“スナイパー”の運転する車は、ゆっくりと高速道路へ侵入した。天気は快晴。前後に目立った車の列は見当たらない。少しでも時間を稼げる区間では、車速を上げて走行する予定なので、エンジンは咆哮しスピードに乗った。「警察無線から耳を離すなよ!どこに居るか分かったもんじゃない!」“スナイパー”は前後左右に目を配りながら、速度を調整してく。「フレンチ軍団はどこだ?」N坊が後ろを気にしながら言う。「警察無線は沈黙してる」助手席のF坊も一心に聞き入りながら言う。「少し早めの出発だったから、“盾”が来るのは、これからだろう。前方のインターから乗り入れて来る可能性もある。いずれにせよ、間もなくフレンチの塊に包囲されるだろう」“スナイパー”は、少し速度を落としてフレンチ軍団の出現を待った。その時「何だ?あの奇怪な車両は?!」N坊が後ろ見ながら言った。「来やがったか!シトロエンの旧車共だ。ヤツらは、あまり速くは走らない。“防波堤”になるはずだ。ヤツらに抜かれない様に走らないと、ペースが落ちる」“スナイパー”は幾分車速を上げて、距離を保った。「“防波堤”ってどう言う意味だ?」N坊が聞く。「シトロエンの旧車は、その気になればもっと速く走れるが、無理な走行は避けるんだ。壊れたらオシマイだからな。その代わりに制限速度+αくらいのペースを保って、後続車両を堰き止めるんだ。そうすりゃ、邪魔者に遮られずに他の連中は“暴走”を愉しめると言う寸法さ!」“スナイパー”は肩を竦めながら言った。「警察無線が騒ぎ出した!前のインターから5台くらい侵入した車が、急加速で東へ向かってるらしい」F坊が報告する。「“掃除部隊”だな。トロイ車を走行車線へ追いやるのが、ヤツらの目的だ!」“スナイパー”が言うのとほぼ同時に、追い越し車線を続々とフレンチ軍団が抜いて行った。みな“GT”“GT-i”“RS”のエンブレムを付けている。「プジョーにルノーに新型シトロエンだ!本隊のお出ましか!」“スナイパー”は巧みに本隊をよけて、走行車線で加速する。「小淵沢、長坂、須玉、韮崎の各インター付近で、網を張ってるだろう。高速バス停当りには覆面か白バイが待ち構えてるはずだ。少し我慢するか・・・」“スナイパー”は、それでも時速95kmぐらいを維持している。緩やかな下りでは時速100kmぐらいに達する。改造GPSレーダーが反応し始めた。徐々に減速していると「左のガードレールの陰に警官が居たぜ!」F坊が報告すると「俺達が“盾”になってるから、ヤツらは捕まらない。まだ、先で餌食になってくれなきゃ困る。とにかく、付かづ離れずでヤツらの真ん中の位置をキープしないと・・・」車間と車速を細かく調整して、“スナイパー”は車を走らせる。フレンチ軍団は、前後と右に列をなして進んでいる。やがて県境を超えると、後ろに覆面らしきシルバーのクラウンがへばりついた。N坊が「車内の天井の真ん中に箱みたいなのが付いてやがる。覆面だってバレバレじゃないか」と言うと「気持ちのいい話じゃない。こっちをペースカーの代わりに使いやがって!」“スナイパー”は毒づいたが、突然右から轟音を轟かせて2台の車が、フレンチ軍団をパスして行く。「ランエボとインプだ。馬鹿め!後ろが黙っていると思うな!」N坊が言った瞬間、シルバーのクラウンが赤色灯を出して、猛然と追跡にかかった。「無線が小淵沢で確保って言ってるぜ」F坊がニヤケタ顔で言う。「これで分かっただろう?!調子良くぶっ飛んでくと、必ず餌食になる。少し先が手薄になった所で、こっちは加速するって算段だ」“スナイパー”は帆をかけて先を急ぐ。フレンチを“盾”にしてのカーチェイスは、まだまだこれからだった。
