果、電池メーカー2社(確か中国メーカーだったと思う)が製造した2種類のリチウムイオン電池それぞれに構造上の欠陥があり、ショートを引き起こした事がわかったという。実は、中国で製造されている携帯用リチウムイオン電池は、以前から「危険視」されていた。中国で出回っている交換用の電池には、過充電を防ぐ「ヒューズ」が組み込まれておらず、発熱や最悪の場合破裂する恐れがある事は、公然の事実だった。表向きはメーカー各社のロゴが付いていて、一見しただけでは分からないが、X線で透視をすると「ヒューズ」が組み込まれておらず「模造品」であることが一目瞭然なのだ。何でも「コピー」して安価に販売し暴利を貪るのは、中国の十八番だが「安全」に関わる部分については、どんなものでも考慮すらしない。とにかく「安さ」が売りなので、コストが嵩むことは全て手抜きなのだ。そんなメーカー・業者が暗躍する土地柄のメーカーに、スマホの核心部分の電池を発注すること自体が大間違いである。サムスンの高東真社長は「ノート7の電池は小型化の一方、大容量が課題で、電池メーカーは設計・製造で新たな試みをした。問題点を販売前に検証できなかった責任を痛感している」と陳謝・謝罪したと言うが、「電池メーカーは、設計・製造で課題を克服できずに手を抜きました」と言う「本当の理由」は言わなかった。と言うか「言ったら最後」なのでお茶を濁したに過ぎない。これは、韓国メーカーとしての「悲しい意地」が透けて見える「哀れな発表」である。スマホの電池の小型化・大容量化は製品の死活問題でもある。使う電力は減らない(と言うか増えていく一方)が本体の薄型化・防水化・多機能化は加速度的に進んでいる。ユーザーの使用方法にもよるが、電池の持続時間の長時間化は、他社との競争でも譲れない一線である。信頼性が高く性能要件を満たす「日本製もしくは日本メーカー」の電池は、意地でも使えない(と言うか使っているのがバレたら韓国内で総スカンを喰らうし、バッシングも半端ではない。己の首も危うくなる)。かと言って新製品の発売を遅らせれば、韓国のGDPが下がってしまう。「販売前に検証できなかった」とは「検証をする余裕すらありませんでした。GDPの数値を下げるような国賊にはなれませんでした」と言い換えれば説明がつく。そうでなければ、発火事故後に交換した躯体からも発火が起こった事が説明できないのだ。つまり、国内経済の更なる悪化を避けるべく「焦りまくって投入しました。何も見てません」と言う事だ。今後について、サムスンは「電池の出荷前検査を強化し、中核部品の工程管理をする専門チームを創設する」としたそうだが、当たり前の事すら「やってなかったのかい?」とあきれ果てるしかない。これで「ギャラクシーブランド」(サムスンブランド全体)の地盤沈下は決定的になった。幸い、日本では1台も販売されていなかったので大事には至らなかったが、国内の携帯3社が、今後サムスン製品を扱うかどうかも怪しくと言うか「危険視」するのではなかろうか。既に販売を終了した旧製品も疑わしい。ギャラクシーユーザーは、自分の携帯が「常に発火の恐れがある」事を認知すべきだ。昨年末、携帯スマホ充電池の発火事故も起こっているし(中国製)、正しい使い方をしていても発熱を感じたら使用を中止するべきだ。今、韓国国内も火の手数多であるが、先陣を切って発火したサムスンのギャラクシー端末。あまりにもお粗末な結末は「さすが韓国」と言っておこう。ちなみに、サムスン製の「白物家電」も各国で発火・爆発事故を起こしているようだ。Made in Korea の刻印・表示があったら要注意である。韓国諸共爆発炎上し多大なる損害を被ることになる。「ギャラクシー効果」はもう蘇らない。

社会の片隅から

2017年01月23日 11時11分15秒 | 日記
違法な長時間労働で、社員が命を絶ってしまった「電通」の社長が交代する。内部昇格であるが、これにより「電通」の社風が変わるとは到底思えない。あの会社の異常さを刷新するならば「外部招聘」にするべきだった。社内の人間では、中で蔓延している数々の弊害に気付けるはずもなく、根底に巣食う病巣へメスを入れるのは不可能に近い。詰まるところ「電通」は、何も変わらずにいずれまた「命を散す社員」を生み出すことになるだろう。悲劇は3度繰り返すのは、間違いない。
