盆休み中、城田や長谷川、三井さんからの電話で、O工場の情報はある程度把握出来ていたが、鎌倉達の帰還に寄ってより具体的内容が、明らかになった。“モグラ叩き”と呼ばれる細部の詰めが、意外に“重荷”になっている様だった。ボディは量産の目処が立ったものの、AFの精度やプログラムには、まだ課題が多く低温での動作が不安定になるなど、主に電気系統の“モグラ叩き”に手こずっているらしかった。初のAF一眼レフでもあり、技術的な課題は山積していた。それでも、各ユニット単位で先行出来る部分もあり、サブアッセンブリーは、9月中にスタートするとの情報も入った。更に、国分側の“砲撃”に対しての“応戦”を見送らせたのは、田納さんの判断に寄る事も分かった。「相手を刺激したらアカン!平身低頭!嵐が過ぎ去るのを待て!」と言い含めた様だった。だが、それでも一度火が点いた“導火線”を消すのは容易では無い。爆発の連鎖は続き、火は燃えるに任せて置くしか無かった。「下手な手出しはアカン!ワシが何とか消しにかかるわ!それから“まともな話”を進めるより無いやろう?長い事かかるけど、こちらの“誠意”を見せるしかあらへん!」と田納さんは、幹部を制したと聞いた。そうした事情もあり、“帰還事業”は時期が来るまで事実上、“棚上げ”にせざるを得ず、O工場は沈黙を続けるしか道は無かったのであった。
こうした“隙”を国分側も黙って見ては居なかった。その1例が、僕への“権限付与”である。新体制の構築と平行して、徳永さんが見ていた仕事の一部が、僕の手元に転がり込む結果となったのである。“勤怠管理”や“物品・消耗品”の調達、“進捗管理”、前工程との“調整”など、業務内容は多岐に渡った。こうなると、流石に“火の車”になるのは、必然性があり“国家老”とも言うべき人材の必要性が課題になった。しかし、“安さん”が黙って居るはずは無い!8月の最終週に1人の社員が、返し工程に配属された。橋口さんと言う方で、機械工具事業部からの転属であった。“安さん”が、強引に引き抜いた橋口さんは、30代半ばで、大人しい性格であった。無論、仕事は1から教えなくてはならないし、原田さんに対する“指導”からも目は離せなかった。僕の1日は、分刻みのスケジュールを組まなくては、回らなかった。基本はこんな感じだ。
1.朝、朝礼後に、炉から出て来ている製品を調べて、橋口さんと作業準備に頭出し。
2.午前8時から、徳さんと田尾との打ち合わせと調整。
3.午前8時半から、パートさんの朝礼。その後に、整列工程と塗布工程との打ち合わせ。
4.午前9時頃から、“進捗管理”と橋口さんと原田さんへの指導、教育を兼ねて作業。
5.昼食前に検査室のデスクに移って、検査の“進捗管理”と打ち合わせ。
6.食事後に“勤怠管理”やその他の“雑務”をしながら、返し作業にも入る。
7.午後3時にパートさんの作業終了時の片付けの手伝いと、明日の見通しの確認。
8.定時後に、徳さんと田尾と検査との“調整”と“修正”若干の“雑務”をして、退勤。
こうした間にも、電話や下山田さん、橋元・今村のご両名との折衝も入ってくるし、田尾や徳さんとの“微調整”や煽りが入るし、神崎先輩達との打ち合わせや煽りも来る。返しの作業室のデスクと検査室のデスクを行き来しながら、橋口さんと原田さんの面倒も見るのだ。僕としては、基本的には返しを預かる立場に変わりは無く、作業にも加わる必要があった。だが、中々“そうは問屋が卸さない”で、度々作業を中断しなくてはならない事も多々あった。橋口さんと原田さんが、1人立ちするまでは“我慢”の日々になった。「Yさん、忙しすぎて目が回らないか?」と橋口さんや西田・国吉のご両名も心配してはくれたが、「大丈夫ですよ!まずは、今月をキッチリと終わらせましょう!」と言って虚勢を張った。しかし、所詮は虚勢である。その日の夕方「Y、少しは橋口さんに任せなよ!」と恭子に詰め寄られた。「“国主”が現場に立ち続けるなんて、無理よ!“国家老”が来たんだから、指示だけ出して見てればいいんじゃない?」と神崎先輩も言い出した。「お説、ごもっともなれど、“指揮官が自ら先頭に立たずして、部下が付いて来る訳無し”でね。“他力本願”が一番嫌いなんだ!現場で育った者は、現場の空気が吸いたいんだよ!」と返すと「Yは、充分に“先頭”に立ってます!前との“調整”だって一手に担ってるし、徳永から降ってきた“業務”もあるのよ!いずれ何処かで“線引き”しなきゃならないんだから、少しは考えてよ!」と恭子に噛み付かれる。「今月一杯は待ってくれ。橋口さんが慣れるまでは、もう少し時間が必要だ。完全に手を引く事は出来ないよ。“おばちゃん達”を率いて行くには、それなりに、僕が目を光らせる事は必要さ。9月に向けての“布石”だからね。もう少し待ってくれないか?」と粘り強く説得をするしか無かった。そうした僕の姿を陰から見ていた“安さん”は、「今が“信玄”の踏ん張りどころかな?いずれは、全体を背負って進まなくてはならん!“人に任せる”事の真の意味合いをどう見つけて、折り合うか?愉しみにするとしよう!」と笑っていた。「徳永、来月からは完全に“真下”はヤツにくれてやれ!お前は“新型整列機”に専念して構わん!その次が“塗布機”の更新になる。古い衣は捨て去って、新体制で増産に乗り出す!Yが手掛けている“構想”に乗っかって、一気呵成に事業部の体制を刷新する!」と階段を昇りながら言った。「しかし、如何に“信玄”の能力を持ってしたとしても、いささか性急過ぎませんか?」と徳永さんが反論すると、「ヤツは必ずや、やり遂げるだろう!そして、“代わりの利かない人材”となるだろう!Yを“留め置く”には、“それなりの理由”が無くてはならん!目下、苦戦しては居るが、必ずや立て直して成果を出すだろうよ!その時に“誰も異を唱える者”が出ない様に仕向けるのが、俺達の役目。田納さんに文句を言わせぬためにも、今から備えて置かねば、勝てはせん!」と“安さん”は言い切った。「Y、午前中は返しの作業室、午後は、ここの検査のデスクって居場所を決めて!のべつ幕無しに仕事するのは、認めないわよ!」恭子が言い放つ。「そうだな。完全に手を引けない代わりに、この条件を飲んでくれるなら、認めよう!」と徳さんも言い出した。「仕方ないね。仰せの通りに致します。どうやら、来月は全面的に“責任者業務”が降って来そうだからな!」止む無く折れるしか道は無かった。
