「うん!味噌の味がするね!」堀ちゃんが笑う。善光寺の門前でベンチに腰掛けて2人して“味噌ソフトクリーム”をなめている僕達。散々悩んだ挙句、長野市まで“遠征デート”を設定したのは“見咎められる心配が無い”事に尽きた。「そうだね、この辺だと絶対に誰かと鉢合わせになるものね!」電話口で堀ちゃんも同意して、日時と乗る電車を決めて電話を終えたのが2日前だった。6両編成の4両目で待ち合わせたが、堀ちゃんは素足にかかとの高いサンダル、淡いグリーンのミニスカート、白いノースリーブで乗り込んで来た。素肌が眩しかった。心なしか露出が多いのは夏だからだろうか。電車内ではさすがにキスはしなかったが、手を繋いでお喋りに花が咲いた。明科~西条間で山中に電車が止まると「Y、ここ駅じゃないけど何?」と聞いて来た。「“信号場”だよ。この先では、電車のすれ違いが出来る駅は無い。ここで特急や反対方向の普通列車とすれ違うのさ。何もないけど、重要な場所なのさ」と言って教えてあげる。姨捨駅では15分の停車時間が告げられた。「堀ちゃん、降りて見るかい?面白いモノが見られるよ」と言って外へ連れ出すと「えー!行き止まりじゃない!どう言うことなの?!」と腰を抜かしそうになる。「“スイッチバック”の名残だよ。物凄い上り坂だから、一度ここへ入ってから前進するしか無いんだ。昔は蒸気機関車だったから、一定の勾配を超えると止まっちゃったらスリップして進めなくなった。だから、一度バックしてから勢いを付ける必要があった。今は電車だからそんな心配も必要なくなったけど、さっきの信号場と同じくすれ違うために敢えて残してあるのさ。帰りは一度バックするから見て置くといい」と言って教えてあげる。「そう言えば、この“クモハ”とか“モハ”って意味があるの?」と彼女は電車の側面を指して言う。「あるんだよ。“ク”は運転台、すなわち運転席がありますって意味。“モ”はモーターが付いてますって事、“ハ”は普通席って意味。明治の頃に“一等車”“二等車”“三等車”を“イ”“ロ”“ハ”で区別したのが始まりでね、“イ”は消滅したけど“ロ”はグリーン車として“ハ”は普通席車として残った。“クモハ”は“運転席がある、モーターが付いた普通席車”って意味になる。“サロ”は中間付随グリーン車って意味になるんだ」と教えると堀ちゃんは「この頭の中はどうなってるの?コードやコネクターの類は見当たらないけどさ!」と言って僕の頭を調べ始める。「サイボーグじゃないよ!」と言って逃げ回るが「各教科の知識に智謀と謀略、その他雑学がどうやって格納されてるのよ?コンピューターが入ってないの?」と笑いながら僕の腕を掴むと座席へ引っ張り込む。「至って普通の脳味噌です!」と真面目に返すと「勿論、男と女が何をするかも知ってるよね?」と言ってミニスカを自らめくって下着を一瞬見せる。「堀ちゃん!反則だよー」と言うが「上もお揃いの色だよ。ホテルへ行ってから見せてあげるね!」と言って誘いにかかる。「これで我慢してよ!」と言って僕が堀ちゃんの頬にキスをすると。「うん、初めてYからしてくれたね!」と言い堀ちゃんも僕の頬にキスを返した。そうしている内に電車は発車して一路長野駅へ向けて走り出したのだった。
今回の“遠征デート”ではあるルールを事前に決めてあった。それは“割り勘で行こう”と言うモノだった。2人共予算は限られているし大きな買い物をする予定もないが、片方に過大な負担を強いるのは“止めようね”と取り決めたのだ。長野駅から善光寺まではタクシーで行ったが、キッチリと割り勘にした。ソフトクリームを食べ終わると、いよいよ拝観のために境内へ入った。「小学校以来だけど、やっぱり大きいね!」「ああ、あの時より僕等も背は伸びたけど、圧倒されるな!」本堂を見上げて2人して感慨に浸る。お賽銭を入れて手を合わせて願い事を心の中で反芻して見る。「Y、何をお願いしたの?」堀ちゃんが聞いて来るが「それは言ったらダメだろう?秘密だよ!さて、下はどうする?」本堂の下は暗い回廊になっていて、その中心にある鍵に触れればご利益があるとさけていた。「あたし、暗いとこ苦手だからどうしよう?」堀ちゃんは悩みだす。「えーい、Yと手を繋いで行くからチャレンジしよう!怖かったら抱き寄せてもらえるし!」堀ちゃんが腹を括ったので、下回廊へと入った。遥か昔もやったはずだが、予想以上に暗いので堀ちゃんは僕の腕にしがみ付いてキャーキャーと悲鳴を上げる。「あった!堀ちゃんここにあるよ!」僕が鍵を探し当てると彼女にも触れさせる。「ふー、目的達成!Yといつまでも仲良く居られますように!」彼女は口に出して願をかけた。どうにか外へ這い出すと、お守りを買いに売り場を目指す。地面にたむろしている鳩を蹴散らすと、2人してお守りの吟味に入る。お揃いのお守りを1つ、そして“恋愛成就”のお守りを1つ揃えて買った。「これ、秘密の場所に隠して置いてね!Yとあたしだけの秘密の約束だから!」堀ちゃんは嬉しそうに言ってポーチにしまい込んだ。駅前にタクシーで舞い戻ると堀ちゃんは東急百貨店へ僕を引っ張って行った。目的は水着売り場と下着売り場だ。「どう?これなんか似合うと思わない?」男性にとってはどちらも“気恥ずかしい”場だが、堀ちゃんは一切気にしない。あれこれと見て回っては「似合うかな?」と聞いて来る。彼女の好みはレースが付いた可愛らしいモノが多かった。化粧品売り場へ降りと来ると、僕はようやく一息付く事が出来た。堀ちゃんは相変わらす品物の吟味に余念がない。「ブランドにもよるだろうけど、値段は上を見たら切りがないね」と言うと「そう、あたしが使ってるのは安いヤツだから、大人の女性達が愛用してるファンデやルージュは桁が違うのよ。