『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

■自由の哲学13章17段落

2015年12月23日 | 『自由の哲学』
しかし、さらに考えを進めたら、
次のようにも言えるだろう。

褒められるのが好きな人は、
自分で気づくか、人から言われて気づくかはともかく、
人から認められることが、
実はそれほど値打ちのないことだ
と、いつかわかってしまうだろう。

理性的な人には、科学的に、
「人間の本質は理性である」と
最終決着が付いているし、
「科学における謎は、
たいてい常識的な多くの人が間違ってて、
最初に言い出した非常識な少数の人が正しい」
と考えることになる。

そして、褒められるのが好きな人は、
自分の人生を、褒められることに導かれて
プラスを重ねていくだろう。
(『無意識の哲学』より)

褒められるのが好きな人がこう語る時、
彼が褒められることによってリアルに感じてきた感情は、
幻だった、と言うことになる。

そこから、また次のようにも言える。
生きるの快・不快の通帳からは、
幻による不快も棒引きにしなければならない。
そして、残るのは、幻にごまかされない快だ。
それは、不快をはるかに下回る。

よって、生きることは快ではなく、
自分が存在しないことは、存在することよりもいい、と。


多数が間違いで、少数が正しい、というのは、
天動説のはじまりとか、男女同権とか、
マイノリティの人権とか、まぁ、何にしろ、
言い始めた頃は、なんて常識はずれなの?
と思われる例はいくらでもありますね。

最後のとこ。
じゃあ、生きなきゃいいの?
アンタも生きてるじゃん。
と、どーしても思うのです、このあたり。

たとえば、仕事でやっかいなプロジェクトに放り込まれ、
みんなで英知を絞って、やっと結果を出して、
お客様も含めて、メンバーみんなで喜びにひたり、
達成感で盛り上がって抱き合って喜んでるような時。

せっかく、感情で「幸せ~!」と盛り上がってんのに、
CFOが「んで、なんぼ儲かったん?」と言ったとしたら、
(いや、そういう役目の人は必ず必要なんだけど)、
あ~、もう台無し。間違いなくゲンナリします。

ハルトマンは、
CFO役にクローズアップしてるんだな、きっと。
会社にはお金が必要、それはめちゃくちゃ正しい。

でも、当たり前だけど、お金だけじゃまわらない。
プロジェクトのリーダーは、
お客様の経営にホントは何が必要なのかとか、
メンバーの誰に何を任せたら力を発揮してくれるかとか、
若いメンバーの教育や今後の成長への布石とか、
数字も含めて、もっといろ~んなことを見てる。

人生は、いっぱいの人が関わってくれる
ひとつのプロジェクト。
人はみんな、自分の社長。

人生は、この世というダンジョンをクリアしていく、
ゴールのないRPG。
コントローラーを持つのは自分。

人生は、いろんな潮流の中をこぎ進む小舟。
舵を取るのは自分。

ああ、陳腐な表現。でもホント。
外のあれこれの制約は、ただのステージ設定。
そこを自由に自分を動かすのは、自分。
自由を制限しているのは自分なのよね、ホントに。

そう考えられる間は、
「私、今、元気なんだな」とわかります。

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