最近、というか、ここ10年あまり、
「自由」について改めて考え、それなりに挑戦していますが、
今日は「自由」って何に役立つの? について考えます。
言葉としての「自由」の定義じゃなくて、
「自由」は、生きるのにどう使えるか、です。
自由とは、柔道の型
パソコンのOS(基本ソフト)のように
計算する時の公式のように、
ピアノを弾く時の鍵盤のように、
柔道をする時の型のように、
自分が生きる基本的な型は何か。
それが「自由に生きること」でありたいと
いつも思います。
外に向かって「自由になりたい」と求めるのではなく、
静かな意識と熱い心を持って、自分の行動として。
その時々に、自分で考えて動けたら。
Rシュタイナーの『自由の哲学』という本、
最初から最後まで、精神的なことに一切触れてない。
時代や国や宗教や常識が違っても、
人として共通の法則が書かれているので、
シュタイナーなんか知らなくても通じあえる。
「自分で見て感じて考えて動く」
ただ、それだけのことが、
どれだけ難しく、
どれだけのものを開かせるか。
「この人がこう言うからこうしなきゃ」
「こういうデータがあるんだって」
なんていう本の読み方や、話の聞き方をしていると、
その本も時代によって進化できないで消えてしまいます。
大切なのは「自分はどう考えるのか」です。
こういうデータもあるけど、
違うデータもあるかもしれない。
そういう分析もできるけど、
他の分析もできるかもしれない。
本当に、真実が書かれている本は、
時代や文化の違いに拘わらず、
共通法則が書かれているはず。
それが「哲学」でしょう。
そして、そんな「自由の哲学」を真面目に読んでいくことで、
思い通りになってもならなくても、
自分に聞いて自由になっていこうとする姿勢を
自分の行動の一番コアなルールとして身に付けられます。
解説付きでも何でも自分で読んでみるのはいいけど、
ダイジェストで読んでも身につかない気がします。
だって、書いてあることは「自分で見て考えて動け」だもの。
そんなこと、もともと知ってるよね?
逆に言えば、内容はそれだけのことなんだから、
一文ずつ納得したり、わからず保留したりして、
でも、懲りずに本を読んでいくだけで、
いつのまにか、基本姿勢になっていく。
自由に向かうことが光だと思えてきました。
PCに基本OSがインストールされているように、
自分の基本のOSとして
「自由になっていく」という姿勢を入れる。
そうすれば、何かの権威に頼らなくても、
その上にどんなソフトを乗せても自分なりに処理していける。
そんな基本姿勢の部分を、
『自由の哲学』から学んでいます。
「自由」について改めて考え、それなりに挑戦していますが、
今日は「自由」って何に役立つの? について考えます。
言葉としての「自由」の定義じゃなくて、
「自由」は、生きるのにどう使えるか、です。
自由とは、柔道の型
パソコンのOS(基本ソフト)のように
計算する時の公式のように、
ピアノを弾く時の鍵盤のように、
柔道をする時の型のように、
自分が生きる基本的な型は何か。
それが「自由に生きること」でありたいと
いつも思います。
外に向かって「自由になりたい」と求めるのではなく、
静かな意識と熱い心を持って、自分の行動として。
その時々に、自分で考えて動けたら。
Rシュタイナーの『自由の哲学』という本、
最初から最後まで、精神的なことに一切触れてない。
時代や国や宗教や常識が違っても、
人として共通の法則が書かれているので、
シュタイナーなんか知らなくても通じあえる。
「自分で見て感じて考えて動く」
ただ、それだけのことが、
どれだけ難しく、
どれだけのものを開かせるか。
「この人がこう言うからこうしなきゃ」
「こういうデータがあるんだって」
なんていう本の読み方や、話の聞き方をしていると、
その本も時代によって進化できないで消えてしまいます。
大切なのは「自分はどう考えるのか」です。
こういうデータもあるけど、
違うデータもあるかもしれない。
そういう分析もできるけど、
他の分析もできるかもしれない。
本当に、真実が書かれている本は、
時代や文化の違いに拘わらず、
共通法則が書かれているはず。
それが「哲学」でしょう。
そして、そんな「自由の哲学」を真面目に読んでいくことで、
思い通りになってもならなくても、
自分に聞いて自由になっていこうとする姿勢を
自分の行動の一番コアなルールとして身に付けられます。
解説付きでも何でも自分で読んでみるのはいいけど、
ダイジェストで読んでも身につかない気がします。
だって、書いてあることは「自分で見て考えて動け」だもの。
そんなこと、もともと知ってるよね?
逆に言えば、内容はそれだけのことなんだから、
一文ずつ納得したり、わからず保留したりして、
でも、懲りずに本を読んでいくだけで、
いつのまにか、基本姿勢になっていく。
自由に向かうことが光だと思えてきました。
PCに基本OSがインストールされているように、
自分の基本のOSとして
「自由になっていく」という姿勢を入れる。
そうすれば、何かの権威に頼らなくても、
その上にどんなソフトを乗せても自分なりに処理していける。
そんな基本姿勢の部分を、
『自由の哲学』から学んでいます。
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