再度の覚醒は腹痛を伴った。“2匹の食用蛙”達は、腹部の鈍痛で目を覚ましつつあった。「いたたた・・・、腹が痛い」DBは、体が冷えているのを感じながら、顔のタオルを剥ぎ取ると腹部を抑えてソファーから転げ落ちた。鈍痛はやがて激痛へと変わり、冷や汗が滲んで来た。トイレへ駆け込むと「ウォー」と雄叫びを上げる。その雄叫びでKも意識を回復し、隣のトイレへ駆け込んだ。「ファー」「ウォー」と叫びながら、苦痛で顔が真っ青になる。張り裂ける寸前だった腹は、腸が急激に動いた事で、徐々に萎んでいった。昨夜のツケは思いの外重く、15分以上に渡ってトイレを占領するハメになった。トイレに閉じこもっていた2匹が室内へ戻ると、またしても異臭が漂っていた。「タオルが臭い。寝汗をかいた様だ」DBがげっそりして言うと「ソファーも臭うな。俺達はシャワーを浴びた後に、また沈没した様だ・・・」Kも鼻先を扇ぎながら言った。「最後のボトルがまずかった様だ。ほれ、2人で一気飲みをしただろう?」Kは鼻を摘まんでいる。「あれか?!それ以前に飲みすぎだよK!」DBは窓を全開にして風を入れている。Kはボストンバッグをひっくり返して、シャンプーとボディソープのボトルとタオル2枚を引きずり出した。「臭うタオルは、トイレに放り込め。もう一度洗濯し直しだ。ただし、1人づつだ。DB先に行ってこい。俺は臭いを消してみる」Kは女性が使う“石鹸の香”のボトルを手にDBを急き立てた。DBは、シャンプーとボディソープで悪臭を封じ込め、たっぷり汗をかいて浴室を出た。室内はKが撒き散らした“石鹸の香”に満ちていた。Kも悪臭を封じ込めると滴る汗を拭い、服を着た。DBも着替えていた。シャンプーとボディソープの香で加齢臭も抑えられ、室内はようやくすっきりとした空気に包まれた。「ようやく、まともになったな。すまん。昨日はやり過ぎた」Kは珍しく頭を垂れた。「だが、久しぶりに愉しかった。今日は休養日にして正解だったな」DBもしみじみと言う。「もう午後1時過ぎか。腹が縮んだら、猛烈に腹が減って来ないか?」Kが時計を見ながら言った。「ふむ、何か食いたい気分になって来た」DBが腹を摩りながら返した。「ともかく、下へ行こう。部屋も掃除させなくてはならん。特に臭いタオルは始末させないとマズイ」Kが苦虫を噛み潰したように言う。「そうしよう。明日の事もある。まずは、腹ごしらえだな」DBも同意した。“2匹の食用蛙”達は、遅い食事に向かった。フロントで部屋の掃除を依頼すると、カフェへ入り軽食を摂った。だが、まだ2匹の体からは異臭が漂っていた。その何とも言えない異臭に耐えかねた客が、2匹を睨みつけると席を立った。
客室係の女性達がKの部屋へ入った際、まず、異様な“石鹸の香”にたじろぎ、息を殺して、廊下に這い出した。「何よこれ?!この悪臭の原因は何なの?」強烈な“石鹸の香”に“腐敗臭”の様な臭いが混じり合い、室内は嗅いだことも無い異様な臭気に包まれていた。その悪臭は廊下にも徐々に流れ始め、フロア全体が臭くなるのも時間の問題だった。意を決した彼女達がKの部屋へ突入する。窓を全開にして、空調も全開に設定して異臭を追い払う。だが、そこかしこから異臭は沸いていた。「トイレと浴室からだわ!」「クレゾールを持って来て!」「ビニール袋もよ!」とにかく、消毒液を撒き散らす以外に対抗策は無かった。トイレに放置されていた臭いタオルを処理する時に、彼女達は失神寸前になったのは言うまでもない。トイレそのものも悪臭を放っていた。浴室とトイレに放置されていたタオルはビニール袋へ押し込んで、密封しなくてならなかった。また、トイレと浴室内の臭気を消し去るのには、まず大量のクレゾールを散布するしか無かった。「タバコ臭い方がまだましだわ・・・。ここまで臭いのは異常よ!」彼女達は切れかかって口々に言った。KとDBが脱ぎ捨てた私服と、Kの持ち込んだタオルも慎重にビニール袋へ移され、クレゾール液がかけられた上で洗濯へと回された。