「Y、遂に“責任者”にされちまったらしいな!」鎌倉と夕食の食卓に相対した時に切り出された。「もう、噂は拡散してるのかよ。広めたのは“安さん”だな!有無を言わさずにかかるつもりだな!」「まあ、予定通りじゃないか。これで、安易に“引き抜こう”と画策しても“無駄”だとO工場側に突き付けた様なもんさ。俺も負けては居られないな」鎌倉も大いに刺激を受けたらしい。「あたしも、岩留さんから“いいレポートだった”って褒められたわよ!これで、少しは“理由”を作れたかな?」遅れて美登里もやって来た。僕等3人の“残留計画”は、順調に推移している様だ。「どうやら、来月の頭に光学の副本部長が“交渉”に来るらしい。9月末を持って、第1次隊は“任期”を終えるからな。どれだけの人員が引き上げられるか?1つのバロメーターにはなりそうだな!」鎌倉が意味ありげに言った。「事は簡単じゃない。1人でも多く“帰して欲しい側”と“帰さずに済ませたい側”の全面対決だ!すったもんだの大騒ぎになりそうだな」「その“余波”を受けたくは無いわね」僕と美登里の見解は一致していた。「田納さんの腹の内がどうなってるのか?現時点では、全く分からないが、妻帯者は優先的に“帰す方向”で総務は考えて、各事業部に通知した。我々、単身者の扱いについては、“トップ会談”の席上で“ある程度”は決まるだろうが、O工場側が沈黙してるのが気になる要素ではある。特に1次と2次隊には、優秀な技術者が多数含まれてる。果たして、O工場側がどう出るかな?」鎌倉が宙を仰ぐ。「肝心の新機種の開発が遅れてる事を考慮すれば、余り無理は言わないだろうな。“やる事がありません”じゃ、余剰人員になっちまう。ただ、この場合の“規則”がどうなってたかな?」僕も宙を仰ぐ。「その辺は、総務でも頭を悩ませてるよ。“延長戦”に持ち込むにしても、一時的な“引き上げ”は必要かも知れないとは言ってたぜ!」「そうすると、一旦は“帰着”してから“再派遣”って事になるの?」「あり得るな!そこで、“足止め”しちまえば有無を言わさずに、人員は確保出来るからな!ただ、そんな手を使うか?疑問もあるけどな」僕等はそれぞれに思いを巡らせた。共通しているのは、“安易な妥協をしたく無い”事だった。「3人共に“責任ある立場”に居る事だ。それを放り出して帰還するのは、“主義”じゃないだろう?国分側だって“育て上げた人材”なんだ。簡単に“はい、そうですね”なんて言うはずが無い。何処で“折り合う”つもりなのか?今は、性急に結論を探らなくてもいいんじゃないか?」僕がそう言うと「かもねー」「道は続いてるしー」と反応が返って来た。「田納さんの腹の内が読めればなー」「遠すぎて無理よ!」鎌倉も美登里も僕も、一抹の不安を抱えて夕食を終えた。
「ええか、帰してもらえるだけでも“ありがたい”と思うんや!愚痴を聞いても、何も変わらんし、身動きも取れへん!工場側のリストに寄れば、国分と“抗争”が起きて、どえらい話になるだけや!最小限での帰還を目指すんが、順当や。じっくりと腰を落ち着けんとダメやで!」居並ぶ工場幹部達を前に、田納さんは釘を刺した。O工場側が作成した“早期帰還者リスト”には、僕も、鎌倉も、美登里も含まれていた。しかし、田納さんはこれを一蹴して、決めつけたのだ。国分側の強硬姿勢を踏まえて、確実に人員の帰還を目指すには、まず“和平”を結ぶしか無い。それも、O工場側が全面的に“譲歩”する形を取らざるを得ない。そうしなくては、数多の人員を失いかねない!田納さんは、そう力説した。「しかし、これから先は、ベテランの腕が必須です。配置転換をして、早期に“育成”する技術者も含まれてます。何とか早く帰してはもらえませんか?」製造部隊の幹部が切り出すと、「ボケ!強引な“申し入れ”をして、話をややこしくしたヤツは誰や?!そんなん、一々聞けるか?聞いとったら、血を見るで!」と田納さんは撥ね付けた。こうなると、幹部達も諦めるしか無かった。「ええか!妻帯者優先!単身者は、粘り強く口説き落とす!これでええな?」誰も異を唱える者は居なくなった。こうして、副本部長が作成した“帰還者リスト”が承認された。僕等の帰還は、“無期延期”とされたのだった。
木曜日になると、流石に慌ただしさが増して来た。流れて来る製品の9割は“9月分”で、8月の残りは、GE関係を残すのみとなった。“おばちゃん達”が作業にかかると、僕は橋口さんに「来週からは、午後は検査室のデスクで執務を取ります。無論、全てから手を引く事はしませんが、午後は、橋口さんの“裁量”で事を進めても構いませんよ」と告げた。「えっ!“武田の騎馬軍団”の指揮を執るの?!無理!無理!“信玄公”が居てこその“武田軍”じゃない!私にそんな能力は無いよ!」と尻込みをされる。「僕も、実質1週間で、ここの指揮を執る事になりました。あなたにも出来ない理由がありません。朝礼や勤怠関係は、僕が行いますよ。必要ならば、朝からの指示も出しましょう。午前中は、ここのデスクで執務を執りますから、聞いてくれればその都度指示は出せます。しかし、午後だけは目が届かないので、橋口さんに指揮して欲しいんですよ。実際問題、徳永さんが行っていた執務の大半を振られて来て、手が回らないんです。しかし、基本はあくまでもここでの仕事。先は分かりませんが、早めに慣れて置く事が必要でしょ?10月以降の“身の振り方”も未決定ですし、引継ぐとしたら、顔が見える内に手を渡したいのですよ」と言って手の内を明かした。「聞ける内に、居る内に私が指揮を執れる様にする?知らぬ者は居ないと言う“武田の騎馬軍団”の一部を率いるのか!やっては見たい気はするけど、・・・」「責任は、僕が取りますよ!そのために僕はここに居るんです。検査も出荷も僕が“最終責任を負う”これでもダメですか?」「自由にやらせてもらえるなら、困ったら助けてもらえるなら引き受けるけどね。それでもいいかい?」「そのつもりです!まだ、全てを教えてはいないですから、時間をかけて継いでいってもらいますよ。原田さんの事もあるし」僕と橋口さんの会話は筒抜けだった。わざと聞こえる様にしたのだ。手強い“おばちゃん達”を手懐けるとしたら、余程の理由か実力が無いと無理だった。“午前中は目を光らせてますよ”と言うメッセージをさり気無く流すことで、動揺を最小限に抑える。昨夜、散々考えて捻り出した“渾身の一撃”だった。その時、「GEが出たよ!」と焼成炉の担当者から知らせが来た。あいにく、全員の手が塞がっていた。「よし、ぼくがやりましょう!」素早く身支度を整えると、治具をセットして、素早く処理に入る。「Y、GEはまだか?」田尾が誰何してきた。「今、やってるよ。後、5分くれ!そうすりゃあ、検査に煽られても続けられる!」「急げよ!口空いて待ってるからよ!」「了解だ!」「続けて2ロット来ます!」炉からも情報が飛んで来る。「このまま、続行します!皆さんは各自のベースを維持!原田さんは、キャップを続けて!」僕は揺らぐ事無く言った。「スゲェ!これが“信玄”と呼ばれる由縁か!」橋口さんが唸った。彼の想像を超える速度と処理能力。最近は、手を染める機会も減ってはいたが、腕は落としてはいない。“いつでも、牙を剥いてかかれるよ!”と言うメッセージも伝えられた瞬間だった。GEは、午前中に倉庫へ納められた。