でも、こう言う色なんかは使って見たいな!」桜色のルージュに見入る彼女の横顔は少し大人びて見えた。お昼はファミレスに入って非日常的な気分に浸りつつも、色々と話し込み愉しく過ごした。だが、時間はあっと言う間に帰りの時刻に近づいた。駅のホームで帰りの電車を待っていると「“あさま”は“あずさ”と色違いなだけなの?顔つきはそっくりじゃない?」と聞いて来る。「“あずさ”は183系、“あさま”は189系だよ。一見するとそっくりに見えるが、1つ大きな違いがある。先頭車両のスカートの部分に銀色の大きなソケットみたいなヤツが付いてるだろう?横川~軽井沢間の急こう配区間を通るには、専用の電気機関車が補助に付くんだよ。下りは“押して”上りは“ブレーキ”の役目を担う。普通列車にも同じ物が付いて居ないと横川~軽井沢間は走れないんだ!」「じゃあ“しなの”は何が違うのよ?」堀ちゃんは別のホームを指して聞いて来る。「“振り子電車”である381系は、カーブで車体を遠心力で傾けて走る様に作られてる。知らないで乗って窓の外を見ると眼を回すヤツが続出するよ。電柱が明後日の方向に傾いて見えるんだから当然なんだけど、カーブでも速度を落とさずに走り抜けるために重心を下げる工夫もしてある。エアコンの室外機は屋根の上に載せるのが普通だけど、381系は全部床下へ押し込んであるから、パンタグラフしか付いていない。後、1両の当たりの長さも“あずさ”や“あさま”よりも長いんだ!」僕が説明すると「へー、そう言われれば違いはあるね。それとさっきからガラガラとやかましいヤツは何?」堀ちゃんが別のホームを指した。「飯山線の“気動車”だよ。ディーゼルエンジンで走る列車さ!」「電車が走れないの?」「豪雪地帯だからな。架線が切れたらオシマイだし、トンネルの断面積も狭いから無理をしなかったんだよ。篠ノ井線も中央線も電車を走らせるために“盤下げ”って言ってトンネルの地面を掘り下げて架線を通す工事をやってる。だから、冠着トンネルや笹子トンネンは天井も側面もギリギリを走ってる。それ以外の区間は電柱を立てればいいから、何もしてないけどね」「ディーゼルエンジンで走るって事は運転するのにギアチェンジするんでしょ?」「当り!1速しか無いけど変速はしてますよ!」「1速しか無かったら後はどうするのよ?」「“直結”って言ってギアを介さないでエンジンの回転を直接繋げて走る。ここから先は難しくなるから説明は省くけど、乗って見ると分かるが場所によっては、自転車に負けるよ!」僕は笑いながら言った。「列車が自転車に負けるの?!どう言う事?」「坂道に行けば重たいから中々前に進めない。勾配の差にもよるが、スピードが落ちるのは当然だよ。姨捨あたりに“気動車”で乗り込んだらダイヤはメチャクチャに遅れるだろうな!」などと話していると折り返しの普通電車が到着した。車内点検を待ってから、乗り込んでボックス席を占領すると、「違う街に来るといつもと違うから面白いね!駅に居ても退屈しないのは、Yが色々と解説してくれるから飽きないし今度また来ようよ!」堀ちゃんがおねだりに走る。「ああ、秋になったらまた来よう。今度は紅葉を見に来ればいい!」と言って納得させる。帰りの車内では、はしゃぎ疲れた堀ちゃんの肩を抱いた。彼女は安心しきって眠っていた。辰野駅を出た頃、僕は優しく堀ちゃんを起こしてあげた。「ごめん!すっかり寝入っちゃった。Yの横だから安心して眠れた。そろそろお別れだね。今日の事は2人だけの秘密だよ!」堀ちゃんは僕の口に指を当てて、悪戯ぼっく笑う。「ああ、内緒の話がまた増えたな」と言うと立ち上がって出口付近に移動した。「じゃあ、休み明けに!」彼女は満面の笑顔を振り撒くとホームへ降り立った。発車のベルが鳴る。「Y!あたし、絶対に離れないから!」ベルに負けまいと堀ちゃんが言った。「ああ、付いて来いよ!」と返すとドアが閉まった。走り出した電車を堀ちゃんは少し追いかけて来て手を振った。僕の夏の1コマがまた増えた日だった。
それから2日後、今度は道子から電話でSOSが入った。「Y-、助けてくれないかな?世界史で曖昧な部分があって困ってるのよ。講義お願いしてもいい?」「そりゃ構わないがどこでやるんだ?」「それは、当日のお愉しみと言う事で内緒!さちと雪枝も来るから、準備して置いて。“節度使”と“五代十国”と“文治主義政策”の辺りでお願い!」「ああ、分かった。いつにするんだ?」「明後日の午前8時の電車で茅野駅に来て!同じ電車にさちと雪枝も乗って来る予定にしとくから」「あいよ、唐の終焉から北宋の辺りだな。ここはゴタゴタが多いし理解しにくい場面だ。用意して置くよ」「ごめんね。お返しは数学と英語の宿題で相殺するから、協力してよ!」「あー、助かる。一番苦戦してる範囲だからな。じゃあ、明後日に」僕は電話を切ると早速、教科書を開いた。たった数行の範囲だが、説明は容易ではない。下調べにかかったのは、それから直ぐだった。