「まず、雨合羽を洗うボロ洗濯機で、臭気を抜いてからクリーニングへ回さないと、悪臭が他のお客様の洗濯物に移ってしまうわ!迂闊に洗わない様に!」タグには“異臭要注意”と書かれて、袋は密封された。徐々にクレゾール臭に覆われた室内では、香炉で大量のお香が焚かれた。燻蒸処理の様なものだが、布製品に染みついた悪臭を消し去るには、ファブリーズより強烈な効果があった。トイレと浴室でもお香が焚かれ、アルコール消毒と併用しての消臭が図られた。厄介なソファーの臭気はどうにもならず、別のセットと入れ替えるしかなかった。臭気を放つソファーは屋上に運ばれ、クレゾールが大量に吹き付けられた。1時間後、室内の異臭は一掃されたが、大量の“臭気を吸い込んだリネン類”が出てしまった。「捨てるしかないわね!」彼女達は、巨大なビニール袋の塊を前にしてゲンナリするしかなかった。次に彼女達がしたのは、自分達の着替えだった。気付けば、制服も異様な臭気を放っていた。「獣か爬虫類にでもなった気分。サイアクよ!」彼女達はKとDBを呪いながら、部屋を後にした。
KとDBは、コーヒーを飲みながら首を傾げていた。「何でみんな俺達を睨んでいくんだ?」2匹は口々に言ったが“自らが放つ異臭”には、まだ気付いていなかった。カフェの窓は全て開け放たれ、風は容赦なくKとDBに向かっていた。「うーん、しまった!臭いのがまだ抜けていないんだDB!だから、みんなに睨まれるんだ!」Kが呻いた。「どんな匂いだ?俺には分からん」DBは自分のそこかしこを嗅ぎながら答えた。「石鹸臭と親父臭さと別の匂いがごちゃ混ぜになってるらしい。これはマズイぞ!」Kは鼻の穴を全開にして周囲の匂いを嗅ぎ分けようとしている。「部屋へ戻るか?」DBが言うと「それでは部屋が、また臭くなるだけだ。このままでは、どこかで俺達の“消臭”をしない限り、明日の作戦に影響が出る」Kは何かを嗅ぎ取ったらしく鼻を摘まんだ。DBは「数ブロック先にサウナがある。もう一度汗を絞り出すか?」と聞いた。「それがいい。DB、案内してくれ。幸い“石鹸の香”のボトルは持っている。汗をかけば匂いは薄まるはずだ」Kはカフェの伝票を掴むと、足早に清算を済ませた。DBも急いで後に続く。2匹はサウナに向かってホテルを飛び出して行った。その様子をラウンジの奥で、ミスターJとリーダーがハンカチで鼻を覆いながら見ていた「ここまで臭い人間は初めてです。昨日、室内に侵入した時にはこれ程の臭さは感じませんでしたが・・・」リーダーがウンザリしながら言った。「恐らく、ジミー・フォンの仕業だろう。2匹が飲み食いした酒と料理には、多量のエキスがばら撒かれていたに違いない。中国三千年の悪臭だ。ヤツがまともに我々を歓迎する筈が無い」ミスターJも顔をしかめている。「料理の請求書がまともになったと思ったら、悪臭攻撃で仕返しですか?」リーダーは涙目になっている。「フォンの悪乗りの餌食になるのは、予想外だ。私もここまで酷い仕返しは初めてだ。フォンの請求書は値切る必要があるな!」ミスターJは憤然と言った。風により大分異臭は薄まっていたが、客たちもホテルのスタッフも困惑を隠さない。フロントでは、香炉でお香が焚かれている。「さて、我々は機動部隊の報告を待つとしよう。リーダー、司令部へ行こう。ここに居るのは危険だ」「はい、ようやくまともに呼吸ができます。臭さは鼻について中々離れませんが・・・」2人は司令部へ向かうべくエレベーターに乗った。客室の方は爽やかなお香の匂いに満ちていた。