「ええか!頭を低くして、平身低頭で行くんや。1人でも多く1次隊の連中を帰してもらうんやから、国分側に逆らったらアカン!ぎょうさん帰してもらえるなら御の字や!手始めに半分、25名を“帰して下さい”とお願いに行くんやからな。欲を掻いたりしたら承知せんで!やっと、各本部長も“うん、そうか”ってゆうてたさかいな!」国分工場へ単身乗り込む副本部長に、田納さんは言い含めた。「はい、これ以上の関係悪化は回避する方向で、調整にかかります!」「うむ、頼んだでー。工場の連中を連れて行ったら、これまでのワシの苦労も“水の泡”になってしまうさかいな!お前に託す!」「はい、では、行って参ります」副本部長は、用賀から羽田へと急いだ。田納さんが“苦心して希望した”25名の“帰還者名簿”を副本部長は持参している。工場の理屈は抜きにして、まず“帰還実績”を重視した結果だった。「ホンマは、“四天王”を取りたいが、ガードが固すぎて無理や。じっくりと、時間をかけて取り返すしかあらへん!」タバコに火を点じると、一服して東京の街並みを見る。「山はこれからや!長いでー!」田納さんは、自分の置かれた立場をわきまえていた。O工場側からは、“必要な技術者を優先出来ないでしょうか?”とのFAXと電話が来たが、「ボケ!この前、話した通りや!」で一顧だにせず切り捨てたばかりだ。工場側の事情も分からなくは無い。しかし、“過去の失態”のツケは重く、それを跳ね除けてまで強引に押し通す理由が見えなかった。「“無益な戦争”だけは、回避せなアカン。“橋頭堡”を築くのが先やないか!それからやっと“交渉の席”に着けるんや!お前達も黙って見とれ!」総務にも矢と鉄砲を撃ち込んで、副本部長を送り込んだのだ。文字通りの“背水の陣”で望むしか無かったのだ。「まずは、“和平交渉”からや!」新本部長の長い戦いが始まった。
そして、金曜日。最後の追込みに力を尽くす。来週からは、こうした作業にも手を染める機会も中々無いだろう。午後からは“引き継ぎ”が待っている。「今更なんだが、“引き継ぐ側”と“受ける側”それぞれに“質疑応答”はある。前工程は、引き続き俺が見るが、後は“完全委任”になる。いずれは、全てを渡す日も来るだろうから、しっかりと継いでくれ!」と徳永さんは言った。“全てを引き継ぐ日”とはいつなのか?そら恐ろしい事だと身震いが来た。しかし、“安さん”の腹の内は変えられない。「早いか?遅いか?それだけさ!」と自身を鼓舞するしか無かった。「来週から引き受けるのか!不安感ばかりだよ」と橋口さんは、戦々恐々だった。「まあ、気楽にして下さい。本格的に“継いでもらう”としたら、後、半月は必要ですから」とサラリと言うと「“信玄公”の留守番だからね!“領国の支配”も忘れんでくれよ!」と悲鳴に近い声が上がる。「大丈夫!獲って食う訳じゃないから」と“おばちゃん達”も言う。検査室のデスクには、書類が山積みになっているし、返しの作業室のデスクにも、進捗管理の書類が山積みだ。走り出した“新体制”は、まだ完全には機能してはいなかったが、検査室と出荷スペースには、要請したホワイトボードも取り付けを終えた。返し工程にはコルクボードが新たに追加され、磁器の納入予定と、出荷予定が合わせて掲示された。着々と事は進行しているのだ。引き返す選択は有り得ない事になった。そんな中、「今更になっちゃったけど、原田さんと橋口さんの“歓迎会兼、信玄公の総司令就任祝い”をやりたいんだけど、日曜日の昼でどうかな?」と野崎さんが聞きに来た。「いいですよ。時間は?」「午後1時から、場所は恭子ちゃんが知ってるから、揃って来て!」と言う。検査からは、恭子とちーちゃんが代表として出るとの事で、神崎先輩は、都合上無理だそうで、欠席となると言う。「やっと呑めるから、愉しみにして置いてよ!」とおばちゃん達もワクワクしていた。“ザル”がどれだけ居るのか?“ウワバミは誰か?”怖いモノ見たさ半分の“宴”になりそうだった。「Y、スポットはあるか?」徳さんが確認に来た。「ああ、炉から出始めたばかりだが、どうした?」「納期の“前倒し要請”が来ちまった!流せるか?」「やりましょう!1つでも先に流せば、それだけ後が楽になる。シフトはこのまま、現状を維持。ギアを1段上げて!原田さん、“実習”も兼ねて手伝いをお願いします!ゆっくりでいいので、付いて来て!」即断で、僕が動く。原田さんに、治具の使い方を見せながら、僕が追込みをかける。「何度見ても、隙が一切無い。あのパワーとスピードは、どうやって身に付けたんだろう?“信玄”の実力の基は、何処から手に入れたんだ?」橋口さんがまたまた、呻く様に首を傾げる。「周りを見て下さいよ。“師匠”は、皆さんです。仕事は“盗んで覚える”モノ。実力者ばかりに囲まれてるんです。日々1つでもいい。何かしらの技術的な事を見て、教えてもらう。僕は、そうして身に付けました。1からのスタートでも、たゆまぬ努力を積めば、自然に身に染み込む様に馴染みますから」と口は言うが、手は止めない。原田さんも、コピーをしようと必死になっていた。「焦らなくて大丈夫!初めての時は、ゆっくりと確実にトレーへ納める事だけを意識して。肩の力を抜いて、目の前に集中するのが第1歩目。誰だって最初から完璧に出来た人は居ませんよ。まずは、このロットを終わらせる事だけを意識するんです」と原田さんには、目を向けて指示を出してやる。だが、僕の手は、片時も止まらない。「Y先輩、スポットをもらって行きますね!」実理ちゃんが、サンプルを受け取りに来た。“御朱印の儀”と誰かが言い出した品証へのサンプル出しだけは、譲らなかった。どんなに忙しくても、きちんと手渡す。こうした姿勢を見せる事は、“おばちゃん達”にも安心感を植え付けるためには、必須項目だった。「どれだけ忙しくても手は抜かない!Yさんらしい事だわ!」「あたし達が、育てた人だから間違いは無いわよ!」口々に“おばちゃん達”も言う。「やっぱり、スゲェ!途轍も無くデカイ背を追うのか?並の事では、“影すら踏めぬ”だな。皆さん、来週からは、“弟子入り”させてもらいますから!」と橋口さんが腹を括って言った。「甘くは無いよ!」「ビシッと行くからね!」西田、国吉のご両名が、脅しをかけてから笑う。「お手柔らかにお願いしますよ!」と泣き付いて行った橋口さんだが、頭を下げた。彼も、歳下に負けまいとする“プライド”は当然あった。スポットを片付けた頃には、早くも“実習”が始まっていた。必死に追い上げる“追尾作戦”は始まったばかりだった。