そして、2日後の午前8時。僕は資料を持って電車に乗り込んだ。指定された4両目に揺られて次の駅に着くと、さちと雪枝が乗り込んで来た。「ハーイ!元気だった?」雪枝が言うと2人とハイタッチを交わす。「道子がどこで講義をやるか聞いてる?」と言うと「あたし達も知らないのよ」さちが首を捻る。答えは茅野駅で解けた。「Y-、こっちこっち!」白い車の前で道子が懸命に手を振っていた。運転席から降りて来たのは、彼女のお母さんだった。「ご無沙汰しております」と僕が言うと「Y君、10数年ぶりね。あのころの面影はちゃんと残ってる。やせ細った姿が痛々しかったけれど、丈夫に育ったのね!いつも道子から聞かされてるのよ。“Yがこんな手を繰り出してクラスを救ったの”って自慢するのよ!」「ママ、それはいいから、早く行こうよ!Yに助けてもらわないと宿題が終わらないの!」道子はおかんむりだ。「さあ、乗って!講義会場まで全速前進!」「はい、はい、ちゃんとセッティングも出来てますよ」お母さんの運転する車は市街地を抜けて郊外の住宅地へ向かった。「道子、まさか自宅でやるつもりか?」僕が驚いて聞くと「当たり前じゃん!自主学習なんだから!」と平然と言う。道子の自宅のリビングにはホワイトボードが用意されていた。「板書の代わりよ。書きにくいのは許してね!」と言う。紅茶も運ばれて来て準備も整った。「Y、それじゃあ宜しく!」道子が開講を告げた。「それでは、始めよう。唐の終焉から北宋の誕生までをプロットするよ。教科書では数行しか記載が無いが、子細に調べると意外に面白しい話になる。キーワードは“節度使”と“五代十国”と“文治主義政策”だ。多少前後するのはお許し願いたい。唐が滅亡した後、宋による統一までの約半世紀を“五代十国”と呼ぶ。5つの王朝が目まぐるしく交替したのは、いわゆる中原に措いての事で、その5つの王朝はいずれも全国的な政権にはなれなかった。中原以外の地方は主に唐末期の“節度使”が割拠した国になり、その数はほぼ10を数える。中原による五代と地方に措ける10国とが併存していた時代だった。“後梁”“後唐”“後晋”“後漢”“後周”の5つの王朝はいずれも短命に終わったが、“前蜀”“後蜀”“淮南”“南唐”“南平”“呉越”“閩”“楚”“南漢”“北漢”は宋に滅ぼされるまで続いたものもある。北方では、契丹族の王朝“遼”が強勢となり、北京辺りまで南下して支配地を拡大させていたし、後に西方に“西夏”も誕生する。宋の周辺は以外にゴチャゴチャしていて分かりにくいが、北に“遼”があり、西には“西夏”が存在した。これらの両国と宋は“平和をお金で贖う”関係になるんだが、経済的には唐より宋の方が断然活力があった事は間違いない。では、宋の誕生を見て行こう。太祖趙匡胤はお酒が好きで磊落な性格だったため、部下にも慕われていた。軍隊に生まれ、育ち、成長しているから“後周”の軍部の中に豊かな人脈を持っていた。この時代は軍隊が節度使を追放したり、自分達で擁立したりしている。軍事も民政も兼ねるのだから節度使は小皇帝で、五代の皇帝はほぼ節度使出身だ。だから軍隊が皇帝を擁立するのはこの時代では異常な事では無かった。太祖を擁立したのは弟の趙匡義やその部下達だった。もちろん数人の意思では重要な事は決められない。彼らが懸命に根回しをしたのは言うまでもない。けれどもう1つ重要なのは“人気”が無ければならないと言う事実だ。太祖は剛腹で頼もしい武将だった。軍隊は、有能な指揮官に率いられてこそ勝てるし、手柄を立てて恩賞を得ることが出来る。どれだけ懸命に擁立運動をしても周囲が納得する要素がなくては無理だ。太祖趙匡胤にはそれが充分にあった。西暦960年の正月に、“北漢”と“遼”の連合軍が国境を侵犯したので、“後周”の近衛軍に動員令が下された。“後周”では近衛軍の強化に努めていたんだが、その背景には節度使の自立性の強さがあった。地方を弱めるには限界があるし、構造的な懸案でもあった。近衛軍の強化は節度使に対抗するには絶対的に必要だったんだ。“後周”でその指揮を執ったのが他ならぬ趙匡胤その人だった。北方国境へ向かう軍隊は次々と国都を出て1日行程の陳橋という宿場に泊まった。その夜も趙匡胤は大酒を飲んで寝ていた。そこへ将兵たちが白刃を手にして擁立を謀ったんだ。弟の趙匡義が擁立の事を告げると、ろれつの回らない口で固辞したんだが、軍幹部たちが白刃を手にして外に並んで“趙匡胤を皇帝とする”と迫った。彼が答える前に黄袍、つまり皇帝が着る服だけどを被せて“万歳”を叫んだ。酔って意識も朦朧とする中、趙匡胤は皇帝にされたんだよ。あまり説得力は無いけれど、将兵たちは衝動的に擁立を謀った訳では無いんだ。黄袍は皇帝しか着用出来ない服だから、そこら辺の店で簡単に買えるものじゃ無い。後世の歴史家も「その黄袍はどこで手に入れたのか?」って皮肉っているが、そんなものまで用意しているからには周到に準備された擁立運動だったのは確かだろう。そして、軍と密着しているはずの本人、趙匡胤が知らないはずが無い。素知らぬふりをして大酒をのんで待っていたのだろう。自らが動くのではなく“勝手に担がれた”と言う構図が必要だったのかも知れない。そうする事で、趙匡胤は思うがままに国造りに入りたかったとも言える。こうして宋は生まれた。そして、太祖趙匡胤の身上は、意外にも“談合”なんだよ。じっくりと説得してから実行に移す。そして、後の面倒見もいい事も彼の特徴だろう。“談合”の成果として2つ程上げるけど、1つは近衛軍の指揮権の零細化だ。近衛軍の強大な指揮権を背景にして皇帝の地位に即いたのだから、同じような事が起こらない様に“大将”と“中将”の地位を廃止してしまったんだ。最高軍官が“少将”になってしまったのだから、僅かな部隊しか指揮できない。上は皇帝だから、“大将”と“中将”を皇帝が兼務する事になった。こうする事で大軍を指揮できるのは皇帝のみとすることで、反乱の芽を摘んでしまったのさ。節度使についても、急に廃止するのではなくじわじわと権限を削って、最後には“名誉職”にしてしまった。それも頭ごなしでは無く話し合いを繰り返している。まず、節度使が派遣していた“鎮将”を中央から派遣した“県尉”に換わらせた。元々は“県尉”の仕事として警察業務があったのを元に戻したんだ。