長坂インターで1台、須玉インターで2台の車が警察の餌食になった。いずれもフレンチ軍団の隙間を縫って、しゃしゃり出た輸入車だった。「流石にフレンチ軍団は慣れている。自分達は、捕まらずに済む様に仕向けていやがる。調子に乗った連中は、俺達みたいに“盾”代わりにされて、片っ端から餌食か。だが、ここまでは俺の計算通りだ!」“スナイパー”は、巧みに隙を突いて車速を上げ下げする。「この先はどうなんだ?」N坊が後席から聞いた。「これから、勝沼当りまでが山場だ!警察も黙っちゃいないさ。恐らく、ヘリを使って来るだろう。空から追跡されたら、逃げようがない!」「取り締まりにヘリコプター?!マジか?!」F坊が仰天する。「マジだよ!有名な話だ。甲府盆地は遮るモノが無い。滑走路も無い。多少高度を上げ下げしても、ヘリが自由自在に飛び回れる。2機体制で待ち構えているだろう。空から地上に通報して、直近のインター・バス停・パーキングへ追い込めば、何台でも捕まえられる。空から来るとなると、警察無線が頼りだ!F坊、ヘッドフォンを付けろ!聞き漏らしたら速アウトだ!」“スナイパー”は真顔で言った。「そこまでやるのか?半端ないな・・・」N坊もあきれ顔で言う。「とりあえず、双葉へ寄る。ゴミの始末と燃料補給だ。一定の車速では走れないから、どうしてもガスを食っちまう。最後の追い込みに備えて置かないと、スパートもかけられない」車は、韮崎のアップダウンを通過して、緩やかに下っている。フレンチ軍団も車速を落として、双葉へ侵入する構えであった。ここまで咆哮していたエンジンが止まり、3人は双葉に降り立った。N坊がゴミの始末に走り、F坊とスナイパー”は車両と“荷物”の点検にかかる。特に目立った異常は見られなかった。N坊が戻ったところで、一同は地図を広げて作戦会議を開いた。「この先、勝沼までは大人しくするが、笹子トンネルから先は多少ペースを上げられる。ここで時間を稼がないと、高井戸から先が苦しくなる」“スナイパー”が地図を指して言う。「環八は不可避か?」F坊が聞く。「第三京浜回りが最速だろう。圏央道が開通してりゃあ、話はもっと楽なんだが、東名の渋滞を考えると結局は一緒だよ」“スナイパー”が言う。「国道16号は?」N坊も聞くが「慢性的に車の流れが悪いし、検問もあるかも知れない。リスクは最小限に留めないと。“荷物”を放り出す訳にもいくまい?」“スナイパー”の言う通りだった。「笹子トンネルまでの間に、フレンチ軍団も少しづつだが車が散っていく。秩父山地を越えて帰るヤツ、富士の裾野へ出るヤツがポツポツと出ていく。“盾”の数が減る分リスクは増える。これまで以上に、警察無線とGPSレーダーと後ろの監視が必要だ。悪いが気を抜かないで目配りを頼む」彼は2人に改めて協力を依頼する。「了解、時間はまだ読めそうにないな」N坊が言うと「環八まで行けば予測は立てやすくなる。それまでは待とう」F坊が言った。「では、お2人さん。出発しよう。まずは、ガスの補給だ」エンジンが再び咆哮した。燃料を補給した3人は、本線に進入して制限速度+αの速度で東へ向かった。暫く走ると、フレンチ軍団が右車線を猛然と進んでいく。しかし、魔の手は空から降りかかって来た。「おい、ヘリが降下しながら追って来るぞ!」N坊が後方から迫りくるヘリに気付いた。「どうやら追尾するらしいな。前方に居たヘリも旋回態勢に入っている」“スナイパー”もヘリの動きを察知した。警察無線を聴いていたF坊が「この先のインターとパーキングで捕捉態勢に入れと喚いてる」と言った。「いよいよ本領発揮か!一網打尽を狙ったな!だが、その分本線上の監視の目は逸れる。今のうちにトラックの列を抜くぞ!」“スナイパー”は一気に前に車を走らせて、大型トラックの列を抜き去り、粘れるだけ粘って遅い車を引き離しにかかる。後方に置き去りにした車列を確認すると、素早く走行車線へ戻り、ギリギリの線で加速を継続する。パーキングとインターの出口では、パトライトの洪水が溢れていた。