※こちらは10月に行った2泊3日の喜多方・会津若松旅行のレポートです。
最終日(3日目)
4.鶴ヶ城(会津若松城)
今回の旅行で有り難かったのは天気に恵まれたということです。
外の空気が心地よく、ウォーキングが楽しくて仕方がありません。
たくさんの観光客が訪れる鶴ヶ城(会津若松城)。
早速天守閣を見学させていただくことにしました。
この城の生みの親は蒲生氏郷公。
統治した期間は短かかったですが、地名を「若松」に改め、城下町の基盤を作りました。
最初は七重の天守でしたが、加藤嘉明公により五重に改修されました。
戊辰戦争後、政府の命令により、取り壊されましたが、市民の願いにより昭和40年、復元されました。
現在、天守閣の中は郷土博物館として会津の歴史が学べるようになっています。
最上階は展望層となっており、会津の街を一望することができます。
山に囲まれてますね。
南走長屋と飯干櫓も復元されており、中を見学することができます。
天守閣の見学を終えると、周辺を見て回りました。
桝形と呼ばれる石垣。三方から敵を攻めることができる造りとなっています。
写真左は武者走りの石段。大手門の渡り櫓などへ簡単に昇り降りができるようにつくられたものです。
管理事務所(左)と鶴ヶ城稲荷神社。
天守閣にはお手洗いがないので、お手洗いに行きたい時は管理事務所へ。
ご当地ポスト(左)とご当地マンホール(右)。どちらも管理事務所前にあります。
「荒城の月」の碑(右)。仙台出身の土井晩翠先生は鶴ヶ城と青葉城をモチーフにして作詞しました。
茶室 麟閣へ。
千利休が切腹を命じられた時、蒲生氏郷は千利休の茶道が途絶えることを惜しみ、利久の子、少庵を会津で匿いました。
こちらの茶室は会津に匿われていた時、少庵が氏郷のために造ったと伝えられています。
せっかくなんで、お茶をいただきました。(有料)
菓子の「薯蕷饅頭」、とてもおいしかったです。(お土産に買っていけば良かった。)
お饅頭をいただくと、次の予定のため鶴ヶ城を後にするのでした。
散策マップ
参考資料
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鶴ヶ城のリーフレット
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『日本100名城に行こう』(公益財団法人 日本城郭協会監修 学研)
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ウィキペディア「若松城」
つづく≫