その頃、O工場では、三井さんを中心とした技術者達が苦悩していた。新機種のボディの加工時間は、約40秒、1直8時間での生産個数は、720個。1日当たり約2160個となり、20日間稼働に換算すると、約43200個になる。3機種に振り分けるには、些か足り無いのだが、4直3交代を組めばクリア出来なくは無かった。ただ、もう1つの基幹部品である“ミラーボックス”は、深刻な事態に直面していた。アルミダイキャスト製であるが故に、その加工工程は長く、20数工程に及ぶ段階を踏まねばならない上に、時間も要するため、ボディの半分程度である1直当たり約360個、1日当たり約1080個、20日間稼働換算でも約24600個が限界であった。しかも、加工工程の“鍵”を握る技術者達の多くは、国分に“派遣隊”として“従軍”している最中であり、第1次及び2次隊に集中していた。彼らの技術的な見識無くして、“増産”への道筋は付けられず、工程の見直しすら手が出せない状況下に置かれていたのだ。一連の“モグラ叩きゲーム”もようやく蹴りが付き、ボディと共に“先行生産”に手を付けねばならない時期に来ては居たのだが、肝心の“戦力”が圧倒的に不足していては、先行きに立ち込める“暗雲を吹き飛ばす事もままならない状態”だったのだ。「エースの吉田さん、進藤(克ちゃん)が居なくては、事態の打開策も立たない!一刻も早く戻ってもらわなくては、生産高の向上すら見込め無い!どうすればいい?」「2人は、2次隊だ。11月にならないと、O工場に戻って来ない。それまでは持たないぞ!」「Yも同じくだ。プレスからコンバートするにしても、時間が惜しい!9月末を持っての引き上げ要請は、無理だろうか?」三井さん達は、連日連夜人の確保に頭を悩ませて居た。そこへ、用賀の長谷川から、副本部長の小林さんの鹿児島行きの知らせが届いた。「直に依頼をかけて、3人の早期引き上げを“要請”出来ないか?」と三井さん達が考えたのは、自然な流れだった。ただ、“対外情報の収集に疎い”技術者集団は、田納本部長の“和平交渉”を知り得て居なかったのである。それ故に、小林さんが三井さんの依頼を呑めるはずが無い。宿泊先で小林さんを捕まえたのはいいが、双方の主張が噛み合う訳が無かったのである。「三井!俺は“和平交渉”を進めて、第1次隊の連中の“帰還”をスムーズにするために、鹿児島へ来てるんだ!2次隊の3人を“早期に帰還させる事”など、本部長から指示は受けていない。勝手な真似が出来ると思うな!」と小林さんは言い返した。「しかし、事は深刻さを増してます!何とかなりませんか?」「無理だ!何と言われようが、無理なんだ!半導体部品事業本部を“敵”に回せると思うか?三井の言った3人は、いずれも、半導体部品事業本部の所属だ。この前、やっと“うん、そうか”と同意を取り付けたばかりだぞ!田納さんが聞いたらタダでは済まんぞ!この話は伏せてやるから、大人しく待て!そもそもだ、仮に交渉のテーブルに話を乗せたとしても、まず通らないだろうよ!お前達は、“対外情報”に疎すぎる嫌いがあるな!国分工場の田中さんに連絡して、3人の情報を聞いてからモノを言え!」「どう言う事です?応援先で、何か問題でもあるんですか?」「大ありなんだよ!特にYについては、“信玄”と呼ばれて“重用”されてる!9月からは、製造課の半分を取り仕切る立場まで、“出世”しとるんだ!課全体を任されるのは、“時間の問題”だとまで言われてる!“事情が代わりましたから”何て気軽に言えると思うか?国分工場で“信玄”と言えばサーディプ事業部の“エース”として、知らぬ者は居ないそうだ!こっちは、完全な“実力主義”なんだ!実際問題、数字も出してるし、“万年お荷物だった部門”を立て直した立役者なんだ!迂闊な事をすれば、“島津家の精鋭部隊に総攻撃を喰らう”だけで無く、“流血”の惨事になりかねん!そうなれば、“誰も帰れない”と言う最悪のシナリオが現実問題として浮上しかねん!三井、そうした“情報”にも目を向けてくれないか?闇雲に“帰して下さい”とは、言えない“事情”を理解してモノを言え!」小林さんの言葉に三井さんは、呆然と立ち尽くすしか無かった。「応援で派遣されたのに、“課責クラス”?!そんな馬鹿な?!」「嘘でも何でも無い“事実”だ!Yは、パートを含めて約70名を統率する“責任者”なんだよ!O工場では、“有り得ない人事”に感じるかもしれんが、国分工場では、“完全実力主義”が敷かれてるんだ!本人が“水を得た魚”になれば、どんな地位にも昇り詰められるんだよ。未だに“年功序列主義”に固執しているO工場の常識は通用しないんだ。吉田も進藤も、“事業の中核を担う人材”として“プロテクト”の対象になってる!下手な手出しをすれば、我々の“目論見”は根底から覆る事になるんだ!三井、その辺は、国分に居る田中さんから、“情報”を聞いてくれ!嘘偽りでは無い事はそれで証明出来るだろう!田納さんの努力を無にしないためにも、余計な口出しはするな!分かったな!!」そう言うと小林副本部長は、電話を叩き切った。三井さんから話を聞いた者達は、口々に「そんな事は、有り得ない!」と言って呆然と立ち尽くした。「手も足も送り込んでしまった、我々のミスだ!O工場に帰って来ても“平社員”に戻るだけなら、“帰る”と言う選択肢は意味を失うだけだ。クソ!何と言う失態だ!」三井さんは臍を噛んだが、時すでに遅しであった。派遣隊もO工場も“土壇場”ではあったが、“逆転の芽”は見えなかった。
三井さんは、その後、国分工場の田中さんにも電話をして確認したが、返って来た返事は同じだった。「三井、お前さん達の認識は甘すぎるぞ!“プロテクトリスト”には、既に数多の者達の名前が列記されてる。そっちが思う程、簡単に必要な人材が“帰れる”と思うな!」と釘を打たれる始末だった。「しかし、“任期満了”を持って引き上げるのが“筋”じゃありませんか?そもそも、“籍”はO工場にあるんです!」と言うが「先般、そっちの総務が、勝手に“帰してくれ!”と喚いた事に対して、国分側は“反発して、不信感すら抱いている”んだぞ!国分側は、各事業本部の本部長に働きかけて“帰すに及ばず”とまで踏み込んでの“抗議活動”を展開しとる。国分側にしても“死活問題”だからな。その話を知らぬ訳があるまい!」と言われるが、三井さんはその辺の経緯を全く知らされていなかった。初めて耳にする始末であったのだ。これは、O工場の幹部の責任であり、三井さんに非は無いのだが、関係する当事者にして見れば“知らない”と言われる事の方が意外に感じられてしまった。「三井、お前達の認識の甘さは何処から来るんだ?“光学対各事業本部の全面戦争”の一歩手前なんだぞ!既に国分側は“先制攻撃”をしている。まあ、田納さんが“応戦するな!”と止めたから、流血の事態は回避されとるが、完全に“和平交渉”へ移行した訳じゃ無いんだ。火の粉はまだ舞っている状況なんだ。“導火線”に火が付けばそれで終わりだよ。その手の話は全く知らんのか?」「ええ、初めて聞きましたよ。そんな深刻な事態になっているとは、夢にも思いませんでした!」「三井、全社が注目している一大事だぞ!当事者が“知りませんでした”などと軽々しく言うな!情報が降りて来ないなら、俺のところから情報を吸い上げて、周知するなり手を打て!泥縄主義では、仲間を、優秀な技術者を失いかねん!もっと外部で起こっている事にも関心を持て!ついでに言うとだな、Yは確実に“残留して転籍”になるだろうよ。あそこまで、昇り詰めたヤツがO工場に戻って“平社員”に甘んじるはずが無い。それ程にヤツは成功したんだ。鎌倉も、美登里もそうだ。“責任ある地位”に据えられた以上、“帰す理由”が無いんだよ!これ以上の流出を止めたければ、お前達も活動を起こして“帰還支援”に当たれ!田納さんや小林さんだけに任せきりでは、存亡に関わる大事をただ黙って受け入れるしか無くなるぞ!」田中さんの言葉に三井さんは愕然とした。知らぬ間に、内堀まで埋められていると言うのだ。裸同然の城では、防御態勢すらままならない。このままでは“座して死を待つ”も同然なのだ。「分かりました!遅きに失した感はありますが、出来る限りのアクションを起こします!定期的に連絡しますので、情報を流して下さい。お願いします!」と言うと電話を切って、内情を仲間に伝えた。「用賀に連絡を取れ!田納さんや派遣隊の情報を搔き集めろ!急げ!」周回遅れではあったが、追撃は開始された。苦しく長い戦いの始まりでもあった。
