おいしい朝ごはん

おいしい朝ごはん食べましたか 私はまだです

生きること/いくつもの死を見送って/大遺言書

2006年03月04日 21時57分40秒 | Weblog
内容(「BOOK」データベースより)
毎朝新聞を八紙、煙草は一日三十本、酒と同じくらい甘いものが好物で、女は七十九の秋が最後だったかな…。平成十五年元旦には生死の境を彷徨ったのに、並々ならぬ「生きること」への気迫をもって、ついに迎えた九十歳。名優・森繁久弥が振り返る人生を、久世光彦が軽妙洒脱な描写で綴る、「週刊新潮」好評連載をまとめたエッセイ。
内容(「MARC」データベースより)
毎朝新聞を8紙、煙草は1日30本、酒と同じくらい甘いものが好物で、女は79の秋が最後だったかな…。名優・森繁久弥が振り返る人生を久世光彦が軽妙洒脱な描写で綴った『週刊新潮』連載をまとめたエッセイ。

目次

悪いことをした
経堂の鰻
巫山の夢
去年の雪、いまは何処
足は二本ある
アッ、そう
いくつもの死を見送って
在りし日の歌
ああ、花電車
直純が死んだ〔ほか〕

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
森繁 久弥
1913(大正2)年大阪・枚方市生れ。36年早稲田大学在学中より演劇活動に入り、中退後、東宝劇団を経て満州新京放送局(NHK)アナウンサーの職に就く。戦後は舞台を皮切りに放送、映画、演劇の各方面で活躍。出演映画は300本を超える。67年から86年まで900回の公演を重ねた舞台「屋根の上のヴァイオリン弾き」などで芸術選奨文部大臣賞を受賞した他、数多くの演劇賞を受賞する。紺綬褒章(64年)、紫綬褒章(75年)、文化功労者(84年)、勲二等瑞宝章(87年)、文化勲章(91年)を受章、97年に東京名誉都民となる

久世 光彦
1935(昭和10)年東京生れ。東京大学文学部卒業後、TBSを経てテレビ番組制作会社を設立する。64年にドラマ「七人の孫」を手がけたことにより森繁氏との交流が始まる。92年「女正月」の演出により芸術選奨文部大臣賞受賞。その他エッセイ、小説の分野でも、93年『蝶とヒットラー』でBunkamuraドゥマゴ文学賞、94年『一九三四年冬―乱歩』で山本周五郎賞、97年『聖なる春』で芸術選奨文部大臣賞、01年『蕭々館日録』で泉鏡花文学賞を受賞。98年紫綬褒章受章(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


今年創刊50周年を迎えた週刊新潮の今週号でも久世の連載する大遺言書というコラムが続いている。
大正2年生れの森繁 久弥の現在について、昭和10年生れの久世 光彦が綴ったものであることは上記のとおりである。
しかし、この早春、久世は森繁よりも先に逝かれた。
思い出すのは、森繁が息子に先立たれてた葬儀の席で老友と抱き合う様子を綴った週刊新潮連載の久世の文章だった。

大遺言書

新潮社

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逝きし世の面影/道中でござるの閉幕

2006年03月04日 20時49分59秒 | Weblog
彼らは疑いもなく世界で最も熟練した指物師だった。
いわゆる職人気質がありまして、労働時間が短い。
四時間半ですね。
仕事に誇りをもっていた。
お金も欲しいんですね。
だけど風か吹くと倒れるものが出来ては悲しいです。
子供と遊び、我が子も、他人の子も可愛がり、朝の集まりでは子供の話題が主役ある。
昔の子供は、よその家でよくご飯を食べていた。
隣人に隠すものなど何もなかった。
家と家との結婚なんて一割もない。
殆んど、くっつきですよ。

ハリスは江戸に向かう途中を日記に付けていた。
彼らは皆肥えている。
私は日本の開国が本当によいことか疑問に思うことがある。


私はこの番組を大河コメディだと思います。
この番組に主役はいない。
いや、スタッフ裏方の人たちが主役でした。

NHKさん、素晴らしい番組を十一年間もありがとうございました。




どこを旅して/綾瀬座解散

2006年03月04日 20時41分00秒 | Weblog
二月は逃げ、三月は去る。
道中でござるも今日が最終回である。
故杉浦日向子さんの出演された「お江戸でござる」を含め、本当に長く楽しませていただいた。
今回の劇中の一座、綾瀬座も家主の都合により解散とあいなる趣向であった。
由紀さおり、竹下景子のコメディもこれで見納めかもしれない。
お芝居の後は、由紀さおりのしみじみとした絶唱だった。

行軍に比べれば、こんなことはなんでもない

2006年03月04日 18時31分47秒 | イタリアをバスで走る
この旅ではバスに乗る距離が長い。
十日間でおよそ2000キロ走る。
そして毎日早足で10余キロほど歩く。
その旅の一員に80歳を超える方がおられた。
その方に焼き栗を勧め、冬の旅は大変ではないかとたづねた。
いやなに中国で行軍していたときのことを考えれば、何ほどでない。
と、軽くいなされた。
たしかに、こちらは単なる観光だ。
おっしゃるとおりで、あるかもしれない。
しかし、中国を歩いていたのは、60年以上昔のことではないか。