ついに、マグカップがなくなる…。
両親の死後、弟の主導で、ちっちゃな二世帯住宅の間取り調整をおこなった。
ちょっとしたリフォーム、短期間ながら、「いったん仮住まいに移る」ことになり、結果的に、よかった。
一階で、「ワタシが触ったことがないもの」は両親のものであり、かつ、多分不用なもの、と、とっくに判断していたものの。
「仮住まいに移し、また持ち帰りたいか? 自分のエリアにおさまるのか?」
とゆー基準のおかげで、おもいっきり、家具を処分できた。
売れないか、も、いろいろ調べたけど。
「ブラウン管テレビ用の家具はダメ、和箪笥はダメ」
よく見ると、いたんでいるし。
平塚市の粗大ゴミ収集を、依頼した。
電話で日を予約し、「こういうサイズの何々」と言うと、有料回収の値段を教えてくれて、1枚500円のシールを必要な枚数買い、貼って、外に置いておくと、その日に来て、勝手に持ち去ってくれるシステム。
始めてみたら、弟世帯も、この際処分する家具、が出現。
追加が増えていき…。
市役所の担当の方が、
『…もうシール買いました?』
「まだです」←近所のコンビニで買えるので。
『もし、直接お会いできるようでしたら、現金精算も可能です…』
シールの枚数が多すぎる…。
もはや、「シールがもったいない」域になり、特別に、そうなったのだろう。
(市役所側から言われなければシールを買いましょう…。何時に来るか、はっきり約束できない収集の方を、待たずにすむのですから…)
そうと決め、弟一家に、処分品をすべて、外に運び出してもらい、待機。
小さめのトラックで、おじさんが二人来て、パズルのようにすべて積み込み、お金を払って、完了した。
(自力で家の外に出さねばならない、てとこが、ネック。
昔だが、今のような介護ベッドのレンタルがなかった時代、購入された方がいて、のちに処分しようと市役所に相談したら、
「玄関の外に出せ、ていうの。どうしたらいいのか…」
と、困っていらした。その後、どうされたかは、知らない。
うちの父は、自宅で看取ることになり、一ヶ月ほどだが、介護保険でベッドとか、いろいろ借りた。
刻々とかわる病状に応じ、レンタル屋さんから、仮設の手すりや室内用車椅子など、いろいろ借り、いらなくなったら、さーっと持ち帰ってくれた。
昔、知人が、購入した介護ベッドの処分に困ったことを知っていたので、いい時代になったなと思ったものだ…)
…。
脱線しすぎてしまった!
ほかにもいろいろ、シュレッダーしたり、猛然と捨てたんだけど…。
ある時点で、力尽きた。
特に食器とか、鍋とか…。
見るからに趣味じゃない、もらいもののセットが天袋などに押し込まれていたのなんかは、寄付したり、二束三文で売ったりしたけど…。
キッチンはほとんどいじらなかった関係もあり…。
「壊れてないけど、新品でもない」三人分以上の食器!
どれを捨てるか、「判断力パワー」を消耗しきったワタシは、使いそうなものを食器棚に、それ以外を、箱詰めして床下収納なんかに、つめこんだ。
食器は、使ううちに破損する。
そのとき、しまってあるものをだんだん使っていくようにし、新しいものを買わずにいれば。
「判断力を使うことなく」、減っていくはずじゃないか?
このズボラ戦法を、採用。
しかし…。
日々使うものの方が、「危険」にさらされやすい…。
マグカップが…いつのまにか最後の一個。
(しかも、実は、父が使ってたやつ…)
で、ヒビか傷か、わかりにくい筋が、うっすら…。
コーヒーカップはあるのだから、それを使ってもいいはずだが…小さい…
買う???
今、ワタシは、「生活習慣」という感覚と戦っている…。
でも。
無理矢理捨てて、しまった、と思うこともあるから、しまう場所があれば、
「買わずに、壊れたら、別の食器を取り出す」
のは、基本的に、悪い方法ではない、と自己満足している。
判断するにも、エネルギーが必要なのだ!
(捨てろ捨てろと布教していた、こんまりも、自社サイトで、「これを買え」と言い始め、一部で不評をかっているし…)
ゴミの捨て方も 一瞬ためらうものもあります。
よくよく考慮した後に 行動しないと 後悔する事もありますよね。
近頃・・・
年を重ねていくうちに 行動範囲が狭くなり
必要なものが 減ってきました。
私も車を手放して もう何年かな?
慣れてしまうと、、また欲しいとも思わなくなりました。
PCが無くなるのは 寂しいです。
これは今は まだ 必要ですね。