これで1つ節度使の力を削いだ。次は節度使を頻繁に“転任”させた。土着勢力との結びつきを絶つ事で居座らせないようにしたんだ。これも国都へ呼んで直々に説得してやっている。“不満はあるが、皇帝がわざわざ頼むから、顔を立ててやるか”って気持ちになるのさ。軍隊からも優秀な兵士は中央へ引き抜いて弱体化を進めた。やがて既成事実が趙匡胤の有利な様に積上げられると、節度使の部下達はみんな中央から送られて中央の意思を執行する様なになった。節度使が持っていた租税や塩税の徴収権も“転運使”に置き換えられると加速度的に節度使は解体された。武将が民政長官を兼ねる事自体が異常な職だったんだ。こうして節度使は無用の長物化されて名誉職になった。退役間近の軍人に花道として節度使の称号を授ける。名誉の称号としてはふさわしい残光はあったからね。民政を文官の手に戻す。五代からの武家政治を文官政治に変えるのが宋がめざした方向だった。そのためには大量の文官を必要とするよね。隋から始まった科挙が本格的に力を発揮したのが宋からだった。科挙に及第して進士になれば、官界への進出を阻む勢力は宋代には無くなっていた。それまでの貴族階級は没落して、門閥自体も消滅していた。経済活動が盛んになり、商工業も発達し始めると余裕がある階層が生まれ、彼らが科挙に挑戦するのが普通の事になった。“市民興隆時代”と言ってもいい時代になったのさ。武官職が兼ねていたものを文官職に置き換える。これが“文治主義政策”の内幕だよ。やがてはこの“文治主義政策”が行き過ぎて別の問題も出ては来るが、それはまた次の機会に話そう。では、質問のある方はどうぞ!」「“石刻遺訓”には何が刻まれていました?」道子のお母さんが手を挙げた。「西暦1127年、金軍が国都開封を蹂躙した際、宮殿も破壊されて初めて“石刻遺訓”が明るみに出たと言われています。太祖趙匡胤の遺訓は2つ、“後周王室柴氏”の面倒をいつまでも見ること”“士大夫を言論を理由として殺してはならない”即位後の秘儀としてこれを見た諸帝はこれを厳守したそうです。金に追われて南に移った後も柴氏への祭祀を絶やさなかった事。政争がどんなに熾烈でも敗れた側が左遷、流罪になる程度だったのは奇跡と言うべきです」「さすが、お見事でした!さあ、一息入れましょう!」道子のお母さんが拍手をすると、お菓子を山盛りにした器を持って来てくれた。「お母さん!“石刻遺訓”なんて教科書にも載ってないよ!Yだから答えられた様なものだけど、ちょっとズルくない?」道子が口を尖らせる。「小学校1年生で百科事典に取り組んでたY君だもの。ちょっとテストしてもいいじゃない!噂に違わぬ広い視点に感服しました!」お母さんはニコニコして言う。「半分は趣味の世界ですから」と言って紅茶をいただく。お母さんは台所へ戻って行った。「軍人が民政も兼ねるなんて、なんか植民地の総督みたいだね」雪枝が言うと「それが各地に割拠してたんだから、唐の末期なんて1つの地方政権になってる訳だ!」さちも言う。「去年のあたし達のクラスを思い出すね。分裂してたのを統一したのは、みんなが結束する“事件”が続いてあったからだなんて皮肉よね」「けれど、それを逆手に取ったからこそ今がある。歴史は繰り返すって言うが、クラスを割る様な真似はさせられないよな」僕もしみじみと言った。「Y、講義ご苦労様。数行の文章をここまで広げて聞かせてくれるのは、Yの真骨頂だね!」道子が僕の頭を撫でる。「“石刻遺訓”なんて良く答えられたね!あたし達は初耳だけど、Yは調べてあったの?」「宋代までを通して学ぶのが、江戸時代の武士の習わしだからね。“十八史略”は必読書とされたから、割と掘り下げて調べてあるのさ。江戸時代の武士を知るには彼らの学びからアプローチする手もある。日本史にも通じることだからね。特に中国史は密接なかかわりがあるし」「Yの頭はコンピューター回路で組み上げてない?定期的にデーターを送ってるとかさ」雪枝が悪乗りを始める。「この中身はみんなと同じだよ!」僕は自ら頭を叩いて反論する。「ふむ、ネジの類は皮膚で隠しておるな!」さちも悪乗りに入る。「サイボーグではありませんから!」「どこかを押せば“ビーム”が出るかもね。道子のウチを破壊するでないぞ!」さちはニヤケて首筋やこめかみの辺りを突っつく。こうなると始末が大変だ。「さて、次は抜き打ちで“武田信玄”の講義をお願いしようかな?Y、行ける?」「うーん、何とかまとめられそう。本当にやるのかい?」「勿論!せっかく連行したんだから、徹底的に行くわよ!」道子は手綱を緩める気配は無さそうだ。「ここは信玄とゆかりが深い。多少は逸れるかも知れないが、やってみましょう。ボートを裏返してもいいかい?」「OK、準備が出来たら始めて!」思わぬ展開だが、僕は信玄について話始めた。結局はお昼を挟んでの大講義になったが、何とか切り抜けた。道子の家を後にしたのは午後4時を回っていた。
