社内の電話帳を見ていてぼんやり考えた。
佐藤(a)...佐藤(b)...ここにも佐藤(c)...
やっぱり佐藤は多いなぁ。
そういえば、次に多いといわれている鈴木はどうなんだろ..
鈴木(a)...鈴木(b)...意外に少ないな。
えっと他に多いのは..
伊藤に加藤に斉藤に藤田...
なんだ、”藤”のつく苗字ばかりじゃないか...。
何で日本の苗字って”藤”がつくのが多いんだろ?
藤の木なんて、さくらほど愛でられてるもんじゃないし。
富士山に引っ掛けて”藤”なのかなぁ...
”藤”といえば藤原氏、遠い祖先では関係あるのかなぁ...
そのとき、はっと気がついた! Σ( ̄ロ ̄|||;
もしかして、これは藤原氏の陰謀なのではないか?!
日本各地を”藤原氏”の家系で席巻し、この国を操っているのではないか?
まさかと思い、私は藤原氏について最高深度調査を開始した。
それによると、藤原氏直系は”三条”や”西園寺”など”いかにも”の
公家・貴族的な苗字として潜伏し、藤原の名を日本史の表舞台から消していた。
うむむ...やはり思い過ごしか?
...いや待てよ。
であれば、逆に”藤”を名乗る姓は、直系から離れ在野化した藤原氏という
仮説を立てられないだろうか。
つまり、藤原直系が【柳生】とすれば、”藤”姓は【草】である。
日本の政治・産業、ありとあらゆるところに入り込み、
虎視眈々と機会をうかがう。
ひとたび藤原氏の命あれば、いつでも日本を転覆させることが出来るほどの
力を手に入れている...
あまりに突拍子もない仮説だろうか...。
もしや!!と思い、もう一つの勢力、鈴木について調べてみた。
やはりっ!
鈴木は源氏/平家などの武士系の苗字で、
鎌倉幕府・江戸幕府のお膝元、関東に多い苗字である。
貴族と武士、佐藤と鈴木はやはり敵対関係にあったのだ!!
明治維新直後はやはり武士の勢力が依然として強かったはずで、
平民苗字許可例が下りた直後は、在野の武士が鈴木家を名乗るのは
至極当然の流れであろう。
それによって、維新後から戦後までは鈴木姓が世を席巻した。
しかし、大政奉還によってじわりと息を吹き返した藤原氏の
巻き返しが始まる。
伊藤博文をはじめとして政治の役職を握り、
日本の中枢を”藤”姓で埋め尽くした。
もはや日本は再び藤原氏によって実権は握られたのだ。
いま、平安の世のように藤原氏の栄華が始まっているのだ!!
私が子供のころ、
『日本で一番多い苗字は?』
『鈴木ぃ~』は常識だった。
それがいつのタイミングか、佐藤が取って代わった。
そのときは
『へぇ~、鈴木と佐藤で出生率が変わるわけでもあるまいに』
と漠然とした疑問を抱えただけだったが、今はわかる!
明治維新後日本の裏社会は、まさに佐藤と鈴木の
血で血を洗う壮絶な勢力争いそのものだったのだ。
もちろん、実際には貴族である藤原氏は戦(いくさ)などしない。
とった策略は藤原氏のオハコの
”婚姻による血縁関係”
であろう。
巧みな養子縁組や結婚による姓の選択など
藤原氏の巧みな戦術によって”藤”姓は勢力を広げた。
鈴木家が気づいたときはもう遅し、完全に逆転していたのだ。
日本で夫婦別姓がいまだに認められないのは
この策略を推し進める藤原氏の圧力によるものかも知れぬ。
ウソくさい?
そうかもしれません。
でも考えてみてください....
今の内閣総理大臣、麻生太郎氏のことを...
彼の家系図はまさに戦後日本の政治そのもの。
結局は家系や世襲によって政治は行われているのです。
もしかすると、彼を三十代も遡ると
”藤原氏”に行き着いてしまうかもしれません....
