またもや、4人家族の姓名判断を頼まれているので、非常に忙しいのでしばらく呟きレベルのアップになってしまうと思います。
ひふみ神示とケイシー・リーディング、大森先生の正食医学を比較しながら研究していると、少しばかり興味深い事に気が付きます。
それは何かと言いますと、右(Right)と左(Left)の違いです。
確かにモノゴトと言うものは陰陽あわせて完全(十、0)となるようになっているので、どちらが良い、悪いという判断はできません。 が、しかし、私が今、メインで研究している題材では、殆んどが “右(Right)” を “陽” として、本質的なモノと述べてあります。
車で例えるなら、アクセルを陽と考え、ブレーキを陰と考えれば解り易いかも知れません。 理想に向けて進むためには、やはり前に進むアクセル的パワーが必要とされます。
数秘学や姓名学でも、吉数と呼べるモノは明らかに奇数が多いのに気がつきます。
ケイシー・リーディングより興味深い例をひとつ挙げますなら、
『信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスは、自分の前に置かれた喜びのために、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである』
とありますように、ケイシー・リーディングは、ゴルゴダの丘で十字架を受けて復活したイエス・キリストが、神の御座の “右” に位置するようになった、と表現しています。 敢えて、“右” という表現を用いている箇所に興味を惹かれます。
果たしてなぜ・・・?
現在のところハッキリとした答えは出せていませんが、しかし、現在の私たちのアダム型第4根源人種の肉の身を浄化した新しい肉体が、自然に神の “右” に位置するようになるという暗黙の啓示のような気がします。
つまり、ケイシー・リーディングや神智学、そしてひふみ神示が述べている、エーテル体と肉体、半霊半物質の体のひとつのヒントとなるような気がします。
モノゴトの両面性を知りつつ、意志力をもって理想に向けて一歩一歩あゆみ続ける。
コレが私が今まで様々な哲学関係の情報を集め、総合的に判断した ”今” レベルでの簡潔な答えです。
忙しいのでこれにてオヤスミなさい、です。