「Y-、無事に帰り付いた?」電話口で道子が問う。「ああ、今着いたところだよ。悪かったな。すっかりご馳走になっちゃって」「いいえ、熱の入った講義をありがとねー。ママもね“Yの生き生きした姿が見られてホッとした”って。何しろ昔の大病を見てるでしょう?ママも半信半疑だったのは事実なのよ。それが、あたし達を教える側で、あの大熱演だもの。“これで安心した”って言うのが本音なのよ。だって、15歳まで持つか分からなかったでしょう?」「確かに。もうそのラインは超えてるからな。とにかく、しぶとく生き抜いてやるよ!」「ママにそう伝えとくね。新学期、また元気に会おうよ!次は修学旅行が待ってるからさ!」「おう!それ、それ!今年最大の“難関”だからな。赤坂がダウンしたら、指揮権を引継いで統率を執らなきゃならない」「そのためにもしっかりと“充電”しといてよね!」「分かった。じゃあ、またな!」と言って電話を切ると、郵便物に眼を通しながら自室へ向かう。「あれ?これ、誰だ?」差出人不記載の封筒が混じり込んでいた。宛名は間違いなく僕だ。パステル調の鮮やかな封筒は誰が寄越したのだろう?とにかく開けて見るしか無さそうだった。封を切ろうとペーパーナイフを手にした時、電話が鳴った。僕が取ると西岡からだった。「夜分に済みません。参謀長、差出人不記載の郵便物は届いていませんか?」「君は“千里眼”の能力も備わっているのか?確かに手元にあるが、それがどうした?」「開封してはダメです!そのまま、新学期にあたしに手渡して下さい!“戻れない道”へあなたを送る訳には行きません!」「どう言う事だ?」「反勢力の罠です!名義は上田ですが、それは擬装なんです!かつて、赤坂君が落ちた罠と同じ仕掛けです!」「と言う事は、3期生の不穏分子が画策したと言う事か?」「そうです。あたし達の手元にも全く同じものが届いています!とにかくそのままで保管して無視して下さい!」西岡は必死に訴えて来る。「誰だ?この手を使うのは“悪魔に魅入られた彼女”しかおらんが・・・、まさか?!」にわかには信じられなかったが、背筋が凍った。「菊地の逆襲なのか?」「まだ、確証はありませんが、可能性はあります!」西岡の声は地獄の底から聴こえて来る様に思えた。
今回の“遠征デート”ではあるルールを事前に決めてあった。それは“割り勘で行こう”と言うモノだった。2人共予算は限られているし大きな買い物をする予定もないが、片方に過大な負担を強いるのは“止めようね”と取り決めたのだ。長野駅から善光寺まではタクシーで行ったが、キッチリと割り勘にした。ソフトクリームを食べ終わると、いよいよ拝観のために境内へ入った。「小学校以来だけど、やっぱり大きいね!」「ああ、あの時より僕等も背は伸びたけど、圧倒されるな!」本堂を見上げて2人して感慨に浸る。お賽銭を入れて手を合わせて願い事を心の中で反芻して見る。「Y、何をお願いしたの?」堀ちゃんが聞いて来るが「それは言ったらダメだろう?秘密だよ!さて、下はどうする?」本堂の下は暗い回廊になっていて、その中心にある鍵に触れればご利益があるとさけていた。「あたし、暗いとこ苦手だからどうしよう?」堀ちゃんは悩みだす。「えーい、Yと手を繋いで行くからチャレンジしよう!怖かったら抱き寄せてもらえるし!」堀ちゃんが腹を括ったので、下回廊へと入った。遥か昔もやったはずだが、予想以上に暗いので堀ちゃんは僕の腕にしがみ付いてキャーキャーと悲鳴を上げる。「あった!堀ちゃんここにあるよ!」僕が鍵を探し当てると彼女にも触れさせる。「ふー、目的達成!Yといつまでも仲良く居られますように!」彼女は口に出して願をかけた。どうにか外へ這い出すと、お守りを買いに売り場を目指す。地面にたむろしている鳩を蹴散らすと、2人してお守りの吟味に入る。お揃いのお守りを1つ、そして“恋愛成就”のお守りを1つ揃えて買った。「これ、秘密の場所に隠して置いてね!Yとあたしだけの秘密の約束だから!」堀ちゃんは嬉しそうに言ってポーチにしまい込んだ。駅前にタクシーで舞い戻ると堀ちゃんは東急百貨店へ僕を引っ張って行った。目的は水着売り場と下着売り場だ。「どう?これなんか似合うと思わない?」男性にとってはどちらも“気恥ずかしい”場だが、堀ちゃんは一切気にしない。あれこれと見て回っては「似合うかな?」と聞いて来る。彼女の好みはレースが付いた可愛らしいモノが多かった。化粧品売り場へ降りと来ると、僕はようやく一息付く事が出来た。堀ちゃんは相変わらす品物の吟味に余念がない。「ブランドにもよるだろうけど、値段は上を見たら切りがないね」と言うと「そう、あたしが使ってるのは安いヤツだから、大人の女性達が愛用してるファンデやルージュは桁が違うのよ。でも、こう言う色なんかは使って見たいな!」桜色のルージュに見入る彼女の横顔は少し大人びて見えた。お昼はファミレスに入って非日常的な気分に浸りつつも、色々と話し込み愉しく過ごした。だが、時間はあっと言う間に帰りの時刻に近づいた。駅のホームで帰りの電車を待っていると「“あさま”は“あずさ”と色違いなだけなの?顔つきはそっくりじゃない?」と聞いて来る。「“あずさ”は183系、“あさま”は189系だよ。一見するとそっくりに見えるが、1つ大きな違いがある。先頭車両のスカートの部分に銀色の大きなソケットみたいなヤツが付いてるだろう?横川~軽井沢間の急こう配区間を通るには、専用の電気機関車が補助に付くんだよ。下りは“押して”上りは“ブレーキ”の役目を担う。普通列車にも同じ物が付いて居ないと横川~軽井沢間は走れないんだ!」「じゃあ“しなの”は何が違うのよ?」堀ちゃんは別のホームを指して聞いて来る。「“振り子電車”である381系は、カーブで車体を遠心力で傾けて走る様に作られてる。知らないで乗って窓の外を見ると眼を回すヤツが続出するよ。電柱が明後日の方向に傾いて見えるんだから当然なんだけど、カーブでも速度を落とさずに走り抜けるために重心を下げる工夫もしてある。エアコンの室外機は屋根の上に載せるのが普通だけど、381系は全部床下へ押し込んであるから、パンタグラフしか付いていない。後、1両の当たりの長さも“あずさ”や“あさま”よりも長いんだ!」僕が説明すると「へー、そう言われれば違いはあるね。それとさっきからガラガラとやかましいヤツは何?」