フレンチ軍団の10台ぐらいが餌食になった。「ヘリは、相変わらず距離を保って追尾して来る様だ」N坊が報告すると「フー、暫し我慢か。あまり猛禽類は刺激したくない。もう直ぐ山が迫って来るから、離れるとは思うが気持ちのいい話ではない」“スナイパー”はため息交じりに言った。予想通り、ヘリは間もなく旋回して西へ向かった。勝沼インターを過ぎると、前が詰まり始めた。「後ろは消えたぜ」「無線では双葉上空で旋回して再追尾と言ってる」N坊とF坊がそれぞれに言うと「そろそろ加速のお時間だ。これからの上りを利用して、一気に前に出よう。トンネルへ入ったら状況を見て判断する」と“スナイパー”が言うのと同時にエンジンが盛大に咆哮した。右へ出ると、これまでの鬱憤を晴らすかのように、車はグングンと加速し前へ出る。後ろには、BMWが1台へばりついて来た。「先に出そう」“スナイパー”がBMWを前に出すと、直ぐに後ろを取った。もつれる様に2台の車はトンネルへ雪崩れ込んだ。BMWはムキになって更に加速を試みる。だが、突然BMWから白煙が流れ出した。「マズイ!!オーバーヒートか?バーストか?いずれにせよトラブル発生だ!」“スナイパー”は、加速を中断して車間距離を開けた。BMWはハザードランプを点灯させて、ヨタヨタと左車線へ退避しようとするが、ふらついて前に進むのもやっとの状態に陥った。「クソ!このままだと停止するしかねぇが、後ろから大挙して車列が来る!追突の危険もある!どうするんだ?!」忌々しそうに“スナイパー”が毒づく。BMWは徐々に左に避けつつあった。「2人共、腹を括ってくれ!一か八かBMWの右をすり抜ける!」“スナイパー”は慎重に右側のスペースを見極めた。「ここだ!!」と言う声とエンジンの咆哮が重なった。弾かれるように車は右車線に突っ込んだ。
再度の覚醒は腹痛を伴った。“2匹の食用蛙”達は、腹部の鈍痛で目を覚ましつつあった。「いたたた・・・、腹が痛い」DBは、体が冷えているのを感じながら、顔のタオルを剥ぎ取ると腹部を抑えてソファーから転げ落ちた。鈍痛はやがて激痛へと変わり、冷や汗が滲んで来た。トイレへ駆け込むと「ウォー」と雄叫びを上げる。その雄叫びでKも意識を回復し、隣のトイレへ駆け込んだ。「ファー」「ウォー」と叫びながら、苦痛で顔が真っ青になる。張り裂ける寸前だった腹は、腸が急激に動いた事で、徐々に萎んでいった。昨夜のツケは思いの外重く、15分以上に渡ってトイレを占領するハメになった。トイレに閉じこもっていた2匹が室内へ戻ると、またしても異臭が漂っていた。「タオルが臭い。寝汗をかいた様だ」DBがげっそりして言うと「ソファーも臭うな。俺達はシャワーを浴びた後に、また沈没した様だ・・・」Kも鼻先を扇ぎながら言った。「最後のボトルがまずかった様だ。ほれ、2人で一気飲みをしただろう?」Kは鼻を摘まんでいる。「あれか?!それ以前に飲みすぎだよK!」DBは窓を全開にして風を入れている。Kはボストンバッグをひっくり返して、シャンプーとボディソープのボトルとタオル2枚を引きずり出した。「臭うタオルは、トイレに放り込め。もう一度洗濯し直しだ。ただし、1人づつだ。DB先に行ってこい。俺は臭いを消してみる」Kは女性が使う“石鹸の香”のボトルを手にDBを急き立てた。DBは、シャンプーとボディソープで悪臭を封じ込め、たっぷり汗をかいて浴室を出た。室内はKが撒き散らした“石鹸の香”に満ちていた。Kも悪臭を封じ込めると滴る汗を拭い、服を着た。DBも着替えていた。シャンプーとボディソープの香で加齢臭も抑えられ、室内はようやくすっきりとした空気に包まれた。「ようやく、まともになったな。すまん。昨日はやり過ぎた」Kは珍しく頭を垂れた。「だが、久しぶりに愉しかった。