『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

中学生とスマホ(2)

2022年01月11日 | 中学生と育つ
中3で遅めのスマホデビューをした子ども。
(今まではこういう感じ→ココ

自分でつきあい方をコントロールして欲しいし、
別にスマホは遊ぶだけの道具でもないから
時間制限をするのはナンセンスだと思い、
フィルター以外の制限なしでスマホを持たせて約1ヶ月。

振り返れば、会話は減り、
夜更かしもしている。

う〜ん、
自分でコントロールしてもらうためには、
いったんそういうところを通る必要がある。
わりと信頼してるから、
このまま見守るだけのつもりなんだけど…。

とは言え、感受性豊かなワカモノの時代を、
刺激の強いコンテンツの消費に食い潰されるのは、
成長のチャンスを奪ってしまうことになるのでは?
この状態は、「自分から何かをしたい」という意欲や、
「こういう社会がいい」という理想を描く時期に、
その萌芽が摘まれているのでは?

親としては、
制限するべきか、信頼するべきか。
その両方の間で葛藤した1ヶ月でした。

さて。ウチでは毎週1回、
みんなで掃除をするんだけど、
この前の子どもの態度がいただけなかった。

他の人が掃除してる中で堂々と
「これ見終わってから」とサボリ、
いよいよ居心地悪くなってきたら、
「トイレ!」とスマホを持って出てこない。

前にイエローカードを出したけど、
これは、めちゃくちゃ感じ悪い。

予定があって出かける子どもに
「帰ってきたらスマホの使い方を相談しよう」
と、声をかけておいた。

さて。
夕方帰ってきた子どもに、
「今日の態度は、ちょっと気になったけど、
自分ではどう?」と聞いてみた。

ズルイ人に対応するには、ズルさも必要やから、
ズルさを身に付けるのはいい。

だけど自分で
“これは面倒やけど、必要やなぁ”
って思っているなら、それは、しようよ。

ワタシだって、
面倒やからサボろうってことだらけやけど、
必要やと思うなら、それをやれた方がいいと思ってる。
そんくらいのことは、
サクッとできる程度に自由でありたい。

スマホっていろいろコンテンツがあるから、
夢中になるよね。
何かをやりたくない時には、すごい誘惑になる。

でも、それを振り切ることに
意志の力を使い果たして疲れるなら、
最初から制限しておく方がラクじゃない?

みたいなことを、
責める調子ではなく、
ワタシもそれに困ってるのよ、と伝えた。

子どもも自分のニーズを伝えてくれた。
一日に使う時間を制限してみようか。
でも、これとこれは制限なしにして欲しい。
と、いくつかのアプリを指定。

じゃあ、いったんこれでやってみようか。
という話になった。

いろいろお互いの思いを伝えながら、
ふさわしい使い方を探していくのは、
なんだかちょっと気持ちがいい。

制限なんてなくしていいように、
自分の真ん中の力を育てて行こうね。

寒いけど、面倒だけど、勇気いるけど、
「本当にやりたいこと」をやれるのが、
自分を自由に使えるってことなんだよね。

それがホントに難しいことはよくわかってる。
そんなの、スマホがあるなしに関わらず、難しい。
問題は、スマホを制限するかどうかじゃなくて、
自分を自由に使える力をつけていくこと。

そんなの15年どころか、50年経っても難しい。
問題を間違えないようにしたいと思います。


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