将棋の駒
天童(山形県)へ旅行に行った時、偶然、建勲神社のお祭りを拝見し、
天童市が織田信長の次男・信雄の子孫で、信雄の四男・信良を藩祖とする天童藩の歴史を持っていると知りました。
天童市が将棋の街として名を馳せることになったのも、
江戸時代末期、財政難で生活に窮していた家臣に、救済のため将棋駒作りの内職を奨励したことが
はじまりなのだとか。
「本能寺の変」以後、織田家の人々がどうなったのか、全く調べて来なかったため、
天童市観光は歴史の新しい興味・関心を呼ぶこととなりました。
ますます色々な街を歩いてみたくなりました。
最近、博物館や資料館の郷土の歴史コーナーがものすごく気になります。
参考資料
- ウィキペディア「建勲神社」
- 天童市観光用パンフレット