『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

書かない、読まない、作文クラス

2020年10月13日 | 神戸シュタイナーハウス
1週間ほど前にココに書いた、
秋と人生を重ねて味わってみるクラス。
コレ、実は自分の中では作文クラスだったんです(^^)。

でも、クレヨンで描いたり、葉っぱや実を並べたり、
テーマに沿ってお話したりがメインで、
文章はちょっと書いただけ。
しかも、せっかく書いたのに、人前で発表もしない。

なんだその作文クラスは?? って感じですが、
試してみたかったんです、言葉本来の力を。

言葉本来の力、それは、2つあって、
1つはコミュニケーションのため。
もうひとつは、考えるため。

コミュニケーションは文字通り、伝え、受け取るため。
普段は、こっちの使い方メインです。
仕事の時も、ほぼこっちです。
誰かの言うことを書いて伝える、とかね。

考えるために言葉を使う、とは、たとえば、
見たもの、感じたことを言葉にして意識すること。
自分が感じていることを掘り出してみること、
自分の問いについて考えを深めていくこと。
この使い方をする機会は、実はビックリするほど少ない。

作文にしても、読書感想文にしても、
小論文にしても、企業のエントリーシートにしても、
人から求められる作文は、
書かせた人が気に入るようなことを予想して、
その人が喜びそうなことを書くのがお約束。

そういうのって、つまらない!!

誰のために、何のために書いてるのかと考えたら、
「私はあなたにふさわしいです」とアピールして、
本来の自分をどこかに置いて、別人格になって書いて、
その別人格を認めてもらう、いわば脳内コスプレ作文です。

だから、内容ももちろん大事だけど、
形式に沿っているか、みたいなところも求められる。
第一、書く前に書く内容を決めてから書くんだもの。
考えが深まりようがありません(T_T)。

今回の場合、採用も評価もする必要ないので、
出題者がどう思っているかは、どうでもいい。
人生の秋について深めるために、
一人ひとりが、それについてどう感じ、どう考えるのかを
自分の中に聞いて言葉にしてみる経験をして欲しい。

困った時に、感情の振り回されるんじゃなくて、
いったん言葉にしてみるクセをつける。
そしたら、そこから自分の考えが起動する。
感情的にふるまって後で後悔しなくて済む。
そんな言葉の力を実感できたらいいな、と思う。

と言うと、
大きな期待を込め過ぎている気もしますが。

今回は、秋に関する感情を暖めるために、
秋を実感するために葉っぱや実を持ってきたり、
時計と人生と季節を同じ円の中に描きこんでみたり、
あれこれいろんな方向から刺激してみます。

その刺激によって感じたもの、受け取ったものを、
まず、みんなに話しながら確認してみます。
その後、やっと作文の時間です。

今話したようなこと、人が考えたようなことから、
自分で問いを立て、
それに答えるために、言葉の力を借りて20分向き合う。

誰かに読んでもらうためや、
ホメてもらうためではないので、
名文は目指しません。
何なら箇条書きのメモや殴り書きでいい。

人を感動させるためではなく、
自分の考えと向き合うための作文だったので、
人前で読んで発表するのもナシです。

読んで評価されることによる緊張が邪魔をして、
自分の考えを自由に繰り出せないくらいなら、
読まなくてもいい。
その方が、今回の主旨に合っている。

その代わり、自分の書いたものを見ながら、
人生と秋について何を感じ、何を考えたのかを
みんなで話す時間を持ちました。

話すだけなら、帰って忘れちゃうけど、
要旨を書いたメモは残っているから、
またしばらく経って自分で読み返し、
そこからもう一歩二歩、考えを進めていけるのもいいな。

これ、かなりおもしろかった。
自分でもやってみたいという方がおられましたら、
プロフィール下の「メッセージ」欄からご一報ください。
私も、またやってみたいです!


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