今日は休養日にして正解だったな」DBもしみじみと言う。「もう午後1時過ぎか。腹が縮んだら、猛烈に腹が減って来ないか?」Kが時計を見ながら言った。「ふむ、何か食いたい気分になって来た」DBが腹を摩りながら返した。「ともかく、下へ行こう。部屋も掃除させなくてはならん。特に臭いタオルは始末させないとマズイ」Kが苦虫を噛み潰したように言う。「そうしよう。明日の事もある。まずは、腹ごしらえだな」DBも同意した。“2匹の食用蛙”達は、遅い食事に向かった。フロントで部屋の掃除を依頼すると、カフェへ入り軽食を摂った。だが、まだ2匹の体からは異臭が漂っていた。その何とも言えない異臭に耐えかねた客が、2匹を睨みつけると席を立った。
客室係の女性達がKの部屋へ入った際、まず、異様な“石鹸の香”にたじろぎ、息を殺して、廊下に這い出した。「何よこれ?!この悪臭の原因は何なの?」強烈な“石鹸の香”に“腐敗臭”の様な臭いが混じり合い、室内は嗅いだことも無い異様な臭気に包まれていた。その悪臭は廊下にも徐々に流れ始め、フロア全体が臭くなるのも時間の問題だった。意を決した彼女達がKの部屋へ突入する。窓を全開にして、空調も全開に設定して異臭を追い払う。だが、そこかしこから異臭は沸いていた。「トイレと浴室からだわ!」「クレゾールを持って来て!」「ビニール袋もよ!」とにかく、消毒液を撒き散らす以外に対抗策は無かった。トイレに放置されていた臭いタオルを処理する時に、彼女達は失神寸前になったのは言うまでもない。トイレそのものも悪臭を放っていた。浴室とトイレに放置されていたタオルはビニール袋へ押し込んで、密封しなくてならなかった。また、トイレと浴室内の臭気を消し去るのには、まず大量のクレゾールを散布するしか無かった。「タバコ臭い方がまだましだわ・・・。ここまで臭いのは異常よ!」彼女達は切れかかって口々に言った。KとDBが脱ぎ捨てた私服と、Kの持ち込んだタオルも慎重にビニール袋へ移され、クレゾール液がかけられた上で洗濯へと回された。「まず、雨合羽を洗うボロ洗濯機で、臭気を抜いてからクリーニングへ回さないと、悪臭が他のお客様の洗濯物に移ってしまうわ!迂闊に洗わない様に!」タグには“異臭要注意”と書かれて、袋は密封された。徐々にクレゾール臭に覆われた室内では、香炉で大量のお香が焚かれた。燻蒸処理の様なものだが、布製品に染みついた悪臭を消し去るには、ファブリーズより強烈な効果があった。トイレと浴室でもお香が焚かれ、アルコール消毒と併用しての消臭が図られた。厄介なソファーの臭気はどうにもならず、別のセットと入れ替えるしかなかった。臭気を放つソファーは屋上に運ばれ、クレゾールが大量に吹き付けられた。1時間後、室内の異臭は一掃されたが、大量の“臭気を吸い込んだリネン類”が出てしまった。「捨てるしかないわね!」彼女達は、巨大なビニール袋の塊を前にしてゲンナリするしかなかった。次に彼女達がしたのは、自分達の着替えだった。気付けば、制服も異様な臭気を放っていた。「獣か爬虫類にでもなった気分。サイアクよ!」彼女達はKとDBを呪いながら、部屋を後にした。
KとDBは、コーヒーを飲みながら首を傾げていた。「何でみんな俺達を睨んでいくんだ?」2匹は口々に言ったが“自らが放つ異臭”には、まだ気付いていなかった。カフェの窓は全て開け放たれ、風は容赦なくKとDBに向かっていた。「うーん、しまった!臭いのがまだ抜けていないんだDB!だから、みんなに睨まれるんだ!」Kが呻いた。「どんな匂いだ?俺には分からん」DBは自分のそこかしこを嗅ぎながら答えた。「石鹸臭と親父臭さと別の匂いがごちゃ混ぜになってるらしい。これはマズイぞ!」Kは鼻の穴を全開にして周囲の匂いを嗅ぎ分けようとしている。「部屋へ戻るか?」DBが言うと「それでは部屋が、また臭くなるだけだ。