こうした“隙”を国分側も黙って見ては居なかった。その1例が、僕への“権限付与”である。新体制の構築と平行して、徳永さんが見ていた仕事の一部が、僕の手元に転がり込む結果となったのである。“勤怠管理”や“物品・消耗品”の調達、“進捗管理”、前工程との“調整”など、業務内容は多岐に渡った。こうなると、流石に“火の車”になるのは、必然性があり“国家老”とも言うべき人材の必要性が課題になった。しかし、“安さん”が黙って居るはずは無い!8月の最終週に1人の社員が、返し工程に配属された。橋口さんと言う方で、機械工具事業部からの転属であった。“安さん”が、強引に引き抜いた橋口さんは、30代半ばで、大人しい性格であった。無論、仕事は1から教えなくてはならないし、原田さんに対する“指導”からも目は離せなかった。僕の1日は、分刻みのスケジュールを組まなくては、回らなかった。基本はこんな感じだ。
1.朝、朝礼後に、炉から出て来ている製品を調べて、橋口さんと作業準備に頭出し。
2.午前8時から、徳さんと田尾との打ち合わせと調整。
3.午前8時半から、パートさんの朝礼。その後に、整列工程と塗布工程との打ち合わせ。
4.午前9時頃から、“進捗管理”と橋口さんと原田さんへの指導、教育を兼ねて作業。
5.昼食前に検査室のデスクに移って、検査の“進捗管理”と打ち合わせ。
6.食事後に“勤怠管理”やその他の“雑務”をしながら、返し作業にも入る。
7.午後3時にパートさんの作業終了時の片付けの手伝いと、明日の見通しの確認。
8.定時後に、徳さんと田尾と検査との“調整”と“修正”若干の“雑務”をして、退勤。
こうした間にも、電話や下山田さん、橋元・今村のご両名との折衝も入ってくるし、田尾や徳さんとの“微調整”や煽りが入るし、神崎先輩達との打ち合わせや煽りも来る。返しの作業室のデスクと検査室のデスクを行き来しながら、橋口さんと原田さんの面倒も見るのだ。僕としては、基本的には返しを預かる立場に変わりは無く、作業にも加わる必要があった。だが、中々“そうは問屋が卸さない”で、度々作業を中断しなくてはならない事も多々あった。橋口さんと原田さんが、1人立ちするまでは“我慢”の日々になった。「Yさん、忙しすぎて目が回らないか?」と橋口さんや西田・国吉のご両名も心配してはくれたが、「大丈夫ですよ!まずは、今月をキッチリと終わらせましょう!」と言って虚勢を張った。しかし、所詮は虚勢である。その日の夕方「Y、少しは橋口さんに任せなよ!」と恭子に詰め寄られた。「“国主”が現場に立ち続けるなんて、無理よ!“国家老”が来たんだから、指示だけ出して見てればいいんじゃない?」と神崎先輩も言い出した。「お説、ごもっともなれど、“指揮官が自ら先頭に立たずして、部下が付いて来る訳無し”でね。“他力本願”が一番嫌いなんだ!現場で育った者は、現場の空気が吸いたいんだよ!」と返すと「Yは、充分に“先頭”に立ってます!前との“調整”だって一手に担ってるし、徳永から降ってきた“業務”もあるのよ!いずれ何処かで“線引き”しなきゃならないんだから、少しは考えてよ!」と恭子に噛み付かれる。「今月一杯は待ってくれ。橋口さんが慣れるまでは、もう少し時間が必要だ。完全に手を引く事は出来ないよ。“おばちゃん達”を率いて行くには、それなりに、僕が目を光らせる事は必要さ。9月に向けての“布石”だからね。もう少し待ってくれないか?」と粘り強く説得をするしか無かった。そうした僕の姿を陰から見ていた“安さん”は、「今が“信玄”の踏ん張りどころかな?いずれは、全体を背負って進まなくてはならん!“人に任せる”事の真の意味合いをどう見つけて、折り合うか?愉しみにするとしよう!」と笑っていた。「徳永、来月からは完全に“真下”はヤツにくれてやれ!お前は“新型整列機”に専念して構わん!その次が“塗布機”の更新になる。古い衣は捨て去って、新体制で増産に乗り出す!Yが手掛けている“構想”に乗っかって、一気呵成に事業部の体制を刷新する!」と階段を昇りながら言った。「しかし、如何に“信玄”の能力を持ってしたとしても、いささか性急過ぎませんか?」と徳永さんが反論すると、「ヤツは必ずや、やり遂げるだろう!そして、“代わりの利かない人材”となるだろう!Yを“留め置く”には、“それなりの理由”が無くてはならん!目下、苦戦しては居るが、必ずや立て直して成果を出すだろうよ!その時に“誰も異を唱える者”が出ない様に仕向けるのが、俺達の役目。田納さんに文句を言わせぬためにも、今から備えて置かねば、勝てはせん!」と“安さん”は言い切った。「Y、午前中は返しの作業室、午後は、ここの検査のデスクって居場所を決めて!のべつ幕無しに仕事するのは、認めないわよ!」恭子が言い放つ。「そうだな。完全に手を引けない代わりに、この条件を飲んでくれるなら、認めよう!」と徳さんも言い出した。「仕方ないね。仰せの通りに致します。どうやら、来月は全面的に“責任者業務”が降って来そうだからな!」止む無く折れるしか道は無かった。
「Y、遂に“責任者”にされちまったらしいな!」鎌倉と夕食の食卓に相対した時に切り出された。「もう、噂は拡散してるのかよ。広めたのは“安さん”だな!有無を言わさずにかかるつもりだな!」「まあ、予定通りじゃないか。これで、安易に“引き抜こう”と画策しても“無駄”だとO工場側に突き付けた様なもんさ。俺も負けては居られないな」鎌倉も大いに刺激を受けたらしい。「あたしも、岩留さんから“いいレポートだった”って褒められたわよ!これで、少しは“理由”を作れたかな?」遅れて美登里もやって来た。僕等3人の“残留計画”は、順調に推移している様だ。「どうやら、来月の頭に光学の副本部長が“交渉”に来るらしい。9月末を持って、第1次隊は“任期”を終えるからな。どれだけの人員が引き上げられるか?1つのバロメーターにはなりそうだな!」鎌倉が意味ありげに言った。「事は簡単じゃない。1人でも多く“帰して欲しい側”と“帰さずに済ませたい側”の全面対決だ!すったもんだの大騒ぎになりそうだな」「その“余波”を受けたくは無いわね」僕と美登里の見解は一致していた。「田納さんの腹の内がどうなってるのか?現時点では、全く分からないが、妻帯者は優先的に“帰す方向”で総務は考えて、各事業部に通知した。