読売新聞より。
宗教界、裁判員に悩む…「人裁けるか」「正式な制度だから」
人を裁くことは、犯罪者も含めた人々の「心の救済」を目指す宗教の立場と両立するか。国民が参加して有罪・無罪などを判断する裁判員制度が5月に始まるのを前に、宗教界で議論が起きている。同制度では死刑判決に関与することもあるだけに、宗教の社会へのかかわり方が問われている。裁判員法では、「人を裁きたくない」というだけでは辞退理由にならないが、立法過程で「宗教上の理由で裁けない人もいる」という意見も出たため、「裁判参加で精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断した場合に限って、辞退が認められることになった。一方、刑事裁判への国民参加の伝統が長いイギリスやドイツでは、法律で聖職者は参加できない定めがある。(後略)
ふーむ。
いやまあそれもあんだけど、永眠者出たらどうすんだって問題があるよね。
裁判ドタキャンするわけにもいかないだろうし、でも危篤の方がいたらすっとんでいかなきゃなんないし。
例えば代わりの神父様にお願いするとしても関東あたりならやりくりつくかもだけど北海道なんて距離ありすぎて…なんせここの隣ったら札幌だからorz
確かに記事にもあるように文字通り人を裁くなだったらクリスチャンの裁判官なんて有り得ないわけだから裁判制度まで否定するわけではないんだけど、ほんと難しいね。
宗教界、裁判員に悩む…「人裁けるか」「正式な制度だから」
人を裁くことは、犯罪者も含めた人々の「心の救済」を目指す宗教の立場と両立するか。国民が参加して有罪・無罪などを判断する裁判員制度が5月に始まるのを前に、宗教界で議論が起きている。同制度では死刑判決に関与することもあるだけに、宗教の社会へのかかわり方が問われている。裁判員法では、「人を裁きたくない」というだけでは辞退理由にならないが、立法過程で「宗教上の理由で裁けない人もいる」という意見も出たため、「裁判参加で精神上の重大な不利益が生じる」と裁判官が判断した場合に限って、辞退が認められることになった。一方、刑事裁判への国民参加の伝統が長いイギリスやドイツでは、法律で聖職者は参加できない定めがある。(後略)
ふーむ。
いやまあそれもあんだけど、永眠者出たらどうすんだって問題があるよね。
裁判ドタキャンするわけにもいかないだろうし、でも危篤の方がいたらすっとんでいかなきゃなんないし。
例えば代わりの神父様にお願いするとしても関東あたりならやりくりつくかもだけど北海道なんて距離ありすぎて…なんせここの隣ったら札幌だからorz
確かに記事にもあるように文字通り人を裁くなだったらクリスチャンの裁判官なんて有り得ないわけだから裁判制度まで否定するわけではないんだけど、ほんと難しいね。