カチ上げ
2007-05-16 | 随想
最近、外国人力士(この呼び方嫌い)の振る舞いに対して
風当たりが強くなっているけど...
これは理解させるのはなかなか難しいと思うね。
大概、格闘技の選手は、対戦中はある種の興奮状態に
あると思うんですよ。
それで『駄目押しはダメよ』っていわれても...
ボクシングでもダウンした相手に”もう一発”って
やってますけど。
それに『勝っても喜んじゃいけない』っていうのも
わかりづらいですよねぇ。
相撲は一戦一戦にゲンナマがかかってますから、
一喜一憂するのは人間の心理として当然なんですが、
それを押し殺す文化は理解しろというのが難しい。
いくら『国技、コクギ』と叫んだって、彼らの出身国でも
それぞれの国技があって、畏敬の念を持っていると思うし。
ただ、日本風の『品格を尊ぶ』というのは
わかりづらいよね。
『相撲は格闘技である前に神事である』といったほうが
少しはわかりやすいか。
確かにさぁ、長い歴史があるのはわかるんだけど、
だからといって何も変えちゃいけないというのは
いかがなものだろうか?
例えば土俵。
あれのエスケープゾーンは
いくらなんでも狭すぎて怪我の原因になる。
今はほとんどの会場の観客席は立体になっているから、
もう少し広げるか、土俵自体を下げても問題はないのでは。
また、今般問題となった出稽古も”一門”にこだわったり
”胸を借りる”的な稽古を長く続けていると
上の者が下の者を押さえつけようとしたり、
下の者が上に行こうという気がそがれるのは
当り前ではないだろうか。
録の体系にしても改革が必要だ。
今の体系だと、ヘタに出世して大関・横綱になるより、
勝ち越しても負け越しても長く相撲が取り続けられる
幕内力士でいた方が
年寄りになる見込みのない者にとっては有難いはず。
つまり、ソコソコの相撲が定着してしまうわけだ。
他にも年寄株だとか興行の揚げ方など、問題が山積だ。
それを『歴史ある国技だから』というヘンチクリンな
理由でうやむやにしてしまっている。
今回の騒動はいち力士だけの素行の問題じゃなく、
そういった矛盾と自己改革が進まない
角界に投げかけられた問題であると心得るべきだと思うが。
風当たりが強くなっているけど...
これは理解させるのはなかなか難しいと思うね。
大概、格闘技の選手は、対戦中はある種の興奮状態に
あると思うんですよ。
それで『駄目押しはダメよ』っていわれても...
ボクシングでもダウンした相手に”もう一発”って
やってますけど。
それに『勝っても喜んじゃいけない』っていうのも
わかりづらいですよねぇ。
相撲は一戦一戦にゲンナマがかかってますから、
一喜一憂するのは人間の心理として当然なんですが、
それを押し殺す文化は理解しろというのが難しい。
いくら『国技、コクギ』と叫んだって、彼らの出身国でも
それぞれの国技があって、畏敬の念を持っていると思うし。
ただ、日本風の『品格を尊ぶ』というのは
わかりづらいよね。
『相撲は格闘技である前に神事である』といったほうが
少しはわかりやすいか。
確かにさぁ、長い歴史があるのはわかるんだけど、
だからといって何も変えちゃいけないというのは
いかがなものだろうか?
例えば土俵。
あれのエスケープゾーンは
いくらなんでも狭すぎて怪我の原因になる。
今はほとんどの会場の観客席は立体になっているから、
もう少し広げるか、土俵自体を下げても問題はないのでは。
また、今般問題となった出稽古も”一門”にこだわったり
”胸を借りる”的な稽古を長く続けていると
上の者が下の者を押さえつけようとしたり、
下の者が上に行こうという気がそがれるのは
当り前ではないだろうか。
録の体系にしても改革が必要だ。
今の体系だと、ヘタに出世して大関・横綱になるより、
勝ち越しても負け越しても長く相撲が取り続けられる
幕内力士でいた方が
年寄りになる見込みのない者にとっては有難いはず。
つまり、ソコソコの相撲が定着してしまうわけだ。
他にも年寄株だとか興行の揚げ方など、問題が山積だ。
それを『歴史ある国技だから』というヘンチクリンな
理由でうやむやにしてしまっている。
今回の騒動はいち力士だけの素行の問題じゃなく、
そういった矛盾と自己改革が進まない
角界に投げかけられた問題であると心得るべきだと思うが。
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