我々、単身者の扱いについては、“トップ会談”の席上で“ある程度”は決まるだろうが、O工場側が沈黙してるのが気になる要素ではある。特に1次と2次隊には、優秀な技術者が多数含まれてる。果たして、O工場側がどう出るかな?」鎌倉が宙を仰ぐ。「肝心の新機種の開発が遅れてる事を考慮すれば、余り無理は言わないだろうな。“やる事がありません”じゃ、余剰人員になっちまう。ただ、この場合の“規則”がどうなってたかな?」僕も宙を仰ぐ。「その辺は、総務でも頭を悩ませてるよ。“延長戦”に持ち込むにしても、一時的な“引き上げ”は必要かも知れないとは言ってたぜ!」「そうすると、一旦は“帰着”してから“再派遣”って事になるの?」「あり得るな!そこで、“足止め”しちまえば有無を言わさずに、人員は確保出来るからな!ただ、そんな手を使うか?疑問もあるけどな」僕等はそれぞれに思いを巡らせた。共通しているのは、“安易な妥協をしたく無い”事だった。「3人共に“責任ある立場”に居る事だ。それを放り出して帰還するのは、“主義”じゃないだろう?国分側だって“育て上げた人材”なんだ。簡単に“はい、そうですね”なんて言うはずが無い。何処で“折り合う”つもりなのか?今は、性急に結論を探らなくてもいいんじゃないか?」僕がそう言うと「かもねー」「道は続いてるしー」と反応が返って来た。「田納さんの腹の内が読めればなー」「遠すぎて無理よ!」鎌倉も美登里も僕も、一抹の不安を抱えて夕食を終えた。
「ええか、帰してもらえるだけでも“ありがたい”と思うんや!愚痴を聞いても、何も変わらんし、身動きも取れへん!工場側のリストに寄れば、国分と“抗争”が起きて、どえらい話になるだけや!最小限での帰還を目指すんが、順当や。じっくりと腰を落ち着けんとダメやで!」居並ぶ工場幹部達を前に、田納さんは釘を刺した。O工場側が作成した“早期帰還者リスト”には、僕も、鎌倉も、美登里も含まれていた。しかし、田納さんはこれを一蹴して、決めつけたのだ。国分側の強硬姿勢を踏まえて、確実に人員の帰還を目指すには、まず“和平”を結ぶしか無い。それも、O工場側が全面的に“譲歩”する形を取らざるを得ない。そうしなくては、数多の人員を失いかねない!田納さんは、そう力説した。「しかし、これから先は、ベテランの腕が必須です。配置転換をして、早期に“育成”する技術者も含まれてます。何とか早く帰してはもらえませんか?」製造部隊の幹部が切り出すと、「ボケ!強引な“申し入れ”をして、話をややこしくしたヤツは誰や?!そんなん、一々聞けるか?聞いとったら、血を見るで!」と田納さんは撥ね付けた。こうなると、幹部達も諦めるしか無かった。「ええか!妻帯者優先!単身者は、粘り強く口説き落とす!これでええな?」誰も異を唱える者は居なくなった。こうして、副本部長が作成した“帰還者リスト”が承認された。僕等の帰還は、“無期延期”とされたのだった。
木曜日になると、流石に慌ただしさが増して来た。流れて来る製品の9割は“9月分”で、8月の残りは、GE関係を残すのみとなった。“おばちゃん達”が作業にかかると、僕は橋口さんに「来週からは、午後は検査室のデスクで執務を取ります。無論、全てから手を引く事はしませんが、午後は、橋口さんの“裁量”で事を進めても構いませんよ」と告げた。「えっ!“武田の騎馬軍団”の指揮を執るの?!無理!無理!“信玄公”が居てこその“武田軍”じゃない!私にそんな能力は無いよ!」と尻込みをされる。「僕も、実質1週間で、ここの指揮を執る事になりました。あなたにも出来ない理由がありません。朝礼や勤怠関係は、僕が行いますよ。必要ならば、朝からの指示も出しましょう。午前中は、ここのデスクで執務を執りますから、聞いてくれればその都度指示は出せます。しかし、午後だけは目が届かないので、橋口さんに指揮して欲しいんですよ。実際問題、徳永さんが行っていた執務の大半を振られて来て、手が回らないんです。しかし、基本はあくまでもここでの仕事。先は分かりませんが、早めに慣れて置く事が必要でしょ?10月以降の“身の振り方”も未決定ですし、引継ぐとしたら、顔が見える内に手を渡したいのですよ」と言って手の内を明かした。「聞ける内に、居る内に私が指揮を執れる様にする?知らぬ者は居ないと言う“武田の騎馬軍団”の一部を率いるのか!やっては見たい気はするけど、・・・」「責任は、僕が取りますよ!そのために僕はここに居るんです。検査も出荷も僕が“最終責任を負う”これでもダメですか?」「自由にやらせてもらえるなら、困ったら助けてもらえるなら引き受けるけどね。それでもいいかい?」「そのつもりです!まだ、全てを教えてはいないですから、時間をかけて継いでいってもらいますよ。原田さんの事もあるし」僕と橋口さんの会話は筒抜けだった。わざと聞こえる様にしたのだ。手強い“おばちゃん達”を手懐けるとしたら、余程の理由か実力が無いと無理だった。“午前中は目を光らせてますよ”と言うメッセージをさり気無く流すことで、動揺を最小限に抑える。昨夜、散々考えて捻り出した“渾身の一撃”だった。その時、「GEが出たよ!」と焼成炉の担当者から知らせが来た。あいにく、全員の手が塞がっていた。「よし、ぼくがやりましょう!」素早く身支度を整えると、治具をセットして、素早く処理に入る。「Y、GEはまだか?」田尾が誰何してきた。「今、やってるよ。後、5分くれ!そうすりゃあ、検査に煽られても続けられる!」「急げよ!口空いて待ってるからよ!」「了解だ!」「続けて2ロット来ます!」炉からも情報が飛んで来る。「このまま、続行します!皆さんは各自のベースを維持!原田さんは、キャップを続けて!」僕は揺らぐ事無く言った。「スゲェ!これが“信玄”と呼ばれる由縁か!」橋口さんが唸った。彼の想像を超える速度と処理能力。最近は、手を染める機会も減ってはいたが、腕は落としてはいない。“いつでも、牙を剥いてかかれるよ!”と言うメッセージも伝えられた瞬間だった。GEは、午前中に倉庫へ納められた。
「ええか!頭を低くして、平身低頭で行くんや。1人でも多く1次隊の連中を帰してもらうんやから、国分側に逆らったらアカン!ぎょうさん帰してもらえるなら御の字や!手始めに半分、25名を“帰して下さい”とお願いに行くんやからな。欲を掻いたりしたら承知せんで!やっと、各本部長も“うん、そうか”ってゆうてたさかいな!」国分工場へ単身乗り込む副本部長に、田納さんは言い含めた。「はい、これ以上の関係悪化は回避する方向で、調整にかかります!」「うむ、頼んだでー。工場の連中を連れて行ったら、これまでのワシの苦労も“水の泡”になってしまうさかいな!お前に託す!」「はい、では、行って参ります」副本部長は、用賀から羽田へと急いだ。田納さんが“苦心して希望した”25名の“帰還者名簿”を副本部長は持参している。工場の理屈は抜きにして、まず“帰還実績”を重視した結果だった。「ホンマは、“四天王”を取りたいが、ガードが固すぎて無理や。じっくりと、時間をかけて取り返すしかあらへん!」タバコに火を点じると、一服して東京の街並みを見る。「山はこれからや!長いでー!」田納さんは、自分の置かれた立場をわきまえていた。O工場側からは、“必要な技術者を優先出来ないでしょうか?”とのFAXと電話が来たが、「ボケ!この前、話した通りや!」で一顧だにせず切り捨てたばかりだ。工場側の事情も分からなくは無い。しかし、“過去の失態”のツケは重く、それを跳ね除けてまで強引に押し通す理由が見えなかった。「“無益な戦争”だけは、回避せなアカン。“橋頭堡”を築くのが先やないか!それからやっと“交渉の席”に着けるんや!お前達も黙って見とれ!」総務にも矢と鉄砲を撃ち込んで、副本部長を送り込んだのだ。文字通りの“背水の陣”で望むしか無かったのだ。「まずは、“和平交渉”からや!」新本部長の長い戦いが始まった。
