今の時代、仕事も教育も、
専門的になればなるほど細分化されていって、
全体との関連が見えにくくなっています。
誰の役に立っているのかが見えない仕事はむなしいものです。
最近たまに子どもから
「何のためにこの勉強するの?」と聞かれます。
それは、単にその勉強がキライというだけの時もありますが、
「本来の学び、生きることの手応えを感じられるような学びをしたい」
「人間として成長したい」という
意識下の願いなんじゃないかな〜と思います。
学校の学びも、国語、数学、英語、理科、社会…などと、
細分化されています。
今回のにじみ絵講座では、それを、
再び全体として捉え直して学んだ気がします。
紙と絵具と水の関係(物理)、
地球が出来ていくお話(国語)、
立って動きながら描き(体育)、
植物が育っていく過程や発芽条件を(理科)、
絵に描くことで表現し、追体験する(図工)、
…など、いろんな教科がひとつになった時間です。
そういう「大きなひとつ」と「個別の科目」との間を
行き来しながらの学び方は、
将来きっと生きる力につながっていくと思います。
A国人とB国人、宗教Aと宗教B、
右と左、男と女、大人と子ども…。
立場が違うからわかりあえないと思い込んでいるものを、
ひとつのもの=「わたしたち」として捉え直してみる。
そんな1つ上の次元からものを見てみることで、
すべてがつながって1つである、
という感覚を強めていけると思います。
そしてその感覚を持っていれば
「自分をどう生かそうか」とは考えても
「生きていても仕方ない」とは思わないだろうな〜という
明るい確信を持っています。
専門的になればなるほど細分化されていって、
全体との関連が見えにくくなっています。
誰の役に立っているのかが見えない仕事はむなしいものです。
最近たまに子どもから
「何のためにこの勉強するの?」と聞かれます。
それは、単にその勉強がキライというだけの時もありますが、
「本来の学び、生きることの手応えを感じられるような学びをしたい」
「人間として成長したい」という
意識下の願いなんじゃないかな〜と思います。
学校の学びも、国語、数学、英語、理科、社会…などと、
細分化されています。
今回のにじみ絵講座では、それを、
再び全体として捉え直して学んだ気がします。
紙と絵具と水の関係(物理)、
地球が出来ていくお話(国語)、
立って動きながら描き(体育)、
植物が育っていく過程や発芽条件を(理科)、
絵に描くことで表現し、追体験する(図工)、
…など、いろんな教科がひとつになった時間です。
そういう「大きなひとつ」と「個別の科目」との間を
行き来しながらの学び方は、
将来きっと生きる力につながっていくと思います。
A国人とB国人、宗教Aと宗教B、
右と左、男と女、大人と子ども…。
立場が違うからわかりあえないと思い込んでいるものを、
ひとつのもの=「わたしたち」として捉え直してみる。
そんな1つ上の次元からものを見てみることで、
すべてがつながって1つである、
という感覚を強めていけると思います。
そしてその感覚を持っていれば
「自分をどう生かそうか」とは考えても
「生きていても仕方ない」とは思わないだろうな〜という
明るい確信を持っています。
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