仙台出身の偉人
松尾芭蕉が奥の細道へ出発する時、「千住大橋」(東京都)がスタート地点でありましたが、
そこで問題です。
そのスタート地点は「千住大橋」の北側だったでしょうか、それとも南側だったでしょうか。
実のところ、その答えは分からないのですが、北側の足立区も南側の荒川区も、
それぞれ「奥の細道」矢立初めの地は自分たちの方であると主張して、
芭蕉の像を建てております。
そんな(楽しい)論争をこちらの看板や横断幕を見た時、思い出しました。
仙台市立木町通小学校の横断幕
仙台市立立町小学校の看板
どちらも土井晩翠の母校なのだそうです。
土井晩翠ついて
日本の詩人、英文学者。本名、林吉(りんきち)。
姓は元は「つちい」だったが昭和初期に改称した。
男性的な漢詩調の詩風で、女性的な詩風の島崎藤村と並んで「藤晩時代」と称された。
また、瀧廉太郎の作曲で知られる『荒城の月』の作詞者としても知られ、校歌・寮歌なども多く作詞した。
(ウィキペディアより)
土井晩翠先生は『荒城の月』を作詞された方だったのですね。
それにしても、なぜ土井晩翠先生の母校が2つあるのでしょう。
さらに調べてみました。
ウィキペディアによれば、
晩翠先生が入学されたのが培根小学校(現・仙台市立木町通小学校)で、
途中、転居に伴い立町小学校(現・仙台市立立町小学校)に転校、卒業されたのだそうです。
ちなみに立町小学校も木町通小学校も校歌は晩翠先生が作詞をされています。
また、立町小学校には「土井晩翠資料館」があります。
今回の土井晩翠先生母校問題については、どちらの学校の主張も正しいということで決着しました。
良かったです。
(勉強になりました!)