堀ちゃんが別のホームを指した。「飯山線の“気動車”だよ。ディーゼルエンジンで走る列車さ!」「電車が走れないの?」「豪雪地帯だからな。架線が切れたらオシマイだし、トンネルの断面積も狭いから無理をしなかったんだよ。篠ノ井線も中央線も電車を走らせるために“盤下げ”って言ってトンネルの地面を掘り下げて架線を通す工事をやってる。だから、冠着トンネルや笹子トンネンは天井も側面もギリギリを走ってる。それ以外の区間は電柱を立てればいいから、何もしてないけどね」「ディーゼルエンジンで走るって事は運転するのにギアチェンジするんでしょ?」「当り!1速しか無いけど変速はしてますよ!」「1速しか無かったら後はどうするのよ?」「“直結”って言ってギアを介さないでエンジンの回転を直接繋げて走る。ここから先は難しくなるから説明は省くけど、乗って見ると分かるが場所によっては、自転車に負けるよ!」僕は笑いながら言った。「列車が自転車に負けるの?!どう言う事?」「坂道に行けば重たいから中々前に進めない。勾配の差にもよるが、スピードが落ちるのは当然だよ。姨捨あたりに“気動車”で乗り込んだらダイヤはメチャクチャに遅れるだろうな!」などと話していると折り返しの普通電車が到着した。車内点検を待ってから、乗り込んでボックス席を占領すると、「違う街に来るといつもと違うから面白いね!駅に居ても退屈しないのは、Yが色々と解説してくれるから飽きないし今度また来ようよ!」堀ちゃんがおねだりに走る。「ああ、秋になったらまた来よう。今度は紅葉を見に来ればいい!」と言って納得させる。帰りの車内では、はしゃぎ疲れた堀ちゃんの肩を抱いた。彼女は安心しきって眠っていた。辰野駅を出た頃、僕は優しく堀ちゃんを起こしてあげた。「ごめん!すっかり寝入っちゃった。Yの横だから安心して眠れた。そろそろお別れだね。今日の事は2人だけの秘密だよ!」堀ちゃんは僕の口に指を当てて、悪戯ぼっく笑う。「ああ、内緒の話がまた増えたな」と言うと立ち上がって出口付近に移動した。「じゃあ、休み明けに!」彼女は満面の笑顔を振り撒くとホームへ降り立った。発車のベルが鳴る。「Y!あたし、絶対に離れないから!」ベルに負けまいと堀ちゃんが言った。「ああ、付いて来いよ!」と返すとドアが閉まった。走り出した電車を堀ちゃんは少し追いかけて来て手を振った。僕の夏の1コマがまた増えた日だった。
それから2日後、今度は道子から電話でSOSが入った。「Y-、助けてくれないかな?世界史で曖昧な部分があって困ってるのよ。講義お願いしてもいい?」「そりゃ構わないがどこでやるんだ?」「それは、当日のお愉しみと言う事で内緒!さちと雪枝も来るから、準備して置いて。“節度使”と“五代十国”と“文治主義政策”の辺りでお願い!」「ああ、分かった。いつにするんだ?」「明後日の午前8時の電車で茅野駅に来て!同じ電車にさちと雪枝も乗って来る予定にしとくから」「あいよ、唐の終焉から北宋の辺りだな。ここはゴタゴタが多いし理解しにくい場面だ。用意して置くよ」「ごめんね。お返しは数学と英語の宿題で相殺するから、協力してよ!」「あー、助かる。一番苦戦してる範囲だからな。じゃあ、明後日に」僕は電話を切ると早速、教科書を開いた。たった数行の範囲だが、説明は容易ではない。下調べにかかったのは、それから直ぐだった。
そして、2日後の午前8時。僕は資料を持って電車に乗り込んだ。指定された4両目に揺られて次の駅に着くと、さちと雪枝が乗り込んで来た。「ハーイ!元気だった?」雪枝が言うと2人とハイタッチを交わす。「道子がどこで講義をやるか聞いてる?」と言うと「あたし達も知らないのよ」さちが首を捻る。答えは茅野駅で解けた。「Y-、こっちこっち!」白い車の前で道子が懸命に手を振っていた。運転席から降りて来たのは、彼女のお母さんだった。「ご無沙汰しております」と僕が言うと「Y君、10数年ぶりね。あのころの面影はちゃんと残ってる。やせ細った姿が痛々しかったけれど、丈夫に育ったのね!いつも道子から聞かされてるのよ。“Yがこんな手を繰り出してクラスを救ったの”って自慢するのよ!」「ママ、それはいいから、早く行こうよ!Yに助けてもらわないと宿題が終わらないの!」道子はおかんむりだ。「さあ、乗って!講義会場まで全速前進!」「はい、はい、ちゃんとセッティングも出来てますよ」お母さんの運転する車は市街地を抜けて郊外の住宅地へ向かった。「道子、まさか自宅でやるつもりか?」僕が驚いて聞くと「当たり前じゃん!自主学習なんだから!」と平然と言う。道子の自宅のリビングにはホワイトボードが用意されていた。「板書の代わりよ。書きにくいのは許してね!」と言う。紅茶も運ばれて来て準備も整った。「Y、それじゃあ宜しく!」道子が開講を告げた。「それでは、始めよう。唐の終焉から北宋の誕生までをプロットするよ。教科書では数行しか記載が無いが、子細に調べると意外に面白しい話になる。キーワードは“節度使”と“五代十国”と“文治主義政策”だ。多少前後するのはお許し願いたい。唐が滅亡した後、宋による統一までの約半世紀を“五代十国”と呼ぶ。5つの王朝が目まぐるしく交替したのは、いわゆる中原に措いての事で、その5つの王朝はいずれも全国的な政権にはなれなかった。中原以外の地方は主に唐末期の“節度使”が割拠した国になり、その数はほぼ10を数える。中原による五代と地方に措ける10国とが併存していた時代だった。“後梁”“後唐”“後晋”“後漢”“後周”の5つの王朝はいずれも短命に終わったが、“前蜀”“後蜀”“淮南”“南唐”“南平”“呉越”“閩”“楚”“南漢”“北漢”は宋に滅ぼされるまで続いたものもある。