SSF 光夫天 ~ 詩と朗読と音楽と ~ 

◆ 言葉と音楽の『優しさ』の 散歩スケッチ ◆

イタリアへの支援 YOUTUBEを再生で・・・ご覧ください。よろしくお願いします。

2020-04-18 15:56:53 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)

友人(仙台市)からの「メール」を転送させていただきます。

【内容】
イタリア、ミラノ近郊で昨日だけでコロナにより800人が亡くなったという事です。

ベルガモという世界遺産の街で医療従事者を支援しようと現地の作曲家がRinascero (復活=私は蘇る)という曲を作り、著作権をベルガモ市民病院に寄付しました。

Youtube等通じた再生のたびに、広告、著作権など、すべての収入がベルガモの医療崩壊を救うための寄付金となります。

一人でも多く、一回でも多くYoutubeで再生して広げていただくことが、現地支援になりますので、下記の情報を転送いただくだけでも、支援が広がります。感動的な動画でした。

イタリアの医療支援になりますので、もし宜しければ、他の方にもお伝え頂けたらと思います。

<YOUTUBE> 2020年3月27日にアップされ、
現在、13百万件以上が視聴しています。

http://www.youtube.com/watch?v=D5DhJS5hGWc


ぶらぶら歩きが恋しい

2020-04-17 22:57:49 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)

ぶらぶら歩きが恋しい。

【動画作成しました】

 

(本文)【読売新聞】編集手帳 2020年4月17日より

◆街を歩く人がまばらになった。
東京・銀座の大通りを高い場所から映す映像を見て、思い出した井上ひさしさんの文章がある。

◆<銀座のほどのよい混み具合は、理想に近い…
ぶらぶら歩きがたのしいのは、歩いている人間がたがいに見たり、見られたりするせいではないでしょうか。とくに人間を、行き交いざまにちらっと見るたのしみを、私は人間の基本的娯楽である、と信じている>

(「銀座礼讃」、中公文庫『わが蒸発#始末記』所収)

◆楽しく闊歩している人を見れば、なぜか自分も、心がはずむ――そんな気持ちだろうか。
平時には気づかないささやかな娯楽がほかにも多くあろう。

◆幼稚園や小学校から聞こえてくる歓声や歌声がそうだろうし、電車で席を譲った時に返ってくるお年寄りの笑顔もそれかもしれない。思えば、見ず知らずの人から安らぎをもらえるコミュニケーションが以前はあった。

◆感染症の拡大が閉じ込めているものは人々の身体だけではあるまい。
あれも戻った、これも戻ったと、平時の小さな喜びを、再発見する日を待とう。


しばらくは、耐えながら。
ほどよい人混みの、ぶらぶら歩きが、恋しい。

 


距離を置く

2020-04-14 22:35:52 | 『コロナ:考』新しい試みです(2020年4月より)

『距離を置く』 ~後の世の辞書には・・・~

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https://youtu.be/TG-fZWgFkQY

*ナレーションとして制作しました。

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(本文)

◆よそよそしい、よそ様…などという時の「よそ」は「余所」と書く。

万葉集に見られないため、中世以降の当て字と考えられている。

 

◆昔どこかに、よそよそしいとは、人と人との間に、

<所を余す>ことだと考えた人がいたのかもしれない。

なかなかのセンスである。現代の言葉でも、例え方が同じになる。

距離を置くと聞いて、よそよそしいとの意を受け取らない人はないだろう。

 

◆これまではややさみしい使われ方しかなかったが、今や一変していよう。

新型ウイルスの拡大を、抑え込むためのキーワードにもなっている。

 

◆ターミナル駅のホームに通勤客が所を余しつつ、距離を置きつつ、

気を配りながら立って電車の到着を待つ光景をテレビで見た。

スーパーのレジのように仕切り線が足元にあるわけではないのに、である。

人と接触する機会を、8割減らす――

ともすれば、そんなことが本当にできるのかと弱気も生じる目標だが、

困難に立ち向かおうと大勢の人が呼吸を合わせていることは確かだろう。

 

■<距離を置く>とは、ひととき、みなが、力を合わせ災難を乗り切る意があった…

 と、後の世の辞書に載せよう。【読売新聞 編集手帳(2020年4月14日)】