昨年、澄川(すみかわ)散策をした時、澄川の歴史を調べました。
澄川は札幌都市建設で必要な木材を供給するために拓かれた場所で、「木挽(こびき)小屋」という官営の製材所が設けられ、中心部に木材を供給し始めたのが、澄川定住の始まりであったとされています。
その「木挽小屋」があったのが「木挽山」。
現在は、宅地造成のため削られており、東側は札幌新陽高等学校、南東側は澄川公園となっています。
澄川の歴史の始まりと言える場所を歩いてみることにしました。
※休憩する場所はないので、駅で十分に準備をしてから出発することをおすすめします。
※「開拓記念之碑」へはバスで行くことも可能です。その際、バス停は「緑ヶ丘」が最寄りかと思われます。バスは「真104」、「真105」、「南81西岡線」です。いずれも真駒内駅から出ております。
今回は札幌市営地下鉄南北線「真駒内(まこまない)」駅からスタート。
「平岸(ひらぎし)通」を北上しました。
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この辺りの平岸通は、冬の場合は西側を歩くことをおすすめします。東側は歩道のない所があります。
写真の建物は地下鉄の線路であります。
まずは、木挽山への感謝を表したという石碑を見に行きます。
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雪道のウォーキングは大変ですが、雪景色が素敵なので楽しいです。
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石碑は住宅街の中の小高い所にあります。
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「開拓記念之碑の由来」と記された石板が目印となっています。
しかし、私が行った時、階段は雪で埋もれており、上がって見ることはできませんでした。
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ちょっと足を入れただけでひざ下まで埋まったので、やめました。
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石碑のある所はこんな感じ。
仕方がなく札幌市南区公式HPより写真を拝借いたしました。
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三基あるうち、左側にあるものが目的の石碑。
「山之神 熊之神 碑」であります。
「山之神」は立木を伐るときに祀る神で、官林伐採(明治五年)の頃より残っていたものと考えられ、澄川最古の遺物だそうです。
「熊之神」は、開拓当時、熊の出没が多く、畑を荒らしたので、その鎮めとして明治18年(1885年)山之神と合わせて祀ったそうです。
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「熊之神碑」については、木挽山の炭焼き窯に落ちてしまった熊を哀れに思って祀ったところ、熊の被害がなくなったという言い伝えが残っているそうです。
澄川開拓初期の歴史の遺物を拝見すると、「木挽山」を見るため、「自衛隊前」駅に向かいます。
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再び平岸通に戻って北上します。
手前は陸上自衛隊真駒内駐屯地の敷地、その向こうに見える山は藻岩(もいわ)山であります。
平岸通の西側は自衛隊の駐屯地となっています。
昔は種畜場でありました。
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途中、「札幌市営交通車輌展示場」を発見。
市電やバス、地下鉄の車両が並んでおりました。
只今、地下鉄高架部(橋脚)の補修工事を行うため休館中。
工事終了後、リニューアル・オープンの予定だそうです。
楽しみですね。
楽しみですね。
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自衛隊前駅の近くまで来ると、「慈恵橋」があり、木挽山がちょこっと見えました。
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ちなみに「木挽山」は別名「慈恵の山」とも呼ばれています。
かつて札幌慈恵学園(札幌新陽高等学)が 所有していたことがあったからでしょうか、この辺りは「慈恵」という地名もちょこっと見られるそうです。
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まさしく「慈恵橋」もその一例と言えますでしょう。
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自衛隊前駅を抜け、駅の東側へ。
澄川公園に向かいました。
坂を上って行くと、眼前に山林が立ちふさがりました。
こちらが木挽山の南東部であります。
ところで「木挽」という言葉。
木材を「大鋸」(おが/おおが)を使用して挽き切ること、およびそれを職業とする者という意味で、奈良時代(8世紀)には出現していた、実に歴史のある言葉であります。
日本各地で見られる地名でもあり、下記がその例であります。
- 東京都中央区銀座1丁目 - 同8丁目の一部の旧町名 - 木挽町
- 広島県広島市中区中島町の旧町名 - 木挽町
- 愛知県名古屋市中区 - 木挽町、木挽町通
- 愛知県岡崎市切山町にある字 - 木挽沢
- 岐阜県岐阜市にある町名 - 木挽町
- 富山県富山市にある山 - 木挽山
富山県にも「木挽山」があるのですね。
なお、北海道には「木挽山」以外にも、定山渓(札幌市南区)に「木挽大橋」、「木挽沢川」など、「木挽」のついた橋や川があります。
札幌の「木挽山」に興味を持って歩いてみましたが、結局「木挽山」の名の由来はよく分かりませんでした。
「木挽小屋」が設置されたことが由来となっているのでしょうか。
いずれにせよ、今回も色々な発見があって、短い散策でありながら、とても楽しかったです。
もっとたくさん色々な資料に目を通さなければ、と思いました。
<参考資料>
- ウィキペディア「木挽山」、「木挽」
- ながらTV.com「今日ドキッ 澄川の地名の由来と木材供給に貢献した器械場道路」
- 札幌市南区公式HP「南区の紹介>澄川地区>開拓記念之碑」
- 陸上自衛隊真駒内駐屯地公式HP「真駒内駐屯地の沿革」
- BEHEMOTH・札幌の不動産と歴史とか「シリーズ『澄川』①明治期の澄川は札幌の木材供給拠点だった」
- 札幌時空逍遥「『慈恵』はどれだけ遺っているか」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/star.gif)
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