北方では、契丹族の王朝“遼”が強勢となり、北京辺りまで南下して支配地を拡大させていたし、後に西方に“西夏”も誕生する。宋の周辺は以外にゴチャゴチャしていて分かりにくいが、北に“遼”があり、西には“西夏”が存在した。これらの両国と宋は“平和をお金で贖う”関係になるんだが、経済的には唐より宋の方が断然活力があった事は間違いない。では、宋の誕生を見て行こう。太祖趙匡胤はお酒が好きで磊落な性格だったため、部下にも慕われていた。軍隊に生まれ、育ち、成長しているから“後周”の軍部の中に豊かな人脈を持っていた。この時代は軍隊が節度使を追放したり、自分達で擁立したりしている。軍事も民政も兼ねるのだから節度使は小皇帝で、五代の皇帝はほぼ節度使出身だ。だから軍隊が皇帝を擁立するのはこの時代では異常な事では無かった。太祖を擁立したのは弟の趙匡義やその部下達だった。もちろん数人の意思では重要な事は決められない。彼らが懸命に根回しをしたのは言うまでもない。けれどもう1つ重要なのは“人気”が無ければならないと言う事実だ。太祖は剛腹で頼もしい武将だった。軍隊は、有能な指揮官に率いられてこそ勝てるし、手柄を立てて恩賞を得ることが出来る。どれだけ懸命に擁立運動をしても周囲が納得する要素がなくては無理だ。太祖趙匡胤にはそれが充分にあった。西暦960年の正月に、“北漢”と“遼”の連合軍が国境を侵犯したので、“後周”の近衛軍に動員令が下された。“後周”では近衛軍の強化に努めていたんだが、その背景には節度使の自立性の強さがあった。地方を弱めるには限界があるし、構造的な懸案でもあった。近衛軍の強化は節度使に対抗するには絶対的に必要だったんだ。“後周”でその指揮を執ったのが他ならぬ趙匡胤その人だった。北方国境へ向かう軍隊は次々と国都を出て1日行程の陳橋という宿場に泊まった。その夜も趙匡胤は大酒を飲んで寝ていた。そこへ将兵たちが白刃を手にして擁立を謀ったんだ。弟の趙匡義が擁立の事を告げると、ろれつの回らない口で固辞したんだが、軍幹部たちが白刃を手にして外に並んで“趙匡胤を皇帝とする”と迫った。彼が答える前に黄袍、つまり皇帝が着る服だけどを被せて“万歳”を叫んだ。酔って意識も朦朧とする中、趙匡胤は皇帝にされたんだよ。あまり説得力は無いけれど、将兵たちは衝動的に擁立を謀った訳では無いんだ。黄袍は皇帝しか着用出来ない服だから、そこら辺の店で簡単に買えるものじゃ無い。後世の歴史家も「その黄袍はどこで手に入れたのか?」って皮肉っているが、そんなものまで用意しているからには周到に準備された擁立運動だったのは確かだろう。そして、軍と密着しているはずの本人、趙匡胤が知らないはずが無い。素知らぬふりをして大酒をのんで待っていたのだろう。自らが動くのではなく“勝手に担がれた”と言う構図が必要だったのかも知れない。そうする事で、趙匡胤は思うがままに国造りに入りたかったとも言える。こうして宋は生まれた。そして、太祖趙匡胤の身上は、意外にも“談合”なんだよ。じっくりと説得してから実行に移す。そして、後の面倒見もいい事も彼の特徴だろう。“談合”の成果として2つ程上げるけど、1つは近衛軍の指揮権の零細化だ。近衛軍の強大な指揮権を背景にして皇帝の地位に即いたのだから、同じような事が起こらない様に“大将”と“中将”の地位を廃止してしまったんだ。最高軍官が“少将”になってしまったのだから、僅かな部隊しか指揮できない。上は皇帝だから、“大将”と“中将”を皇帝が兼務する事になった。こうする事で大軍を指揮できるのは皇帝のみとすることで、反乱の芽を摘んでしまったのさ。節度使についても、急に廃止するのではなくじわじわと権限を削って、最後には“名誉職”にしてしまった。それも頭ごなしでは無く話し合いを繰り返している。まず、節度使が派遣していた“鎮将”を中央から派遣した“県尉”に換わらせた。元々は“県尉”の仕事として警察業務があったのを元に戻したんだ。これで1つ節度使の力を削いだ。次は節度使を頻繁に“転任”させた。土着勢力との結びつきを絶つ事で居座らせないようにしたんだ。これも国都へ呼んで直々に説得してやっている。“不満はあるが、皇帝がわざわざ頼むから、顔を立ててやるか”って気持ちになるのさ。軍隊からも優秀な兵士は中央へ引き抜いて弱体化を進めた。やがて既成事実が趙匡胤の有利な様に積上げられると、節度使の部下達はみんな中央から送られて中央の意思を執行する様なになった。節度使が持っていた租税や塩税の徴収権も“転運使”に置き換えられると加速度的に節度使は解体された。武将が民政長官を兼ねる事自体が異常な職だったんだ。こうして節度使は無用の長物化されて名誉職になった。退役間近の軍人に花道として節度使の称号を授ける。名誉の称号としてはふさわしい残光はあったからね。民政を文官の手に戻す。五代からの武家政治を文官政治に変えるのが宋がめざした方向だった。そのためには大量の文官を必要とするよね。隋から始まった科挙が本格的に力を発揮したのが宋からだった。科挙に及第して進士になれば、官界への進出を阻む勢力は宋代には無くなっていた。それまでの貴族階級は没落して、門閥自体も消滅していた。経済活動が盛んになり、商工業も発達し始めると余裕がある階層が生まれ、彼らが科挙に挑戦するのが普通の事になった。“市民興隆時代”と言ってもいい時代になったのさ。武官職が兼ねていたものを文官職に置き換える。これが“文治主義政策”の内幕だよ。やがてはこの“文治主義政策”が行き過ぎて別の問題も出ては来るが、それはまた次の機会に話そう。では、質問のある方はどうぞ!」