このままでは、どこかで俺達の“消臭”をしない限り、明日の作戦に影響が出る」Kは何かを嗅ぎ取ったらしく鼻を摘まんだ。DBは「数ブロック先にサウナがある。もう一度汗を絞り出すか?」と聞いた。「それがいい。DB、案内してくれ。幸い“石鹸の香”のボトルは持っている。汗をかけば匂いは薄まるはずだ」Kはカフェの伝票を掴むと、足早に清算を済ませた。DBも急いで後に続く。2匹はサウナに向かってホテルを飛び出して行った。その様子をラウンジの奥で、ミスターJとリーダーがハンカチで鼻を覆いながら見ていた「ここまで臭い人間は初めてです。昨日、室内に侵入した時にはこれ程の臭さは感じませんでしたが・・・」リーダーがウンザリしながら言った。「恐らく、ジミー・フォンの仕業だろう。2匹が飲み食いした酒と料理には、多量のエキスがばら撒かれていたに違いない。中国三千年の悪臭だ。ヤツがまともに我々を歓迎する筈が無い」ミスターJも顔をしかめている。「料理の請求書がまともになったと思ったら、悪臭攻撃で仕返しですか?」リーダーは涙目になっている。「フォンの悪乗りの餌食になるのは、予想外だ。私もここまで酷い仕返しは初めてだ。フォンの請求書は値切る必要があるな!」ミスターJは憤然と言った。風により大分異臭は薄まっていたが、客たちもホテルのスタッフも困惑を隠さない。フロントでは、香炉でお香が焚かれている。「さて、我々は機動部隊の報告を待つとしよう。リーダー、司令部へ行こう。ここに居るのは危険だ」「はい、ようやくまともに呼吸ができます。臭さは鼻について中々離れませんが・・・」2人は司令部へ向かうべくエレベーターに乗った。客室の方は爽やかなお香の匂いに満ちていた。
長坂インターで1台、須玉インターで2台の車が警察の餌食になった。いずれもフレンチ軍団の隙間を縫って、しゃしゃり出た輸入車だった。「流石にフレンチ軍団は慣れている。自分達は、捕まらずに済む様に仕向けていやがる。調子に乗った連中は、俺達みたいに“盾”代わりにされて、片っ端から餌食か。だが、ここまでは俺の計算通りだ!」“スナイパー”は、巧みに隙を突いて車速を上げ下げする。「この先はどうなんだ?」N坊が後席から聞いた。「これから、勝沼当りまでが山場だ!警察も黙っちゃいないさ。恐らく、ヘリを使って来るだろう。空から追跡されたら、逃げようがない!」「取り締まりにヘリコプター?!マジか?!」F坊が仰天する。「マジだよ!有名な話だ。甲府盆地は遮るモノが無い。滑走路も無い。多少高度を上げ下げしても、ヘリが自由自在に飛び回れる。2機体制で待ち構えているだろう。空から地上に通報して、直近のインター・バス停・パーキングへ追い込めば、何台でも捕まえられる。空から来るとなると、警察無線が頼りだ!F坊、ヘッドフォンを付けろ!聞き漏らしたら速アウトだ!」“スナイパー”は真顔で言った。「そこまでやるのか?半端ないな・・・」N坊もあきれ顔で言う。「とりあえず、双葉へ寄る。ゴミの始末と燃料補給だ。一定の車速では走れないから、どうしてもガスを食っちまう。最後の追い込みに備えて置かないと、スパートもかけられない」車は、韮崎のアップダウンを通過して、緩やかに下っている。フレンチ軍団も車速を落として、双葉へ侵入する構えであった。ここまで咆哮していたエンジンが止まり、3人は双葉に降り立った。N坊がゴミの始末に走り、F坊とスナイパー”は車両と“荷物”の点検にかかる。特に目立った異常は見られなかった。N坊が戻ったところで、一同は地図を広げて作戦会議を開いた。「この先、勝沼までは大人しくするが、笹子トンネルから先は多少ペースを上げられる。ここで時間を稼がないと、高井戸から先が苦しくなる」“スナイパー”が地図を指して言う。