そして、金曜日。最後の追込みに力を尽くす。来週からは、こうした作業にも手を染める機会も中々無いだろう。午後からは“引き継ぎ”が待っている。「今更なんだが、“引き継ぐ側”と“受ける側”それぞれに“質疑応答”はある。前工程は、引き続き俺が見るが、後は“完全委任”になる。いずれは、全てを渡す日も来るだろうから、しっかりと継いでくれ!」と徳永さんは言った。“全てを引き継ぐ日”とはいつなのか?そら恐ろしい事だと身震いが来た。しかし、“安さん”の腹の内は変えられない。「早いか?遅いか?それだけさ!」と自身を鼓舞するしか無かった。「来週から引き受けるのか!不安感ばかりだよ」と橋口さんは、戦々恐々だった。「まあ、気楽にして下さい。本格的に“継いでもらう”としたら、後、半月は必要ですから」とサラリと言うと「“信玄公”の留守番だからね!“領国の支配”も忘れんでくれよ!」と悲鳴に近い声が上がる。「大丈夫!獲って食う訳じゃないから」と“おばちゃん達”も言う。検査室のデスクには、書類が山積みになっているし、返しの作業室のデスクにも、進捗管理の書類が山積みだ。走り出した“新体制”は、まだ完全には機能してはいなかったが、検査室と出荷スペースには、要請したホワイトボードも取り付けを終えた。返し工程にはコルクボードが新たに追加され、磁器の納入予定と、出荷予定が合わせて掲示された。着々と事は進行しているのだ。引き返す選択は有り得ない事になった。そんな中、「今更になっちゃったけど、原田さんと橋口さんの“歓迎会兼、信玄公の総司令就任祝い”をやりたいんだけど、日曜日の昼でどうかな?」と野崎さんが聞きに来た。「いいですよ。時間は?」「午後1時から、場所は恭子ちゃんが知ってるから、揃って来て!」と言う。検査からは、恭子とちーちゃんが代表として出るとの事で、神崎先輩は、都合上無理だそうで、欠席となると言う。「やっと呑めるから、愉しみにして置いてよ!」とおばちゃん達もワクワクしていた。“ザル”がどれだけ居るのか?“ウワバミは誰か?”怖いモノ見たさ半分の“宴”になりそうだった。「Y、スポットはあるか?」徳さんが確認に来た。「ああ、炉から出始めたばかりだが、どうした?」「納期の“前倒し要請”が来ちまった!流せるか?」「やりましょう!1つでも先に流せば、それだけ後が楽になる。シフトはこのまま、現状を維持。ギアを1段上げて!原田さん、“実習”も兼ねて手伝いをお願いします!ゆっくりでいいので、付いて来て!」即断で、僕が動く。原田さんに、治具の使い方を見せながら、僕が追込みをかける。「何度見ても、隙が一切無い。あのパワーとスピードは、どうやって身に付けたんだろう?“信玄”の実力の基は、何処から手に入れたんだ?」橋口さんがまたまた、呻く様に首を傾げる。「周りを見て下さいよ。“師匠”は、皆さんです。仕事は“盗んで覚える”モノ。実力者ばかりに囲まれてるんです。日々1つでもいい。何かしらの技術的な事を見て、教えてもらう。僕は、そうして身に付けました。1からのスタートでも、たゆまぬ努力を積めば、自然に身に染み込む様に馴染みますから」と口は言うが、手は止めない。原田さんも、コピーをしようと必死になっていた。「焦らなくて大丈夫!初めての時は、ゆっくりと確実にトレーへ納める事だけを意識して。肩の力を抜いて、目の前に集中するのが第1歩目。誰だって最初から完璧に出来た人は居ませんよ。まずは、このロットを終わらせる事だけを意識するんです」と原田さんには、目を向けて指示を出してやる。だが、僕の手は、片時も止まらない。「Y先輩、スポットをもらって行きますね!」実理ちゃんが、サンプルを受け取りに来た。“御朱印の儀”と誰かが言い出した品証へのサンプル出しだけは、譲らなかった。どんなに忙しくても、きちんと手渡す。こうした姿勢を見せる事は、“おばちゃん達”にも安心感を植え付けるためには、必須項目だった。「どれだけ忙しくても手は抜かない!Yさんらしい事だわ!」「あたし達が、育てた人だから間違いは無いわよ!」口々に“おばちゃん達”も言う。「やっぱり、スゲェ!途轍も無くデカイ背を追うのか?並の事では、“影すら踏めぬ”だな。皆さん、来週からは、“弟子入り”させてもらいますから!」と橋口さんが腹を括って言った。「甘くは無いよ!」「ビシッと行くからね!」西田、国吉のご両名が、脅しをかけてから笑う。「お手柔らかにお願いしますよ!」と泣き付いて行った橋口さんだが、頭を下げた。彼も、歳下に負けまいとする“プライド”は当然あった。スポットを片付けた頃には、早くも“実習”が始まっていた。必死に追い上げる“追尾作戦”は始まったばかりだった。
その頃、O工場では、三井さんを中心とした技術者達が苦悩していた。新機種のボディの加工時間は、約40秒、1直8時間での生産個数は、720個。1日当たり約2160個となり、20日間稼働に換算すると、約43200個になる。3機種に振り分けるには、些か足り無いのだが、4直3交代を組めばクリア出来なくは無かった。ただ、もう1つの基幹部品である“ミラーボックス”は、深刻な事態に直面していた。アルミダイキャスト製であるが故に、その加工工程は長く、20数工程に及ぶ段階を踏まねばならない上に、時間も要するため、ボディの半分程度である1直当たり約360個、1日当たり約1080個、20日間稼働換算でも約24600個が限界であった。しかも、加工工程の“鍵”を握る技術者達の多くは、国分に“派遣隊”として“従軍”している最中であり、第1次及び2次隊に集中していた。彼らの技術的な見識無くして、“増産”への道筋は付けられず、工程の見直しすら手が出せない状況下に置かれていたのだ。一連の“モグラ叩きゲーム”もようやく蹴りが付き、ボディと共に“先行生産”に手を付けねばならない時期に来ては居たのだが、肝心の“戦力”が圧倒的に不足していては、先行きに立ち込める“暗雲を吹き飛ばす事もままならない状態”だったのだ。「エースの吉田さん、進藤(克ちゃん)が居なくては、事態の打開策も立たない!一刻も早く戻ってもらわなくては、生産高の向上すら見込め無い!どうすればいい?」「2人は、2次隊だ。11月にならないと、O工場に戻って来ない。それまでは持たないぞ!」「Yも同じくだ。