「“石刻遺訓”には何が刻まれていました?」道子のお母さんが手を挙げた。「西暦1127年、金軍が国都開封を蹂躙した際、宮殿も破壊されて初めて“石刻遺訓”が明るみに出たと言われています。太祖趙匡胤の遺訓は2つ、“後周王室柴氏”の面倒をいつまでも見ること”“士大夫を言論を理由として殺してはならない”即位後の秘儀としてこれを見た諸帝はこれを厳守したそうです。金に追われて南に移った後も柴氏への祭祀を絶やさなかった事。政争がどんなに熾烈でも敗れた側が左遷、流罪になる程度だったのは奇跡と言うべきです」「さすが、お見事でした!さあ、一息入れましょう!」道子のお母さんが拍手をすると、お菓子を山盛りにした器を持って来てくれた。「お母さん!“石刻遺訓”なんて教科書にも載ってないよ!Yだから答えられた様なものだけど、ちょっとズルくない?」道子が口を尖らせる。「小学校1年生で百科事典に取り組んでたY君だもの。ちょっとテストしてもいいじゃない!噂に違わぬ広い視点に感服しました!」お母さんはニコニコして言う。「半分は趣味の世界ですから」と言って紅茶をいただく。お母さんは台所へ戻って行った。「軍人が民政も兼ねるなんて、なんか植民地の総督みたいだね」雪枝が言うと「それが各地に割拠してたんだから、唐の末期なんて1つの地方政権になってる訳だ!」さちも言う。「去年のあたし達のクラスを思い出すね。分裂してたのを統一したのは、みんなが結束する“事件”が続いてあったからだなんて皮肉よね」「けれど、それを逆手に取ったからこそ今がある。歴史は繰り返すって言うが、クラスを割る様な真似はさせられないよな」僕もしみじみと言った。「Y、講義ご苦労様。数行の文章をここまで広げて聞かせてくれるのは、Yの真骨頂だね!」道子が僕の頭を撫でる。「“石刻遺訓”なんて良く答えられたね!あたし達は初耳だけど、Yは調べてあったの?」「宋代までを通して学ぶのが、江戸時代の武士の習わしだからね。“十八史略”は必読書とされたから、割と掘り下げて調べてあるのさ。江戸時代の武士を知るには彼らの学びからアプローチする手もある。日本史にも通じることだからね。特に中国史は密接なかかわりがあるし」「Yの頭はコンピューター回路で組み上げてない?定期的にデーターを送ってるとかさ」雪枝が悪乗りを始める。「この中身はみんなと同じだよ!」僕は自ら頭を叩いて反論する。「ふむ、ネジの類は皮膚で隠しておるな!」さちも悪乗りに入る。「サイボーグではありませんから!」「どこかを押せば“ビーム”が出るかもね。道子のウチを破壊するでないぞ!」さちはニヤケて首筋やこめかみの辺りを突っつく。こうなると始末が大変だ。「さて、次は抜き打ちで“武田信玄”の講義をお願いしようかな?Y、行ける?」「うーん、何とかまとめられそう。本当にやるのかい?」「勿論!せっかく連行したんだから、徹底的に行くわよ!」道子は手綱を緩める気配は無さそうだ。「ここは信玄とゆかりが深い。多少は逸れるかも知れないが、やってみましょう。ボートを裏返してもいいかい?」「OK、準備が出来たら始めて!」思わぬ展開だが、僕は信玄について話始めた。結局はお昼を挟んでの大講義になったが、何とか切り抜けた。道子の家を後にしたのは午後4時を回っていた。
「Y-、無事に帰り付いた?」電話口で道子が問う。「ああ、今着いたところだよ。悪かったな。すっかりご馳走になっちゃって」「いいえ、熱の入った講義をありがとねー。ママもね“Yの生き生きした姿が見られてホッとした”って。何しろ昔の大病を見てるでしょう?ママも半信半疑だったのは事実なのよ。それが、あたし達を教える側で、あの大熱演だもの。“これで安心した”って言うのが本音なのよ。だって、15歳まで持つか分からなかったでしょう?」「確かに。もうそのラインは超えてるからな。とにかく、しぶとく生き抜いてやるよ!」「ママにそう伝えとくね。新学期、また元気に会おうよ!次は修学旅行が待ってるからさ!」「おう!それ、それ!今年最大の“難関”だからな。赤坂がダウンしたら、指揮権を引継いで統率を執らなきゃならない」「そのためにもしっかりと“充電”しといてよね!」「分かった。じゃあ、またな!」と言って電話を切ると、郵便物に眼を通しながら自室へ向かう。「あれ?これ、誰だ?」差出人不記載の封筒が混じり込んでいた。宛名は間違いなく僕だ。パステル調の鮮やかな封筒は誰が寄越したのだろう?とにかく開けて見るしか無さそうだった。封を切ろうとペーパーナイフを手にした時、電話が鳴った。僕が取ると西岡からだった。「夜分に済みません。参謀長、差出人不記載の郵便物は届いていませんか?」「君は“千里眼”の能力も備わっているのか?確かに手元にあるが、それがどうした?」「開封してはダメです!そのまま、新学期にあたしに手渡して下さい!“戻れない道”へあなたを送る訳には行きません!」「どう言う事だ?」「反勢力の罠です!名義は上田ですが、それは擬装なんです!かつて、赤坂君が落ちた罠と同じ仕掛けです!」「と言う事は、3期生の不穏分子が画策したと言う事か?」「そうです。あたし達の手元にも全く同じものが届いています!とにかくそのままで保管して無視して下さい!」西岡は必死に訴えて来る。「誰だ?この手を使うのは“悪魔に魅入られた彼女”しかおらんが・・・、まさか?!」にわかには信じられなかったが、背筋が凍った。「菊地の逆襲なのか?」「まだ、確証はありませんが、可能性はあります!」西岡の声は地獄の底から聴こえて来る様に思えた。
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