男性社員が「育児休暇」を取得すると、復帰後に「不利益な扱いを受ける」と言うのも最近問題になっているが、日本の社会や会社組織の考え方は、恐ろしいほど古めかしい事に恐怖を感じる。「育児は女性が担うもの」「育休は女性だけの権利」と言う男尊女卑的な会社制度が、何も変わらないのでは「1億総活躍社会」など絵空事でしかない。「育休」の2文字を口にした瞬間から「リストラ対象者」の烙印を押されるのでは、女性の活躍も女性管理職も増える事はないのだ。安倍首相は、こうした会社組織の現実を認知しているのだろうか?塩崎厚労相も同罪だ。
私もかつて「違法な長時間労働」を経験した一人である。そして結果的に「心を病み」会社を追われた経験がある。今は、非正規労働者として社会の底辺でひっそりと生きている。現在、求職中だが「精神障害者」である事を理由に、ことごとく落選し続けている。12社に応募して、面接にたどり着けたのは僅かに3社のみ。その内の2社からも落選通知を貰っている。障害を負わされ、非正規に身を落とすと「正社員」へ戻ることは、不可能に近い。こうした「掃き溜め」に生きている者の声も安倍首相や塩崎厚労相には聞えては居ない。悲しいがこれが現実の社会だ。私は、製造現場から管理部門に異動となってから、陰湿な上司のイジメのターゲットにされた。残業時間は一切カウントされず、土曜・日曜も「自主的に出勤して」業務をこなすように強要された。「拒めばよかったのに」と思われるかも知れないが、拒めば「兵糧攻め」(つまり昼食なし)とノルマの「上積み」で対抗された。私の仕事が滞れば、製造現場のラインが止まるのである。責任と重圧を背負わされた私が、潰れるのに差ほどの時間はかからなかった。当然の事ながら、上司も会社も「精神障害受傷」に関わる責任は、何一つ取ろうとはしなかった。上司も何の処罰もされなかった。それどころか、定年後に「再雇用」されて、ヌクヌクと5年間も会社の椅子に座り続けた。私の一件は「私的傷病」として処理し、成績が上がらないと見るや「退職勧告」を就き付け、会社から追放同然に追われた事は、今でもトラウマになっている。労災認定を求めて闘う道もあったかも知れないが、巨大組織に個人が抗うには、分が悪すぎた。死んでいれば話は違っただろうが、私は生きている。長い消耗戦を戦い抜く力も資金も無い。だから、私は闘争の場から降りた。命があれば「また陽の当たる場に出られる」と自身を納得させて。そして、10年余りの時間が流れた。非正規の悲哀をかみ締めながら、失業者としての苦渋に耐えながら、今を懸命に生きている。正社員として定年まで1社に勤め続けていたら「見えなかった」だろう事も見てきた。交替勤務に振り回されて、見えない時計と格闘する心配も無くなった。失ったモノもあるが、大切な子供の成長に関われたのは唯一の救いだ。社会の底辺で貧困と見えない明日に絶望する時もあるが、人にはそれぞれ「人生の時間割」があるはず。今は「陰」の時間でも、もうすぐ「陽」の時間になる。そう考えれば、そう信じなくては現代で生き残る事は出来まい。明けない夜は無いし、季節は多少のズレがあっても確実に巡っている。自ら命を捨てようとした事も、何度もあるがその話はいずれまたの機会にしよう。今を「生きている」事こそ大切なのだから。
「多様な働き方」について様々な議論があり、改革を進めている企業もある。日本の慢性的な長時間労働は、労働生産性の低下を招いていると言う指摘もある。男女の別なく「育児」に関われる社会。男女の別なく「管理職」になれる社会。障害の有無に関係なく働ける社会。人口減少と高齢化に打ち勝てる社会。社員が落命しなくても報われる社会。今を生きている私達の肩にかかっている「変革」と言う課題。目を逸らすことなく、真正面から受け止めて私達は生き抜いていく責任がある。私もあなた達「みなさん」も。