プレスからコンバートするにしても、時間が惜しい!9月末を持っての引き上げ要請は、無理だろうか?」三井さん達は、連日連夜人の確保に頭を悩ませて居た。そこへ、用賀の長谷川から、副本部長の小林さんの鹿児島行きの知らせが届いた。「直に依頼をかけて、3人の早期引き上げを“要請”出来ないか?」と三井さん達が考えたのは、自然な流れだった。ただ、“対外情報の収集に疎い”技術者集団は、田納本部長の“和平交渉”を知り得て居なかったのである。それ故に、小林さんが三井さんの依頼を呑めるはずが無い。宿泊先で小林さんを捕まえたのはいいが、双方の主張が噛み合う訳が無かったのである。「三井!俺は“和平交渉”を進めて、第1次隊の連中の“帰還”をスムーズにするために、鹿児島へ来てるんだ!2次隊の3人を“早期に帰還させる事”など、本部長から指示は受けていない。勝手な真似が出来ると思うな!」と小林さんは言い返した。「しかし、事は深刻さを増してます!何とかなりませんか?」「無理だ!何と言われようが、無理なんだ!半導体部品事業本部を“敵”に回せると思うか?三井の言った3人は、いずれも、半導体部品事業本部の所属だ。この前、やっと“うん、そうか”と同意を取り付けたばかりだぞ!田納さんが聞いたらタダでは済まんぞ!この話は伏せてやるから、大人しく待て!そもそもだ、仮に交渉のテーブルに話を乗せたとしても、まず通らないだろうよ!お前達は、“対外情報”に疎すぎる嫌いがあるな!国分工場の田中さんに連絡して、3人の情報を聞いてからモノを言え!」「どう言う事です?応援先で、何か問題でもあるんですか?」「大ありなんだよ!特にYについては、“信玄”と呼ばれて“重用”されてる!9月からは、製造課の半分を取り仕切る立場まで、“出世”しとるんだ!課全体を任されるのは、“時間の問題”だとまで言われてる!“事情が代わりましたから”何て気軽に言えると思うか?国分工場で“信玄”と言えばサーディプ事業部の“エース”として、知らぬ者は居ないそうだ!こっちは、完全な“実力主義”なんだ!実際問題、数字も出してるし、“万年お荷物だった部門”を立て直した立役者なんだ!迂闊な事をすれば、“島津家の精鋭部隊に総攻撃を喰らう”だけで無く、“流血”の惨事になりかねん!そうなれば、“誰も帰れない”と言う最悪のシナリオが現実問題として浮上しかねん!三井、そうした“情報”にも目を向けてくれないか?闇雲に“帰して下さい”とは、言えない“事情”を理解してモノを言え!」小林さんの言葉に三井さんは、呆然と立ち尽くすしか無かった。「応援で派遣されたのに、“課責クラス”?!そんな馬鹿な?!」「嘘でも何でも無い“事実”だ!Yは、パートを含めて約70名を統率する“責任者”なんだよ!O工場では、“有り得ない人事”に感じるかもしれんが、国分工場では、“完全実力主義”が敷かれてるんだ!本人が“水を得た魚”になれば、どんな地位にも昇り詰められるんだよ。未だに“年功序列主義”に固執しているO工場の常識は通用しないんだ。吉田も進藤も、“事業の中核を担う人材”として“プロテクト”の対象になってる!下手な手出しをすれば、我々の“目論見”は根底から覆る事になるんだ!三井、その辺は、国分に居る田中さんから、“情報”を聞いてくれ!嘘偽りでは無い事はそれで証明出来るだろう!田納さんの努力を無にしないためにも、余計な口出しはするな!分かったな!!」そう言うと小林副本部長は、電話を叩き切った。三井さんから話を聞いた者達は、口々に「そんな事は、有り得ない!」と言って呆然と立ち尽くした。「手も足も送り込んでしまった、我々のミスだ!O工場に帰って来ても“平社員”に戻るだけなら、“帰る”と言う選択肢は意味を失うだけだ。クソ!何と言う失態だ!」三井さんは臍を噛んだが、時すでに遅しであった。派遣隊もO工場も“土壇場”ではあったが、“逆転の芽”は見えなかった。
三井さんは、その後、国分工場の田中さんにも電話をして確認したが、返って来た返事は同じだった。「三井、お前さん達の認識は甘すぎるぞ!“プロテクトリスト”には、既に数多の者達の名前が列記されてる。そっちが思う程、簡単に必要な人材が“帰れる”と思うな!」と釘を打たれる始末だった。「しかし、“任期満了”を持って引き上げるのが“筋”じゃありませんか?そもそも、“籍”はO工場にあるんです!」と言うが「先般、そっちの総務が、勝手に“帰してくれ!”と喚いた事に対して、国分側は“反発して、不信感すら抱いている”んだぞ!国分側は、各事業本部の本部長に働きかけて“帰すに及ばず”とまで踏み込んでの“抗議活動”を展開しとる。国分側にしても“死活問題”だからな。その話を知らぬ訳があるまい!」と言われるが、三井さんはその辺の経緯を全く知らされていなかった。初めて耳にする始末であったのだ。これは、O工場の幹部の責任であり、三井さんに非は無いのだが、関係する当事者にして見れば“知らない”と言われる事の方が意外に感じられてしまった。「三井、お前達の認識の甘さは何処から来るんだ?“光学対各事業本部の全面戦争”の一歩手前なんだぞ!既に国分側は“先制攻撃”をしている。まあ、田納さんが“応戦するな!”と止めたから、流血の事態は回避されとるが、完全に“和平交渉”へ移行した訳じゃ無いんだ。火の粉はまだ舞っている状況なんだ。“導火線”に火が付けばそれで終わりだよ。その手の話は全く知らんのか?」「ええ、初めて聞きましたよ。そんな深刻な事態になっているとは、夢にも思いませんでした!」「三井、全社が注目している一大事だぞ!当事者が“知りませんでした”などと軽々しく言うな!情報が降りて来ないなら、俺のところから情報を吸い上げて、周知するなり手を打て!泥縄主義では、仲間を、優秀な技術者を失いかねん!もっと外部で起こっている事にも関心を持て!ついでに言うとだな、Yは確実に“残留して転籍”になるだろうよ。あそこまで、昇り詰めたヤツがO工場に戻って“平社員”に甘んじるはずが無い。それ程にヤツは成功したんだ。鎌倉も、美登里もそうだ。“責任ある地位”に据えられた以上、“帰す理由”が無いんだよ!これ以上の流出を止めたければ、お前達も活動を起こして“帰還支援”に当たれ!田納さんや小林さんだけに任せきりでは、存亡に関わる大事をただ黙って受け入れるしか無くなるぞ!」田中さんの言葉に三井さんは愕然とした。知らぬ間に、内堀まで埋められていると言うのだ。裸同然の城では、防御態勢すらままならない。このままでは“座して死を待つ”も同然なのだ。「分かりました!遅きに失した感はありますが、出来る限りのアクションを起こします!定期的に連絡しますので、情報を流して下さい。お願いします!」と言うと電話を切って、内情を仲間に伝えた。「用賀に連絡を取れ!田納さんや派遣隊の情報を搔き集めろ!急げ!」周回遅れではあったが、追撃は開始された。苦しく長い戦いの始まりでもあった。
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