「環八は不可避か?」F坊が聞く。「第三京浜回りが最速だろう。圏央道が開通してりゃあ、話はもっと楽なんだが、東名の渋滞を考えると結局は一緒だよ」“スナイパー”が言う。「国道16号は?」N坊も聞くが「慢性的に車の流れが悪いし、検問もあるかも知れない。リスクは最小限に留めないと。“荷物”を放り出す訳にもいくまい?」“スナイパー”の言う通りだった。「笹子トンネルまでの間に、フレンチ軍団も少しづつだが車が散っていく。秩父山地を越えて帰るヤツ、富士の裾野へ出るヤツがポツポツと出ていく。“盾”の数が減る分リスクは増える。これまで以上に、警察無線とGPSレーダーと後ろの監視が必要だ。悪いが気を抜かないで目配りを頼む」彼は2人に改めて協力を依頼する。「了解、時間はまだ読めそうにないな」N坊が言うと「環八まで行けば予測は立てやすくなる。それまでは待とう」F坊が言った。「では、お2人さん。出発しよう。まずは、ガスの補給だ」エンジンが再び咆哮した。燃料を補給した3人は、本線に進入して制限速度+αの速度で東へ向かった。暫く走ると、フレンチ軍団が右車線を猛然と進んでいく。しかし、魔の手は空から降りかかって来た。「おい、ヘリが降下しながら追って来るぞ!」N坊が後方から迫りくるヘリに気付いた。「どうやら追尾するらしいな。前方に居たヘリも旋回態勢に入っている」“スナイパー”もヘリの動きを察知した。警察無線を聴いていたF坊が「この先のインターとパーキングで捕捉態勢に入れと喚いてる」と言った。「いよいよ本領発揮か!一網打尽を狙ったな!だが、その分本線上の監視の目は逸れる。今のうちにトラックの列を抜くぞ!」“スナイパー”は一気に前に車を走らせて、大型トラックの列を抜き去り、粘れるだけ粘って遅い車を引き離しにかかる。後方に置き去りにした車列を確認すると、素早く走行車線へ戻り、ギリギリの線で加速を継続する。パーキングとインターの出口では、パトライトの洪水が溢れていた。フレンチ軍団の10台ぐらいが餌食になった。「ヘリは、相変わらず距離を保って追尾して来る様だ」N坊が報告すると「フー、暫し我慢か。あまり猛禽類は刺激したくない。もう直ぐ山が迫って来るから、離れるとは思うが気持ちのいい話ではない」“スナイパー”はため息交じりに言った。予想通り、ヘリは間もなく旋回して西へ向かった。勝沼インターを過ぎると、前が詰まり始めた。「後ろは消えたぜ」「無線では双葉上空で旋回して再追尾と言ってる」N坊とF坊がそれぞれに言うと「そろそろ加速のお時間だ。これからの上りを利用して、一気に前に出よう。トンネルへ入ったら状況を見て判断する」と“スナイパー”が言うのと同時にエンジンが盛大に咆哮した。右へ出ると、これまでの鬱憤を晴らすかのように、車はグングンと加速し前へ出る。後ろには、BMWが1台へばりついて来た。「先に出そう」“スナイパー”がBMWを前に出すと、直ぐに後ろを取った。もつれる様に2台の車はトンネルへ雪崩れ込んだ。BMWはムキになって更に加速を試みる。だが、突然BMWから白煙が流れ出した。「マズイ!!オーバーヒートか?バーストか?いずれにせよトラブル発生だ!」“スナイパー”は、加速を中断して車間距離を開けた。BMWはハザードランプを点灯させて、ヨタヨタと左車線へ退避しようとするが、ふらついて前に進むのもやっとの状態に陥った。「クソ!このままだと停止するしかねぇが、後ろから大挙して車列が来る!追突の危険もある!どうするんだ?!」忌々しそうに“スナイパー”が毒づく。BMWは徐々に左に避けつつあった。「2人共、腹を括ってくれ!一か八かBMWの右をすり抜ける!」“スナイパー”は慎重に右側のスペースを見極めた。「ここだ!!」と言う声とエンジンの咆哮が重なった。弾かれるように車は右車線に突っ込んだ。