信じるか信じないかは、あなた次第 m9っ(`д´)
佐藤(a)...佐藤(b)...ここにも佐藤(c)...
やっぱり佐藤は多いなぁ。
そういえば、次に多いといわれている鈴木はどうなんだろ..
鈴木(a)...鈴木(b)...意外に少ないな。
えっと他に多いのは..
伊藤に加藤に斉藤に藤田...
なんだ、”藤”のつく苗字ばかりじゃないか...。
何で日本の苗字って”藤”がつくのが多いんだろ?
藤の木なんて、さくらほど愛でられてるもんじゃないし。
富士山に引っ掛けて”藤”なのかなぁ...
”藤”といえば藤原氏、遠い祖先では関係あるのかなぁ...
そのとき、はっと気がついた! Σ( ̄ロ ̄|||;
もしかして、これは藤原氏の陰謀なのではないか?!
日本各地を”藤原氏”の家系で席巻し、この国を操っているのではないか?
まさかと思い、私は藤原氏について最高深度調査を開始した。
それによると、藤原氏直系は”三条”や”西園寺”など”いかにも”の
公家・貴族的な苗字として潜伏し、藤原の名を日本史の表舞台から消していた。
うむむ...やはり思い過ごしか?
...いや待てよ。
であれば、逆に”藤”を名乗る姓は、直系から離れ在野化した藤原氏という
仮説を立てられないだろうか。
つまり、藤原直系が【柳生】とすれば、”藤”姓は【草】である。
日本の政治・産業、ありとあらゆるところに入り込み、
虎視眈々と機会をうかがう。
ひとたび藤原氏の命あれば、いつでも日本を転覆させることが出来るほどの
力を手に入れている...
あまりに突拍子もない仮説だろうか...。
もしや!!と思い、もう一つの勢力、鈴木について調べてみた。
やはりっ!
鈴木は源氏/平家などの武士系の苗字で、
鎌倉幕府・江戸幕府のお膝元、関東に多い苗字である。
貴族と武士、佐藤と鈴木はやはり敵対関係にあったのだ!!
明治維新直後はやはり武士の勢力が依然として強かったはずで、
平民苗字許可例が下りた直後は、在野の武士が鈴木家を名乗るのは
至極当然の流れであろう。
それによって、維新後から戦後までは鈴木姓が世を席巻した。
しかし、大政奉還によってじわりと息を吹き返した藤原氏の
巻き返しが始まる。
伊藤博文をはじめとして政治の役職を握り、
日本の中枢を”藤”姓で埋め尽くした。
もはや日本は再び藤原氏によって実権は握られたのだ。
いま、平安の世のように藤原氏の栄華が始まっているのだ!!
私が子供のころ、
『日本で一番多い苗字は?』
『鈴木ぃ~』は常識だった。
それがいつのタイミングか、佐藤が取って代わった。
そのときは
『へぇ~、鈴木と佐藤で出生率が変わるわけでもあるまいに』
と漠然とした疑問を抱えただけだったが、今はわかる!
明治維新後日本の裏社会は、まさに佐藤と鈴木の
血で血を洗う壮絶な勢力争いそのものだったのだ。
もちろん、実際には貴族である藤原氏は戦(いくさ)などしない。
とった策略は藤原氏のオハコの
”婚姻による血縁関係”
であろう。
巧みな養子縁組や結婚による姓の選択など
藤原氏の巧みな戦術によって”藤”姓は勢力を広げた。
鈴木家が気づいたときはもう遅し、完全に逆転していたのだ。
日本で夫婦別姓がいまだに認められないのは
この策略を推し進める藤原氏の圧力によるものかも知れぬ。
ウソくさい?
そうかもしれません。
でも考えてみてください....
今の内閣総理大臣、麻生太郎氏のことを...
彼の家系図はまさに戦後日本の政治そのもの。
結局は家系や世襲によって政治は行われているのです。
もしかすると、彼を三十代も遡ると
”藤原氏”に行き着いてしまうかもしれません....
信じるか信じないかは、あなた次第 m9っ(`д´)
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