JUN ROAD Ⅲ ~ラテン系半島人~

アナタがかつて 描いた「その日」共にHuntしてまいりましょう !

気負いのない決意 覚悟をもって

2019年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
また人が2人 逝ってしまわれた

ひとりは、50代の元ひきこもり状態のご子息のお父さん

90代の大往生だった


その人は当時、私がまだ駆け出しにも関わらず

奥様とご一緒に「藁をもすがる気持ちで参りました」と

いらっしゃった


太平洋戦争後の混乱期

喰うか喰われるかという

今では想像もつかない時代の最中

木のクズでも頑丈な合板を作れないか

その志をもって一代で創業

名古屋はおろか、全国、東南アジアでも

知る人ぞ知る製作所を立ち上げた

その反動が

ご子息には少なからずあったのかもしれない


そんな方が、月一度、欠かさず私の下へいらっしゃり

ご子息を思う気持ち

ご子息なりに豊かな人生を歩んでほしいと願い

傍から見たら、みっともないと思われかねないほど

赤裸々に吐露された


この方が偉大だったのは

その地位を得ても偉ぶることなく

若造の私の言葉に、じっと聴き耳を立てられ

親が変われば子が変わると

その一念で、奥様や他のご子息と一緒に実践を続けられたこと

着の身着のままでご自宅を出られ

ご子息と別居されてから8年後

再会を果たされた


私はその頃

成果が見えづらい

担当していた、ご本人の死

職責に対する周囲の不十分な理解などで、徐々に疲弊・・・

数年後、いったん現場から離れてしまう

私が現場から離れたことは

その方にとって、多少なりとも無念のお気持ちがあったかと思う


今年、私は折れない翼を再び得る

ようやく、その方に近況をご報告できると手紙を


数ヶ月後、お返事はご子息のご兄姉から

昨秋、旅立たれたという、予期せぬ知らせと共に


8年ぶりにご両親、ご兄姉と再会されたご本人は

その後を追うように

この春、旅立たれたことも知る


ご本人は

偉大なお父様の跡取りとして

その身を活かそうと懸命に努力された

しかし

お父様の過大な期待

2世がどこまでできるんだと 厳しい視線

それは、さぞ耐え難いものだったかと

そして

ある夜、ご両親をご自宅から追放

たった一人で長い日々と向き合われる


せめてもの救いは

お父様の晩年

すぐ近くにお住まいになり

老いたご両親の日々を助け

共にご飯を食べたり

ドライバーをかってでて、共に旅行へ

お父様が亡くなられた時には

喪主として

立派に取り仕切られたこと

しかし

すでにその時、病魔に侵され

ご自身が余命いくばくもないと

誰が予見できただろう

それを知った時のご本人は

さぞや無念だったことかと・・・


それでも

自らの余命を受け入れ

この春 旅立たれたという


少なからず

こんなはずじゃない

このままじゃ死ねない

あの時、こうすれば良かった

ああすれば良かったと

後悔や懺悔の日々にくれたであろうことは

想像に難くない

志半ばでの旅立ち


その方たちの人数

もはや片手では足りなくなった


8050問題

マスコミや関係者はそう言ってはばからない

その本質

いかんともしがたい悩み 苦悶は

もっともっと深いところにあると私は思う


だからと言って、下を向くことはない

私も含め

残された人が

その人たちの志を引き継ぎ

その人たちの志も携え

自らの人生を切り拓けば良い


「あー今日も楽しい1日だった!」

「また明日も楽しいことがあるかな!?」

そういった1日を

少しずつ積み上げていく


何年ひきこもり状態を余儀なくされていても

何年ニート状態を余儀なくされていても

また、そのあるなしに関わらず

誰でも

私も

貴方も

きっとできることなんだと思っている


私は

先に逝ってしまわれた方々の志や思い

それを胸の奥に携えて

今日も楽しく生きていく!