すっかり電車のブログになりましたが...
昔のポジを複写していて、583系だからはくつるかなぁ?と思いましたが、ヘッドマークの色がちょっと違います。拡大してみたら、「ふるさと」と読めました。
EF58の牽く荷物列車などを狙っていて、後方から来たので一応シャッターを押したのだと思いますが、こんな列車が走っていた事も、こんな列車を撮っていた事もすっかり忘れていたコマでした。
東北本線 白岡~久喜(当時)、現在は白岡~新白岡
臨時特急「ふるさと」9021M、583系13輌
1985年1月1日撮影、原板は135ポジ(RD)
時が経てば、ついでに撮った写真に、希少性が出てくるのは、複雑ですが、鉄道の変遷を知る上でも撮ることは、大事ですね。
写真では11輌ほどしか見えていませんが、ネットで調べたら13輌編成とのことでした。はくつると同じですね。
この列車が来る事を多分知らなかったのだと思います。知っていれば後を向いて前から撮っていたでしょう。(^^ゞ
82年末~83年始輸送から走り出した「ふるさと」。時刻表や雑誌で583系13連と知った時は「これ、はつかりじゃないか!」とびっくり。さすがに食堂車は営業していなかったようで、カーテンが閉まっているか検札が終わった車掌さんたちが一息ついているのを見かけたものでした。今なら「臨時」で済ませてしまうであろうマークもしっかり絵入り。力の入れようがわかります。
この列車で青森まで行ってみたい…という願いは小学生だったのでかなうはずもなく、84年末~85年始輸送を最後に設定は消えました(85.3の新幹線上野開業ですね)。これから2ヶ月後にはサシ・サハネ+1ユニットが外され、通常期583系は9連になるので、ある種最後の輝きだったのかもしれません。
※そうそう83年末には「ふるさと」を補完する臨時急行「お座敷ふるさと」(オク座・時刻表に載らず急遽設定)もあったくらいで、いかに利用者が多かったかを物語ってます
長々失礼しました。
新幹線が出来るまでの繋ぎだったんですね。でも、日中に青森まで行けるのは、乗り鉄に撮っては魅力的だったかも知れませんね。
13輌が9輌に減車した時は残念でした。
13両というのも今では夢物語、懐かしさが溢れます。最後に乗ったのは数年前の秋の大曲花火大会の帰りの団体臨時でしたが、下段で一晩中起きていたと思います。上野終着で朝の大宮駅は通過でした。マイカーのナンバー・583です。
583は良い電車でしたね。電車は撮らない自分でしたが、583だけは違いました。
交流区間では撮った事が無いので、片パンは見た事が有りません。
当時、今のカメラがあれば闇鉄に出ていたでしょうね。(笑)